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【絵本エッセイ】うちの絵本箱#7『せなけいこ「ねないこだれだ」ほか~怖いけど楽しいおばけと大好きなお母さん~』【絵本くんたちとの一期一会:絵本を真剣に読む大人】

特集 怖いけど楽しいおばけと大好きなお母さん~せなけいこ『ねないこだれだ』『きれいなはこ』『どろどろ』『あーんあん』『いやだいやだ』~


0.はじめに

 本シリーズもついに第七回です。様々な作品を取り上げてきましたが、毎回特に決まったコンセプトがあるわけではなく、行き当たりばったりで題材を決めています。今回は、私も娘もごく初期の段階で大変お世話になった絵本である、せなけいこの作品を取り上げることにしました。

 生まれて初めて娘が買ってもらった本は、『ノンタン』シリーズの一冊でしたが(おばあちゃんが買ってくれました!)、実質的に初めて読み聞かせしてもらった絵本は、私のおさがりである、せなけいこ作の『あーんあん』でした。何度もせがまれて飽きるほど繰り返しながら、私自身、せなけいこの素朴な貼り絵と、ユーモラスでぴりっとしたストーリーには、余人には真似のできない深い味わいがあると思い、大ベストセラー『ねないこだれだ』も買ってみることにしました。娘は怖がりつつも、すぐに気に入りました。『きれいなはこ』も『あーんあん』と同じシリーズですが、これも私のおさがりでよく読みました。もっと長い、『どろどろ』という少しマニアックな作品は、親戚のおさがりで、読み聞かせ方を毎回工夫しながら読んだ一冊です。『ねないこだれだ』と同じシリーズである『いやだいやだ』は、最近実家の物置から見つけたのですが、これも娘は最初怖がっていましたが、じきに慣れて、何度も読んでくれとせがむようになりました。

 いずれも一冊ではテクストとして短いので、まとめて取り上げることにしました。その際、おばけというキーワードでくくれるものと、それ以外という枠組みで考えてみることにしました。少し苦しいかもしれませんが、せなけいこの作品を考える上で「おばけ」というキーワードは外せないと思いました。どうかご了承ください。


1.おばけの魅力―『ねないこだれだ』『きれいなはこ』『どろどろ』より―

 そもそも「おばけ」って何でしょう。手元にある『広辞苑』(第四版)を紐解いてみると、「ばけもの。へんげ。妖怪。また、奇怪なもの、ばかでかいもの」とあります。「ばけもの」と「へんげ」の項はあまり参考にならなかったので、「妖怪」の項を見てみると、「人知では解明できない奇怪な現象または異様な物体。ばけもの」となっています。この「妖怪」についての説明で、一般的な定義はなされていると思います。しかし、せなけいこの作品に出てくるおばけは、もっと独特の含みを持っています。せなけいこにとって「おばけ」とは、せなけいこが描いたもの、と言ってしまっていいくらい、そのおばけはユニークで、せなけいこといえばおばけという認識が出来上がっているほど、その世界にとっておばけは外せない対象となっているのです。それがもっとも有名な作品『ねないこだれだ』(一九六九年刊)に端的に表れていますし、我が家の本棚にある他の作品、『きれいなはこ』(一九七二年刊)と『どろどろ』(二〇〇六年刊)にもしっかりと描かれています。この節では、せなけいこのこれらの作品において、おばけがどんなものとして描かれているかを探りながら、その魅力について迫っていきたいと思います。

 

おばけ大好き

 せなけいこのおばけの特徴を一言でいうとどうなるでしょうか。子供が怖がると同時に大好きな存在と言ってもいいと思います。おばけだから怖いのは当たり前として、せなけいこのおばけは、愛らしくて楽しいのです。『どろどろ』の二四ページに、「どろどろ どろどろ おばけだぞー」「あれ きみ へいきなの?」「うん ぼく おばけが すきなんだ」」とありますが、読者の子供も、怖いはずのおばけの登場を大喜びで待ち構えてしまうのです。

夏の怪談話の人気などから、おばけや妖怪の話を聞きたがる大人がたくさんいることがわかりますが、子供は一年中、真っ暗な夜の怖さと闘いながら、おばけの恐怖を味わっているのです。なので、大人がふざけて「おばけだぞー」と脅すと、普通は本気で怖がるわけですが、せなけいこのおばけの場合は、白い一反木綿のような愛らしい姿をして、人のようにしゃべったり動いたりして、あまり怖くないのです。読み方によっては怖くなるかもしれませんし、私の娘もかなり怖がる口ですが、『ねないこだれだ』や『きれいなはこ』のおばけは、結果として悪い子をしつける効果をもたらしてくれるありがたい存在ですし、人間とほぼ変わりないしゃべり方をしますし、姿形もまるでゆるキャラのようであまり怖くはないのです。これなら、怖いのと楽しいのとのバランスがとてもよく保たれる、という絶妙さです。私は、この怖さと楽しさとのバランスという性格が、せなけいこのおばけの魅力だと思うのです。

