(19)5歳頃からの積読本が「本読む子」への最短ルートでした~10年前に出会ったママさんへ~
お手紙、つづきです。
「家にある本で、デジタル漬けになる前に『読む』習慣を」
・・・というお話をしています。
低学年までは動画やゲームがなくても家で楽しく過ごせます。
「みんな見てる」「そういう時代」は少し横においといて・・・
読む楽しみとすんなり出会える時期を大切にしたいなと思います。
・お手紙(18)はこちらからどうぞ。
(18)5歳頃からの積読本が「本読む子」への最短ルートでした~10年前に出会ったママさんへ~|涼原永美 (note.com)
今日は
「自転車と読書の練習は人生の同時期がいいと思う理由」
・・・というお話です。
さて、シオリさん。
ほとんど文章だけの本(物語・小説)を子どもがスラスラ読めるようになったとして、それは「賢い子」だからではなく、「慣れている」から読めるんだ・・・というお話は、何度もしてきたかなと思います。
読書は体で覚えるもの。
慣れれば大半の子どもが文章だけの本を楽しく読めるようになる・・・。
このことについて考える時、私はいつも「自転車と似ているなぁ」と思うのです。
自転車ってたくさんの子どもが「慣れ」によって体得するものですよね。
運動神経が特別良い必要ってあんまりなくて、運動がわりと苦手な子でも、何日か練習さえすればほとんどの場合、乗れるものだと思います。
私は、
自転車と読書の練習って、とても似ている
と思うんです。
子どもが
「絵本から児童書に移行して、やがて文章だけの本を読めるようになる」
過程をあえて「練習」という言葉で表現するなら、
自転車の練習と読書の練習には、かなり共通点があると思います。
それは・・・
・理屈じゃない時期に、体で覚えるのがベスト
・最初は転ぶけど、コツをつかめばほとんど誰でも乗れるようになる
・自転車という道具を使いこなすことではなく、それに乗って楽しむことが目的
これを読書に置き換えると、
・理屈じゃない時期に、体で覚えるのがベスト
・文章が頭に入ってくるまでに少し時間が必要だけど、コツをつかめばほとんど誰でも読めるようになる
・難しい本を読みこなすことが目的ではなく、おもしろい物語を楽しんだり、知らなかったことを知ってワクワクするのが目的
・・・という感じです。
ただ、ここでポイントになるのは
「自転車の練習をする時は、誰でも『乗れた!』という感覚をつかむまで続ける」・・・という事実。
これがじつは、ちょっとカタい言い方をすると
「挑むべき課題」として考えた時の、読書と自転車の大きな違い
・・・かなと思うんです。
どういうことかと言うと・・・。
例えば5歳くらいのある時期に自転車の練習を始めたら、まだちゃんと乗れていないのに途中で1週間くらい休んだり、間に電動自転車に乗せてみたりする親は・・・まずいませんよね。
一度はじめたら、よほどの理由がない限り、「乗れた!」となるまで一定期間集中してやり遂げると思います。
この場合のゴールは、子ども自身が「乗れた! 楽しい!」という感覚を体でつかむこと。すると不思議なもので、自転車って数年間乗らなくても、おとなになってもずっと乗ることができますよね――感覚は忘れない。
これを読書に例えるなら、絵本が好きだった子どもがやがて文章だけの本を読んで「おもしろい! 次はどうなるの?」と入り込むことができるようになった・・・これが自転車の「乗れた!」と同じ、読書のひとつのゴールになると思うんですーー感覚は忘れない。
(絵本から児童書へ移行する時のお話は、お手紙(8)(9)(10)(11)でもお話しましたね)
ただ、ここでちょっと考えていただきたいのは、
読書の練習を始めた時、このゴールにたどりつく前に途中でやめてしまったら、自転車に乗れる前に練習をやめてしまった状態になると思うのです。
・・・つまり、子どもにちょっとだけ児童書を読ませてはみたものの、その生活にすぐゲームや動画やスマホが入ってきたら、「こっちのほうがおもしろい」と思うのは、私は当然かな・・・と思います(それが悪いと言っているのでは決してなく、現代の子どもが本好きになるには・・・というプロセスのお話です)。
なので私は、長女と次女を育てる時、
「ゲームや動画に出会うのは、文章が読めるようになってからで十分」
と考えていたんですね・・・。
「本(文章)を読んでおもしろさを感じるには、それを感じる頭の準備が必要で、少しの練習と少しの時間がかかる」もの。これが本(文章)の本質だと思います。
それに対して、色とりどりの映像や楽しいサウンドに溢れている動画・映像作品、ゲーム等は、「おもしろい!」と感じるのに時間がかからないもの。準備がなくても、大抵はいつでも、どんな人でも、楽しめるもの・・・だと思うんです。もちろん、それが魅力ですし、それだからこそ、たくさんの人を魅了します。
ーーこう考えると、読書のおもしろさが体に浸透していない段階で、ゲームや動画のおもしろさにハマってしまうのは、自転車に例えるなら
「練習の途中で電動自転車に乗せたら、もう自力で漕ぐ練習をしなくなってしまった・・・」という状態に近いかな、と思うんです(あくまで私見です)。
この場合「結局、自転車には乗れなかった・・・」という結論になってしまいますが、本当は、もう少しだけ頑張って練習すれば乗れたかもしれない、と私は思います。
そうだとしたら、これはもう、とてももったいないことですよね・・・。
ーーシオリさんは、どう思いますか?
