私の生きていた意味、私が生きる意味
最近、色々な人間関係がごちゃごちゃになっていますね。
私個人の、勝手な感情内でのお話かもしれなくて、実際は大したことなんてなかったなんてオチがあるのかもしれませんが。仮にそうであったとしても、死に際くらいの遠い未来でなければ、それに納得できることもないでしょう。
通所が嫌になった
まず、私に起こった出来事からお話ししていこうと思います。
端的に見出しの通り、通所が嫌になりました。
きっかけは、あると言われればあるのですが、100%これが原因というよりかは、10〜20%の小さな心の引っ掛かり、棘のようなものが、積もりに積もって「もう嫌だ!」という結論に達したような感じです。
もしかすると、ここで詳しくお話するのは初めてかもしれませんが。
先月、通所先でちょっとしたトラブルがありました。
心身共にめちゃくちゃしんどい日に通所して、今日の活動はセーブしていこうと思い、私にとって最大限の譲歩として、『読書』や『勉強』を選びました。それ以外のことをする気力が無いというか、できる気がしなかったからです。
しかし、スタッフさんは体調の悪い私に対して「話がしたい」と思っていたようで、「〜時までは読書でいいけど、そこからはお話がしよう」と言われました。何度も言われたわけではありませんが、「勉強や読書は家でもできるから」という文言で、やんわりと否定してきた感じ。
言葉の上では、ここですべき活動ではないという意味での否定でしたが、その日の私にとっては、私の『譲歩』に対する否定のように感じてしまいました。
この時点で、このスタッフさん(スタッフA)との間に、心理的な亀裂が生まれたように感じます。
さらに、そのお話の中で、最近気になって不完全燃焼感のあることについて触れられました。
端的に説明すると、通所先に、たまに別の利用者さんが子どもを連れてくることに関して、私は納得できていませんでした。子どもは遊びに来る感覚で来るし、子どもがいれば本来サービスをすべき利用者への配慮がほんの少し手薄になってしまう。また、何かの拍子に子どもを怪我させてしまった時の責任が取れないというのが、私の中で一番大きな理由だったかもしれません。
ともかく、そんな感じの理由で納得できていませんでした。
それに対してスタッフさんの回答は、「見守るような感じの、おばあちゃん目線でいきましょう」というもの。
私は、私なりのものの見方を結構気に入っていて、それそのものが私の在り方に直結する大切なもの、掛け替えのない世界で一つのものだと、不器用ながらも誇らしく思っていました。
いうならば、私の心のパーソナルスペースに、土足で入った上、荒らして出て行かれたような心地でした。
それを言ってきたスタッフさん(スタッフB)とは、もう何も話したくないというか、話すことは何もないと感じてしまうし、二度と信用もできる気がしない、したくもないくらい、強く感じてしまいました。
その後、なんとか通所していく中で、スタッフBとは極力距離を置くようにしていたし、できるだけ目も合わせないようしていたので、平穏というか、進展無し。
問題はスタッフAさんの方。ちょっと強引な方なんですよね。
相手の度量を上手く測れず、「これくらいならできるよね?」みたいな甘ったれた信頼を押し付けて、自分のペースで私を引っ張っていってしまうというか。
そんなスタッフAさんに、私の心も体もついていききれなくなっていました。
先週の木曜あたり、なんとか通所して、今日は大人しくできる活動がいいなと思っていたらウォーキングで、歩いて15分くらいの100円ショップまで行って、ハロウィンイベントの飾り付けの買い出しをしようと。
断れなかった私も私ですが、何も言ってもないし頷いてさえいないのに、断る間もなく話が進んで、スタッフさんは楽しそうに「ダイソーならありますよね?」みたいに話をしていて。
正直、「こいつら正気か?」と思いました。
でも、ここで相手のせいにできないのが私の悪いところで。
家に帰ってから、木曜日の夜から土曜日あたりまで、ずっと極端な体調不良に見舞われていました。心の問題からくるものなのですがね。
果てには、23時とかに「今から川行こうかな」とか、「1カ所くらいなら、自傷してもいいよね?」とか思っていました。幸いなことに、ODできる薬は持ち合わせがなかったので、運が良かったというか。
そういう思考になったところで、「自傷するくらいなら、休めばいいんじゃね?」という結論に至りました。
ここまでくるのに随分苦しんで、随分失敗して、何度も救急車のお世話になってしまったけれど、自傷するくらいなら休んでいいというか、そもそもそうなる前に休むものなのでしょう。
でも、自傷する前に『休む』という選択肢が取れたことに関して、私の中で大きな一歩だったなと思います。
親子関係は破綻していた
上記の問題がひと段落して、今週いっぱいは通所をお休みしていたところに、弟1のその後について、母から情報が飛び込んできました。
仕事を辞めて、お金無くて、保険も切れているはずなのに、生活保護の申請をしていなくて、母に助けを求める電話がかかってきたんだとか。
それで「明日、弟1のところに行ってくるね」と、暗い声の電話が、私のところにかかってきました。
そこで母と話していて、「さっさと家を追い出すように出て行かせたのは間違いだった」とか「もっと一緒にいてあげれば良かった」とか、まあ色々言ってましたね。