実際、せなけいこがおばけの本を出し始めたのも、息子さんが三歳のころから『ゲゲゲの鬼太郎』にはまって一緒に見ているうちに、子供がいかにおばけ好きであるかということが分かって、ご主人の噺家の影響をもあって、落語系のおばけ話を書いてみたというのがきっかけだったそうです。それ以来、柳田国男や御伽草子、中国の古典などを、幅広く読んでいるそうです。それくらいせなけいこにとって「おばけ」がライフワークとして重要であるということの表れなのでしょう。子供はおばけが好き、という観念が、彼女の脳裏に深く刻まれているのだと思われます。


しつけの装置としてのおばけ

 それでは、このバランスの取れたおばけの怖さと楽しさという特徴について、それぞれどういう性質のものなのか、考えていきましょう。まずは、おばけの怖い側面についてです。

 今も言いましたが、少なくとも『ねないこだれだ』と『きれいなはこ』では、おばけは悪い子にバツを与え、しつけの効果をもたらす登場の仕方をしています。『ねないこだれだ』では、夜遅くまで寝ない子をおばけの世界につれていき、『きれいなはこ』では、箱を取り合って喧嘩するねこちゃんとわんちゃんをおばけにします。このように、悪いことをしたり、守るべき決まりを守らなかったりすると、おばけに何かされたり、おばけにされたりしてしまいます。これは、子供にとっては怖い一面でしょう。やはりおばけとは得体のしれない存在であり、ものすごい力を持った、怖い対象なのです。

 ここで少しわき道にそれます。私は子供の教育についてのある新聞記事で、自分の子供がいうことを聞かないと、おばけを持ち出していうことを聞かせるという話を読みました。少なくとも私はしないのですが(夫は時々します)、このようにおばけをしつけに使うというのは、よくある方便のようです。私は科学的ではないのでどうかとも思いつつも、面白いしつけの仕方だなと思いました。子供が本当におばけの存在を信じているからこそ成り立つしつけの仕方であり、子供って空想豊かだな、と改めて感心した次第です。

いずれにせよ、子供は得体のしれない存在であるおばけを怖いと思い、それで、大人はおばけをしつけに利用するわけです。せなけいこもここでは、おばけをそういう教訓的な仕方で登場させているように見えます(おそらくそうではないのですが(註:参考文献4参照))。子供はそれで余計におばけを怖いと思い、ある程度反応すると思われます。


友達としてのおばけ

 ところが、『どろどろ』では、おばけはまったく違った性質の登場の仕方をしています。確かに怖いは怖いのですが、教訓的な暗示はまったくないのです。

 これは、おばけに友達としての側面があり、『ねないこだれだ』や『きれいなはこ』ではそれが怖さとのバランスとして表れていたのが、『どろどろ』では、前面に押し出されてきたということではないかと、私は思うのです。 

『どろどろ』では、おばけは祭りのフィナーレのように、最後に出てきて、踊りや太鼓や花火と一緒に話を盛り上げます。「どろぼう」や「にんじゃ」はおばけが怖くて逃げてしまうのですが、最初に引用したように、「ぼく」はおばけが好きだといっています。子供はおばけが好きで、ある意味で友達の意識を持っているのです。

『ねないこだれだ』では、確かにおばけは寝ない悪い子を脅しているのですが、手をつないでおばけの世界に連れて行ってくれます。この手のつながりがおばけと子供の友達意識の象徴になっているのだと思います。また、おばけは、おばけの世界とは、昼のつまらない世界とは違った、魅力的な世界なのでは、とどきどきさせてくれる楽しい存在でもあります。得体が知れないからこそ、豊かな可能性を秘めた存在でもあるのです。

『きれいなはこ』では、おばけは、喧嘩して友達をケガさせる悪い子である、ねこちゃんとわんちゃんに罰を与える存在として出ているのですが、友達を大切にしようと説く友達思いの権化として描かれているといっていいと思います。また、ねこちゃんとわんちゃんをおばけにしてしまうのですが、これこそおばけとねこちゃん・わんちゃんが同等の存在=友達になったことの表れだといえると思います。普通のお友達もおばけになれるのよ、おばけとお友達なのよ、と、オチがついた、ということなのではないでしょうか。