子供の興味や個性や能力には、もちろんもともとの違いもあると思います。
だから、どれだけ環境を用意しても、本に興味を示さない子もいると思うんですね。
それでも、少なくとも可能性を持った子はたくさんいるはずだと思います。
そしてまた、これも何度かお話してきたことなのですが、読書の練習をする時は、
「おとなの思う、良さそうな本」ではなく、子ども自身が好きなテーマの本を読ませてあげてほしい
・・・なと思います(お手紙(7)(8)でもお話していますね)。
これは、自転車選びと同じです。
自転車を買う時って、おとなが一緒に「体のサイズに合っているかな?」「どのデザインが好き?」と丁寧に選んであげることが多いと思います。
子どもは自分にぴったりな自転車だからこそ、頑張って練習することができますよね。
「この立派な自転車で練習すれば、抜群の運動神経を手に入れられるよ!」と体に合わない高級自転車を与える親はまずいないと思います。
高級自転車を乗りこなすのが目的ではないからです。
ーー本もそれと同じだと思います。
「好きな内容」「成長に合った文字の大きさや文章量」「習っていない漢字に読み仮名がついていること」・・・など、子どもに合ったものなら本人も読む意欲が湧きますし、「最後まで読んでみたら、おもしろかった!(=自転車に乗れた)」という感覚をつかみやすいと思うのです。
ーーちなみに、我が家の話ではありますが・・・
子どもに「体に合わない自転車を押し付けてしまった」私の失敗談をひとつ。
少し前、小学2年生の次女に、低学年向けに編集された「赤毛のアン」を勧めてみました。「文章がかなり短くなっているし、イラストもいっぱいあるし、そろそろ読めるだろう」・・・と期待を込めて渡したのですが、数日経って次女から
「あのね・・・何ページか読んでみたけど、人の名前がわからないの・・・」と言われて返されてしまったのです。
けっこう、ショックでした。
気力を振り絞って話を聞いてみると、
「アンやダイアナはわかるんだけど・・・マシューとかマリラがよくわからないの。男の人? 女の人? 何歳くらい? 絵は描いてあるんだけど・・・なんだか読んでて浮かばないの」とのこと。
なるほど、どうも初老の兄と妹が同居している・・・という設定が、彼女のイメージのなかで焦点が合わず、また、プリンスエドワード島という舞台やグリーンゲイブルスという「家の名前」・・・という文化的背景がピンとこなかったようなのです。
話の魅力に達する前に挫折してしまったようでした。
確かに、文化的な背景や外国人の名前がすっと入ってこないのは子どもにはあることだな・・・と思い、この時は「別のを読もう!」と切り替えて、日本の小学生が学校で活躍する人気の児童書シリーズを勧めてみたところ、こちらは楽しんで読むことができました。
どんなに名作でも、その時の子どもにとって「読みづらい本」は、「漕ぎづらい自転車」だったのだと思います。
「赤毛のアン」はまた数年後、編集されていないバージョンをお勧めしてみようかな・・・と再チャレンジをひそかに誓ったのでした。
ーーちなみに私は、
「自転車に乗れた!」と同じように「本がおもしろかった!」と子ども自身が感じられるようになった状態を「本好きに仕上がった」という言葉でよく表現しているのですが・・・。
次のお手紙では、我が家の娘達が本好きに仕上がるまでチェーンリングのように読んでいたシリーズ本について、少しお話できたらと思っています。
お手紙、続きます。
〈好ききらい得意不得意よりも「慣れ」 からだでおぼえて自転車と本〉
・お手紙(20)はこちらからどうぞ。
(20)5歳頃から〝積読本〟と暮らすことが「本読む子」への最短ルートでした~10年前に出会ったママさんへ~|涼原永美 (note.com)
・お手紙(1)はこちらからどうぞ。
(1)5歳頃からの積読本が「本読む子」への最短ルートでした~10年前に出会ったママさんへ~|涼原永美 (note.com)
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