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『十角館の殺人』実写化でもう止まらない! 推理小説の映像化に湧き立つ(個人的な)期待と不安(3)

 つづきです。
 前回はこちら。
『十角館の殺人』実写化でもう止まらない! 推理小説の映像化に湧き立つ(個人的な)期待と不安(2)|涼原永美 (note.com)

 綾辻行人による傑作ミステリー「十角館の殺人」の実写ドラマが3月に配信されるというニュースを聞いて以来、推理小説の映像化についてザワついてどうしようもない思いを、あれこれ綴ります。
 今回は、「三谷幸喜による名探偵ポワロのドラマ化・・・が原作ファンにとって奇跡な理由 その2」です(作家名や俳優名は敬称略にさせていただきます)。



(1)「アクロイド~」は世界的名作!でもドラマ化がなぜ奇跡?

 
 さて、2015年1月の「オリエント急行殺人事件」に続いて三谷幸喜が脚本を手掛け、フジテレビで2018年4月に放送された「黒井戸殺し」についてだ。 

 原作は「アクロイド殺し」。とある田舎でアクロイド氏という地元の名士が殺される事件なのだが、三谷版では「黒井戸」氏へと変換された。ドラマの中で何度も「黒井戸さん、黒井戸さん」と名前が呼ばれるから、長年「アクロイド~」を愛読してきたファンとしては笑うしかない。

 このドラマ化がなぜ「奇跡」なのか、理由はいくつかあるのだが、まず触れておきたいのがイギリスで制作された名探偵ポワロのドラマシリーズである。


(2)イギリスのドラマシリーズでも消化不良だった難作

 1989年から始まったイギリスのドラマシリーズはまず、ポワロの短編をほぼすべて映像化、その後長編へと続き、24年もの歳月をかけて2013年に「カーテン ~ポワロ最後の事件~」を作り終えている。長編だけで30作以上もあるのだが、これが秀作ぞろい。

 作者の母国なのだから、作品解釈に優れているのは当然といえば当然かもしれないが、原作の魅力をほぼ忠実に再現した脚本、知的でユーモラスなポワロを完璧に演じたデヴィッド・スーシェをはじめとする役者陣、美術や音楽のクオリティなど、何度見ても発見があり、日本にも根強いファンが多い名シリーズだ(今でもたまにBSなどで放送されているし、すべてソフト化もされている)。

 
 また、「ABC殺人事件」「ナイルに死す」「白昼の悪魔」「オリエント急行の殺人」などの有名作だけでなく、「五匹の子豚」「杉の柩」「エッジウェア卿の死」など、比較的地味ではあるがファンからの評価が高い原作をドラマティックな演出で映像化してくれているのも嬉しい限り。製作陣の力の入れようがうかがえる(個人的には「五匹の子豚」が大好き)。

 ただ、このなかで何作かは「どうしてこうなった?」という原作愛が感じられないものも、あるにはある。
 その中の1作がそう、「アクロイド殺し」で、私もはじめは「ついに完全映像化か⁉」と期待して観たのだが、途中でがっかり、「やっぱりイギリスでも無理だったか」と諦めの境地に至った。
 「〇〇〇が犯人」という叙述トリックを映像化するのはやはり至難の業なのだ。

 それが2000年頃のことで、ほかの人はどうか知らないが、少なくとも私はいちファンとして、「アクロイド殺しを映像で観ることはもうないだろう」と勝手に悟っていた。

 ――そんなわけで2018年4月、「三谷幸喜×クリスティ」企画の第2弾が「アクロイド殺し」と知った時、私は驚いたのだ。


 いったい、どうやって映像化するの? ・・・と。



(3)奇跡1:イギリスでも無理だった完全映像化が日本で大成功


 ――そして、観終わった。「黒井戸殺し」を。

 率直な感想は「おぉ・・・やったな」というものだった。
 こういう方法ならできるのか・・・と胸が熱くなる。

 そう、叙述トリックだからといって原作をこねくりまわす必要はない、というひとつの解答を得た気持ちだった。

 起こった出来事を順序通りに映像化し、その代わりある人物に事件を語らせる。視聴者は「そういうもの」だと先入観を持ち、最後に視点を「探偵のもの」に入れ替える。ーーなぜイギリスの製作陣にこれができなかったのかとも思えるが、それはコロンブスの卵のようなものなのだろう。