私は、こうした友達としての側面が、おばけの、また、特にせなけいこのおばけの、楽しい側面なのだと思います。そして、この楽しい側面と先ほど挙げた怖い側面との絶妙なバランスが、せなけいこのおばけの絶大なる魅力だと思うのです。


オチとしての機能

せなけいこのおばけの特徴について、もう一点述べておきたいことがあります。それは、話のオチとしておばけが出てくることが多いということです。

 『ねないこだれだ』では、いわば起承転結の転として、おばけが夜中は自分の時間だといって出てきますし、『きれいなはこ』では、けんかの仲裁役として登場します。そして、そのまま『ねないこだれだ』では、寝ない子をおばけの世界に連れて行ってしまいますし、『きれいなはこ』では、ねこちゃんとわんちゃんをおばけにしてしまいます。『どろどろ』では、最後の最後に出てきて、話を一転、お祭りのように盛り上げます。

 このように、せなけいこは、おばけを話の転換もしくはオチとして使うことが多いようです。おばけには、話をぐっと盛り上げ、世界を作り変える力があるということでしょうか。ともかくも、おばけをメイン・キャラクターとして使うことが多い彼女の場合は、そうしたおばけの力を意識的に取り込んでおり、オチとしてのおばけという手法を確立しているといえる気がします。


脇役たちの魅力

この節の最後に、おばけの登場作品に出てくる、サブ・キャラクターたちの魅力に触れようと思います。『きれいなはこ』にはいないので、『ねないこだれだ』と『どろどろ』に対象を絞りたいと思います。

『ねないこだれだ』と『どろどろ』に共通に出てくるキャラクターとして、「どらねこ」と「どろぼう」が挙げられます。どらねこは、しゃなりしゃなりと特に夜の町を徘徊する、野生の生き物というイメージでしょうか。どろぼうは、夜に人知れずこそこそと歩き回る怪しい人物というコノテーションでしょうか。いずれにせよ、どちらも夜に忍び足で歩き回る、得体のしれない存在であるところが、おばけと似ています。その意味で、おばけの世界の住人、もしくはおばけの世界への足掛かり的存在といっていいと思います。

その他、『ねないこだれだ』に出てくるのは、「ふくろう」と「みみずく」、「いたずらねずみ」、『どろどろ』に出てくるのは、「にんじゃ」です。こちらも、夜に活躍する不気味な不思議な存在であるところが共通しています。

「どらねこ」と「どろぼう」、その他のキャラクターにしても、今述べましたが、みな不気味な得体のしれない存在としてのおばけの世界に属する性質の持ち主です。おばけと一緒に、こぞっておばけの不気味であると同時に魅力的な世界を体現し、支えているのだと思います。

また、人物だけでなく、『ねないこだれだ』の時計や『きれいなはこ』の箱といった小道具も、特殊な不思議な力を持ったガジェットして機能していると思われます。

 こうしたさまざまな登場人物や小道具が、おばけの世界の伏線、足掛かり的存在として、機能的に描かれているのが、せなけいこ作品の世界の魅力の一要素となっているのではないでしょうか。  


 いかがでしたでしょうか。以上が第一節の、せなけいこのおばけの登場作品の魅力についての分析でしたが、委細は尽くされているでしょうか。まだまだ汲み尽したとは言えませんが、おばけのさまざまな性格について触れることができたのではないかと思います。それでは、次に、同じせな作品でも、おばけの出てこない『あーんあん』と『いやだいやだ』について考えてみましょう。これらもまた面白い作品ですよね。


2.自由な発想から生まれるキャラクターとストーリー展開―『あーんあん』『いやだいやだ』より―

 『あーんあん』(一九七二年刊)と『いやだいやだ』(一九六九年刊)は、おばけの出てこないせな作品の中では殊に有名な作品です。いずれもオランダの世界的絵本作家ディック・ブルーナの「うさこちゃん」シリーズに影響を受けているという4冊組の絵本シリーズの1冊で、そのタイトルともなっている処女作と出世作の中の代表作です。その主だった魅力的な特徴とは何でしょうか。私は、自由な発想から生まれる奇想天外なキャラクターとストーリー展開といえると思います。