それとは別件でこの数日前にも電話がかかってきたのですが、その時は「通信制の大学を辞めようか悩んでいる。生活費のためにバイトを始めたけど、忙しすぎて勉強ができない」と言われました。
私個人の話に入る前に一応。
弟1の方は、母が行ったことで無事、生活保護の申請手続きが終わり、その他緊急時のパイプも繋ぐことができたらしく、ひと段落しています。この後に、保護費用内の物件への引越しや、もしかしたら自立支援医療や障害者手帳、障害年金などの手続きが待っているかもしれませんが。まあその辺は、弟1が自分で解決することなので、私は特に何も言いません。私も全て自分でどうにかしてきましたし。
閑話休題。本題に戻って。
私は、母との親子関係は成立していないと、ずっと昔の記事でかいた記憶がありましたね。内容は忘れましたが。
それについて、母もやっと自覚し始めたなって感じがします。
大学の件についても、私がこれだけ大学へ行きたがっているのに、自分だけ抜け駆けするように放送大学へ通い始めて、欲しい資格が手に入ったら今度は別の資格取得のために福祉系の通信大学へ転校して、入学金が高いと言いつつ払い直して、その末に「辞めようかな」って。
数年、母が大学行ってることに関しては、自分のお金で行っているのだから、私がとやかく言える立場ではないと、自分を納得させ続けてきたのに。蓋を開けたら、祖父母から金銭的な援助を受けていたり、果てには辞めようかと悩んでいたり、どれだけ温厚な、それこそ神様だったとしても、ふざけてんのかってキレて当然だと思うんですよね。
ここでマジで母に学校を辞められたら、私は気がどうにかしてしまうような気がします。それだけのお金があるのならば、どうして私を大学に入れてくれなかったんだ、って。
そういうところから色々、改めて見えてきたのですが。
母って、母個人の不安を拭ったり、願望を叶えたりするためばかりに動いて、私たち子どものこと、それこそ子ども未来のことなんて、自分の思い描いた通りの子に育ってくれればそれでいい、って感じだったように思います。
私が不登校になった時の「私が仕事へ行く、あなたは学校へ行く。それが当たり前なんだよ!」とか「どうして普通にできないの…」とか、典型例ですよね。
私の未来のために「学校へ行きなさい」と言っているのではなく、母個人の感情の始末をつけるために「学校へ行きなさい」と言っていたのだと思います。
そして、”普通っぽく”育てていれば、”普通っぽい”大人に育つとでも思っていたんですかね。離婚前も離婚後も、十分異常な家庭環境だったと思いますけどね。この結果にも、私個人的には納得なのですが。
むしろ、離婚前の方が幸せだったかもしれませんね。もしかしたら死ねたかもしれないし、もしかしたら児相に保護されていたかもしれません。そうしたらもしかすると、何か未来が変わっていたのかも。
限界ギリギリの家族なんて続けていたから、私も、弟1も、心が壊れてしまった。
20を超えた大人になってもなお、引きずり続けている。私なんて、来年1月で23になりますからね。
バカみたいな話です。救いようのない話。
これが、ここ2週間くらいで私と、私の身近な人間関係で起こったこと。
私の生きてきた意味
どう頑張っても現時点では、私の人生は『失敗』でしかありません。
もちろん、私はどの時点においても手を抜くことはなかったと思いますよ。その時の私が取り得る最善の手を取り続けた結果がこれなのだから、後悔も何もありません。全てが仕方のないこと。
公開の隙もないほどに突き詰めて生きてきたのに、この結果なのだから、『一体なんのために生きてきたんだろう?』くらいの疑問を持つことを、どうか許してほしい。
私のため?私はこれっぽっちも満足していない。
母のため?生活保護になった時、母を泣かせたのはあなただ。
友人のため?あなたは何度も裏切ってきた。
恋人のため?負う必要のない責任を負わせようとしてる。
誰のため?なんのため?どうしたかったの?何になりたかったの?
どうなれば満足するの?満足とまではいかずとも、良かったと思えるにはどうしたらいい?
全てがわかりません。
何も報われたと感じることができないし、そう思うからこそ、私の全ての行動は、報われるには足らないことのように感じてしまう。
自分自身に、価値というものを見出すことができない。
私が生きる意味
こんな私に、生きる意味なんてあるはずがないんです。
社会のお荷物どころか、家族にとっても、友人にとっても、恋人にとっても、誰もかも全てにとってお荷物にしかなれない。
世界は非常で、何度も私の居場所を奪ってきた。私が失いたくなかった感情も、夢も、平々凡々な未来さえも、私の未来から奪った。
それでもやっぱり世界は非常だから、誰も「死ね」とは言ってくれない。
死ぬのが怖いだけなのかもしれませんね。
でもそれ以上に、お荷物な私にも「生きて」と言ってくれる人がいるってことの方が、私にとってとても大切なこと。
私は、私に関する意味や理由を、他人に押し付けるのが嫌いです。だってそうしてしまったら、何かが上手くいかなかった時、責める相手が自分以外になってしまうか。そういう無責任なことがしたくないのです。
だけど、私が生きる意味だけは、私に「生きて」と言ってくれる人たちを理由にさせてほしい。
それが赦されるのならば、もしも世界にたった一人しか居なくなったとしても、そのたった一人が消えるまで生きるよ。
私に生きてと言ってくれる人たちへ
i love you.
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