 当たり前のことを言うようだが、このドラマでは犯人役が極めて重要だ。
 だからキャスティングには力を入れたと思うし、原作を知る視聴者は最初から「さぁどうする」と「犯人役の一挙手一投足」を見つめていただろうし、原作を知らない視聴者はラストで「まさか!」と驚いたことだろう。どちらの視点で観ても楽しめるようにできていた。

 この日本版「アクロイド殺し」(黒井戸殺し)を、果たしてイギリスの関係者は観ただろうか?
 たぶん観ただろう、いや絶対に観ていてほしいと思う。

 世界中のミステリーファンが知る不朽の名作、叙述トリックという概念を生み出し後世の推理作家に多大な影響をもたらした、映像化不可能の代名詞とも言える「アクロイド殺し」を、日本人がこんなやり方でドラマ化しましたよ・・・と世界に伝えたい。そんな感動すら覚えた。

 「そのまま作ればおもしろい」クリスティ作品が山ほどあるなかで、あえてこれに挑戦する理由は、「作りたくてたまらない」という原作愛以外にない。「なんでもいいからクリスティ作品でウケるものを」と仕事として発注されたら、普通の脚本家は「アクロイド殺し」を選ばない。こんなもの、死ぬほど大変だからだ。



(4)奇跡2:謎解きだけで1時間、原作完全再現に不可欠なトータル2時間半のぜいたくさ


 「黒井戸殺し」は、事件のあらまし、探偵が真相解明にいたる過程も、ほぼ原作通りだった。
 期待通り、登場人物一人ひとりにクセの強いキャラ付けをし、セリフのやりとりで笑わせる三谷ワールドを展開しつつ、重要なエピソードを積み重ねていく。やがてポワロ・・・いや名探偵・勝呂(すぐろ)には「すべてお見通し」となり、名物である「容疑者全員を集めた謎解き」がスタート。

 この謎解きがまたすごい。ドラマの後半1時間がまるまるあてられているのである。


 通常の2時間ドラマでは、CMが入るのでドラマ自体は正味1時間半。後半の1時間が謎解きなんてあり得ない。だから、どんなおもしろい小説も2時間ドラマ化しようと思えば、いろいろ端折って脚本化するほかはなくなり、結局消化不良を起こすことがある。映画だって2時間を超える大作はリスクが大きく、やすやすとは世に出てこない(だから監督が泣く泣くカットしたりする)。

 だから、ドラマ部分でたっぷり2時間半を使い、地上波放送でCMを入れて3時間以上の枠を用意するのは、テレビ局にとって気軽な選択ではないはずだ。

 ――それでも、「オリエント急行殺人事件」ならまだ可能性はある。


(5)奇跡3:「日本でほぼ無名」の原作を完全ドラマ化できた脚本家の力

 
 そう、「オリエント急行殺人事件」なら、誰でもタイトルくらいは聞いたことがあるからまだイケる。宣伝しやすい。だが、今回は「黒井戸殺し」である。ピンとくる人はかなりのマニアだ。普通の人はアクロイドでもたぶん知らないのに、黒井戸だ。だから黒井戸殺しは第2弾にあてられた。これは3年前の「オリエント~」からの流れであり、そして「この人なら間違いない」という三谷幸喜への期待と信頼にほかならない。

 さかのぼれば「古畑任三郎」、いやもっといえば「振り返れば奴がいる」(いやもっといえば「やっぱり猫が好き」)・・・あたりから、テレビ局と脚本家の信頼関係が積み重なり、そして「オリエント急行殺人事件」「黒井戸殺し」へと繋がったのではないか。

 だからこれは日本のミステリーマニア、原作ファンにとって、脚本家の原作愛が生んだ奇跡なのだ。
 私のようないちファンにとっては、なんにも努力をせずにテレビの前で待っていたら、ある日降り注いできた幸運だ。