子供心をとらえる個性的なキャラクター

『あーんあん』の主人公は、保育園に通う「ぼく」ですが、その他に、保育園の友達の「わたし」と「ぼく」などの「みんな」、「せんせい」と「かあさん」が出てきます。先生と母さんは、大人で、「ぼく」を助けてくれる現実的な存在ですが、「ぼく」をはじめとする保育園の友達は、なんと、涙の海の中で魚になってしまいます。このように、母さんが帰ってしまうのを悲しがる「ぼく」、「ぼく」と一緒に泣いてしまう「みんな」は、喜怒哀楽のはっきりした子供らしい子供であると同時に、とんでもないほら話的な展開を見せる、自由なストーリーの中で生き生きと輝いている、きわめて個性的なキャラクターなのです(これは特に貼り絵から指摘できることであり、それぞれの子がはっきりと描き分けられ、それぞれの個性が輝きわたっているといえますね)。

 同様に、『いやだいやだ』にも、多数の個性的なキャラクターが登場します。なんでもいやだという、主人公のわがまま「ルルちゃん」、はっきりと叱り、だっこはしないと断言する、教育ママの「かあさん」、悪い子のお口にはいかないと断固拒否する、リンゴとケーキの歩ける「おいしいおやつ」、雲からじょうろで雨を降らせてばかりのしゃべる「おひさま」、同様に悪い子はいやだという保育園にはいていく「くつ」と大事な「くまちゃん」です。ルルちゃんと母さんは人間なのでまだわかりますが、これも性格がずいぶんはっきりしていますし、歩けるおやつ、自ら隠れてじょうろで雨を降らせる太陽、いうことを聞かない靴とクマのぬいぐるみなどといった登場人物は、かなり自由な発想の元に生まれたキャラクターだと言えると思います。

 ただし、これらはみな、子供たちの日常の生活環境と感覚からかけ離れているわけではありません。自由な発想のもとに生まれつつも、子供心をしっかりとらえ、またその中から生まれてきたキャラクターだと思われるのです。これは、せなけいこが子供という存在をよくよく観察し、理解しているからこその成果だと思われます。


日常的なスタートからのとんでもない展開

 もう一点、ストーリーについても同様のことが言えます。先に述べたような個性的なキャラたちが、最初はきわめて常識的な始まり方をしながら、すでに少し説明したような、とんでもない展開へと進むストーリーにおいて活躍するのが、この二つの作品の共通点だといえると思います。それでは、二つの作品はどんな展開を見せるのでしょうか。   

『あーんあん』は、まず、子供が保育園に行って、お母さんと別れるのを嫌がって泣くという、きわめて現実的な話から始まります。ところが、それが、友達に連鎖的に大泣きが広まっていくと、その涙がたまって海になって、子供たちが魚になってしまうという、とんでもない展開へとつながっていきます。最初はきわめて常識的な話だったのに、非常に大きな飛躍が起こるわけです。

『いやだいやだ』も、いやいや期の子供がすぐに「いやだいやだ」と言い、それに対して母親が抱っこを拒否するという、まったくありふれた話だったのが、おやつが歩いて逃げ出したり、太陽がいやだからと照るのをやめてじょうろで雨を降らしたり、と、突然の大飛躍と転換が起こります。

 ここは、第一節のおばけと同様に、自由な発想から起こる奇想天外な飛躍が、話の大きな転換を生み出しているといえると思われます。私はこれは、とても自由で、子供の遊び心を大いに刺激する、せなけいこの独特の世界観が表れているといえると思います。朴訥な貼り絵とはまた違った、鋭いユーモアのセンスの表れともいえるかもしれません。いずれにせよ、この自由な遊び心が、せなけいこ作品の特徴の一つと言えると思います。

 私はまた、これは子供という豊かな想像力を秘めた存在をよくよく観察したうえで、大人の創造性を加味したせなけいこだからこその創作の秘密とその魅力だとも思うのです。


オチの面白さ

ここで、もう一点、こだわりすぎるかもしれませんが、第一節と同様に、第二節でも、「オチ」という観点に言及したいと思います。   

『あーんあん』では、母さんが助けに来てくれて、「ぼく」が元の姿に戻るというオチになっています。先生が黒電話で電話して、母さんが「ばけつとあみ」をもってくるというところが、古き良き昭和の時代らしくて、いい味わいを出していますね。

 『いやだいやだ』では、「そうしたら ルルちゃんは どうするの?」と、ただ訊かれる

だけの、いわば「オチなし」です。

この二つのオチを比べると、はっきりとしたオチとオチなしとで一見だいぶ違いますが、

よく考えるとどちらも独特の余韻を残すという点で共通しています。『あーんあん』の場合

は「ぼくを たすけて くれるでしょ」と推量形になっていて、助け出されたどうかは絵

を見ないとわかりませんし、『いやだいやだ』でも、絵を見て初めて、ルルちゃんが泣いて

困っているのが見て取れます。この最後の文と絵との絶妙な間合いが共通しているのです。

これが独特の余韻を呼び起こす直接の理由だと思われます。

 

母親というモティーフ

オチに触れましたが、この二作品は、ある一つのモティーフが共通していることについ

ても特筆すべきだと思われます。

『あーんあん』では、何を差し置いても子供を助けに来る、愛情深い母親が最後に出てきますし、『いやだいやだ』では、子供のわがままに対しては断固とした厳しさが必要だとする、特徴ある母親像が描かれているように思います。この意味で、どちらも母親という存在が主題的に深くかかわっている絵本だといえるのではないでしょうか。そもそもこれらの本を子供たちに読んであげているのは、おそらく寝る前に一緒に床に入っている愛情深いお母さんたちです。その意味でも、お母さんという存在はこれらの本の大前提です。この二冊の本は特にそのことにも意識的であり、ゆえにこの二冊については、母親という存在がきわめて特徴的なモティーフになっているのです。


いかがでしたでしょうか。この『あーんあん』と『いやだいやだ』は、こうした性質から、子供をよく理解することから生まれ、子供心をくすぐるような、自由なのびのびした発想がみられて楽しいと同時に、愛情深いお母さんを意識した優しい温かな本であるといえると思います。この二冊は、この意味でお母さんと子供の両方にとって大切な本であり、ロングセラーである訳がよく分かる本なのです。


3.結語:せなけいこ作品の魅力

以上、せなけいこの五冊の絵本の魅力について考えてきましたが、ここで簡単なまとめをしたいと思います。私は、せな作品の魅力を次の四点にまとめられると思います。

1)代表作『ねないこだれだ』に端的にみられる、おばけの魅力です。何度も書きましたが、せなけいこといえば「おばけ」と言っていいのです。子供たちはせな作品のおばけが大好きなのです。

2)貼り絵の素朴な味わいです。おばけでも怖くない、愛嬌ある、素朴な貼り絵がなんとも不思議な味わいを醸し出しています(註:普通のお店の包装紙や役所の封筒などを活用し、三種類のはさみで切るそうです。代名詞である「貼り絵」を始めるきっかけとなったのは、師の武井武雄氏の弟子で、せなけいこには兄弟子に当たる木俣修がセロファンで影絵を作っていたのを手伝ったことだそうです。参考文献1参照)。

3)自由な発想から生まれた個性的なキャラクターととんでもないストーリ―展開です。愛嬌あるおばけのほかに、憎めない主人公、不気味なサブ・キャラクターなど、面白い登場人物が出てくるだけでなく、寝ない子がおばけの世界に連れていかれたり、箱からおばけが飛び出して悪い子をおばけにしてしまったり、泣いていた子供たちが魚になってしまったり、おやつが文句を言って歩き出したり、とんでもないことがおこって、はらはらどきどき読者の心をわしづかみにします。しかし、これはせなけいこが子供をよくよく観察し、理解しているからこその創作の賜物だと思われるのです。

4)モティーフとして表れているお母さんの愛情です、寝ない子を寝させようとしてくれるのは、読み手であるお母さんたちの愛情であり、作中のお母さんが何もかもを差し置いて助けに来てくれるのも、わがままを言うわが子を抱っこしないというのも、お母さんの深い愛情のなせる業です。


私は、以上のようなせな作品を、「怖いけど楽しいおばけの魅力と大好きなお母さん」と表現しようと思います。それ自体がおばけのように自由で不思議で、かつ主におばけについての本なのですが、子供がお母さんと一緒に楽しめる絵本という一面も持っています。

これは、大ベストセラー『ねないこだれだ』に一番端的に表れている特徴だと思いますが、この本だけに当てはまるのではないのです。私は、次に最近見つけた、これも代表作の『おばけのてんぷら』に挑戦してみたいと思っています。間の抜けたおばけという、おばけの新たな魅力が見つけられそうで楽しみにしています。

せなけいこの絵本。短い中にたくさんの要素が詰まっており、怖いけど楽しいおばけが活躍したり、とてつもないストーリーが展開されたり、楽しさいっぱいの本です。子供にとってもお母さん方にとっても強い味方ですよね。これからもロングセラーになり続けることでしょう。私たち大人も、子供たちと一緒にずっと楽しみたいものですね。


参考文献

1)月刊『絵本』一九七四年十月号、二六―二七頁「自家用絵本」

2)別冊太陽『絵本の作家たちⅢ』平凡社、二〇〇五年、二二―三九頁「せなけいこ」

3)『母の友』二〇一一年四月号、三六―四三頁「絵本作家のアトリエ44せなけいこさん」

4)せなけいこ『ねないこはわたし』文藝春秋、二〇一六年

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