 ーー感謝しかない。



(6)あふれる原作愛と俳優陣の名演ーーそしてラストの告白まで


  「黒井戸殺し」の後半たっぷり1時間を使った謎解きは、一幕の演劇を鑑賞しているような見どころの連続だった。

 起こった出来事の「何が殺人と関係し」「何が関係していないのか」、もつれた糸を解きほぐす推理の過程はまさに名探偵ポワロ(勝呂)の真骨頂。

 10人近くの登場人物はそれぞれ秘密や悪事を暴露され、クセ強なキャラ全開の見せ場があったのだが、なかでも草刈民代演じる黒井戸夫人の「わたくし、開けた扉を~」と、藤井隆演じる執事の「ディクタフォーーン!」のシーンは、何度見ても笑える。

 そしてラスト、犯人の独白もほぼ原作通り。これにもシビれた。
 原作ファンにはおなじみの、あの最後の1行(2行かな)もそのまま採用。
 「なぜ、ポワロ(勝呂)は・・・」という、あのくだりである。

 これは変えないでほしいと願うファン心理がわかるのは、脚本家自身が原作のファンだからだろうと思えた。はぁ、大満足である。



(7)ひとつだけ「原作と違う」犯人の動機、それは・・・


 じつはこの「黒井戸殺し」には、クリスティが書いた原作にはない「犯行の動機」が付け足されている。

 
 ネタバレになるので詳しくは書かないが、私はとても感動した。
 原作の良さを損なうことなく、「このままでは少し物足りない」部分を膨らませる・・・こういうアレンジは大歓迎である。

 確かに原作で書かれた動機だけでは犯人は利己的な犯罪者だ。このままドラマ化すれば、視聴者はラストでけっこうな喪失感を感じることになる。
 
 
 だが「黒井戸殺し」で語られる犯人の動機には少し同情してしまうし、何よりそれがわかった時、視聴者は「ええ! だからだったの?」と驚くことになる。ーーいわゆる、伏線があったのだ。

 単なる笑いの要素として受け取っていたある人物の言動が、「もしかして・・・あれは・・・そのせい?」という悲しい余韻に変わっていく。そしてそのまま、ドラマは終わる。

 
 うまい。
 
 よかった。観てよかった。

 

 ――さて、ドラマ版の感慨に浸っている2018年のこの時、3年後の2021年3月に第3弾が放送されることを、私はまだ知らない。



(8)第3弾が「死との約束」だった理由って、もしかしたら・・・

 
 第3弾があると知った時の歓喜はさておき、タイトルが「死との約束」と聞いた時、私には「もしかしたら、三谷さん・・・」というある思いがよぎった。

 前述したイギリスのドラマシリーズのなかで何編かある「原作愛の感じられない、改変され過ぎている作品」のひとつに、「死との約束」があるのだ。

 原作は犯人あてのロジックがとても魅力的なのに、ぜんぜん違う話になっていて、消化不良の一作である。クリスティ本人が観たらどう思っただろう。そしてもし映像作品に関わる人間なら鑑賞後、よりいっそう「これは『死との約束』ではない」という無念感が残ったのではないか。

 ――単なる偶然かもしれない。

 
 ただ、「オリエント急行殺人事件」と「アクロイド殺し」というクリスティ作品の二大金字塔を成功させた後なら、作品は選び放題だ。有名作でも、無名だけど好きな作品でも、どれでもやれる。そのなかから「死との約束」を選ぶには理由があるはずだ。いや、違ったらすみません――というか、ただただ、こんなことを考えるのが楽しくて仕方がない。

 これまた傑作だった三谷幸喜版「死との約束」については、またの機会に書くことにするが、残念なのは2024年1月現在まだDVD化されていないということだ。となると地上波で見逃した人の再視聴のハードルが高いのだが・・・どうだろう。いずれされることを願っている。

 ――あれからまた3年が経ち、2024年になった。

 今年、また何かが起こるかもしれない・・・とひそかに期待している。
 あぁ、観たい。もう、どれでもいいです。

 名探偵ポワロと三谷幸喜の話はここでいったん終えるとして、次は「宮部みゆき作品の映像化」について書きたいと思います。

 つづきます。

 つづきはこちら。
『十角館の殺人』実写化でもう止まらない!推理小説の映像化に湧き立つ(個人的な)期待と不安(4)|涼原永美 (note.com)

 
 

 
 


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