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泉鏡花「外科室」を読んで

note で募集中のお題に #夏の読書感想文 というのがあり、子供の時「読書感想文」というものがあまり好きではなかったことを思い出した。自由なテーマで作文を書くのは好きでたまに先生に褒めてもらえたりすることもあったけど、読書感想文は本当にダメだった。面白く思った本でも感想文は書けなかった。
夏といえば読書感想文だ。いつまでも埋まらない400字詰め原稿用紙5枚分の何と憎らしいことか。素麺の麺つゆに1枚1枚浸したのち、36度の炎天下に晒してやりたい。

1年ほど前、青空文庫をぼんやり眺めているうちにうっかりと泉鏡花の「外科室」という短編を読んでしまい、何だこれは、と頭を抱える事態になった。
#夏の読書感想文 というお題を見てなぜかこのことを思い出した。あれは夏を想起させるような内容では全然なかったはずだけれど。でもちょうどいいので、気負わず「読書感想文」を書いてみることにする。


※以下「外科室」のラストシーンまでのネタバレを含みます。


「頭を抱える事態」というのは比喩ではない。本当に頭を抱えた。何というものを読んでしまったんだと思った。
この「外科室」という物語は、画家である語り手が画家であるという立場を利用して外科手術の見学に参加するところから始まる。まずこの時点で酔狂だなと思う。「まったく画家という生き物は」と書き出してしまいたいところだが、しかしこの部分はあっさりと描写され、深く言及もされていないので、私も深くは触れないことにする。

執刀医は画家の友人である高峰という男で、

ときに予と相目して、脣辺に微笑を浮かべたる医学士は、両手を組みてややあおむけに椅子に凭れり。(中略)この大いなる責任を荷える身の、あたかも晩餐の筵に望みたるごとく、平然としてひややかなること、おそらく渠のごときはまれなるべし。
医学士はと、ふと見れば、渠は露ほどの感情をも動かしおらざるもののごとく、虚心に平然たる状露われて、椅子に坐りたるは室内にただ渠のみなり。そのいたく落ち着きたる、これを頼もしと謂わば謂え、伯爵夫人の爾き容体を見たる予が眼よりはむしろ心憎きばかりなりしなり。

と、描写がある。
そんなことはどこにも一言も書いていないが、これは容姿の優れた男に違いない。友人である「予」(画家)に向けて微笑を浮かべた以外は、(患者の親族や関係者が慌ただしげで顔色も穏やかでない中)両手を組んで、室内でただ1人やや仰向けに(やや仰向けに!)椅子に凭れ、晩餐の席についているかのごとく平然としている。容姿の優れた男に違いない、は言い過ぎだった。そうであってほしい。ただの私の願望である。
皆、お好きな男性俳優で想像してみるといいと思う。ちなみに私の中では、日本人ではないけれど若い頃のアラン・ドロンで再生されている。

さて、手術台に横たわる患者はというと、貴船伯爵という身分の高い人物の夫人であり、以下、

(前略)伯爵夫人は、純潔なる白衣を絡いて、死骸のごとく横たわれる、顔の色あくまで白く、鼻高く、頤細りて手足は綾羅にだも堪えざるべし。脣の色少しく褪せたるに、玉のごとき前歯かすかに見え、眼は固く閉ざしたるが、眉は思いなしか顰みて見られつ。わずかに束ねたる頭髪は、ふさふさと枕に乱れて、台の上にこぼれたり。
 そのかよわげに、かつ気高く、清く、貴く、うるわしき病者の俤を一目見るより、予は慄然として寒さを感じぬ。

病により痩せてしまい、手足は薄い絹の重さにさえ耐えられそうにない、しかし明らかに「美人」だという描写をされている。何より語り手である画家自身が、そのか弱さ、気高さ、清さ、貴さ、うるわしさに「慄然として寒さを感じてしまった」と。
慄然。恐ろしさにぞっとするさま。ふるえおののくさま。一体どれだけの美人なのだろう。

貴船伯爵夫人は重い病により開胸手術を受けることになったのだが、手術の直前になって「麻酔を使ってほしくない」と訴え始める。夫人には誰にも言えない秘密があり、麻酔を使って夢うつつの間にそれを喋ってしまうのが怖い、麻酔を使うくらいなら病など治らなくてもよい、というのだ。
周りは皆もちろん困惑し、夫人を説得しようとするが夫人の意思は固い。

「夫人、あなたの御病気はそんな手軽いのではありません。肉を殺いで、骨を削るのです。ちっとの間御辛抱なさい」
 臨検の医博士はいまはじめてかく謂えり。これとうてい関雲長にあらざるよりは、堪えうべきことにあらず。しかるに夫人は驚く色なし。

夫人や伯爵、看護婦のやり取りを黙って見ていた執刀医の高峰がついに口を挟む。ちなみに前後の描写からしてこの時点でもまだ高峰は椅子に座ったままである。「先刻よりちとの身動きだもせで、死灰のごとく」座ったまま!
病院、手術室という場において圧倒的強い立場にある医師からのほとんど脅しのような説得だが、それでも夫人は揺るがなかった。

夫人の病状は一刻を争う。彼女の覚悟を読み取った高峰は「看護婦ちょっとお押え申せ」(この言い方もいい。声に出して読みたい日本語である)と看護婦たちに夫人の手足を押さえさせ、麻酔なしで開胸手術に踏み切る。

 と見れば雪の寒紅梅、血汐は胸よりつと流れて、さと白衣を染むるとともに、夫人の顔はもとのごとく、いと蒼白くなりけるが、はたせるかな自若として、足の指をも動かさざりき。

胸から流れて白衣に染みた血を「雪の寒紅梅」と喩えているのがもうどうしようもなく官能的である。

メスが骨に達すると夫人は深刻な声を絞り、その身体を器械のように跳ね起こした。そしてメスを持つ高峰の右手に両手で取りすがり、

「痛みますか」
「いいえ、あなただから、あなただから」
 かく言い懸けて伯爵夫人は、がっくりと仰向きつつ、凄冷極まりなき最後の眼に、国手をじっと瞻りて、
「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」
 謂うとき晩し、高峰が手にせるメスに片手を添えて、乳の下深く掻き切りぬ。医学士は真蒼になりて戦きつつ、
「忘れません」
 その声、その呼吸、その姿、その声、その呼吸、その姿。伯爵夫人はうれしげに、いとあどけなき微笑を含みて高峰の手より手をはなし、ばったり、枕に伏すとぞ見えし、脣の色変わりたり。

「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」と言うやいなや、高峰が持つメスに片手を添えて、自らの胸を深く掻き切ってしまった。
高峰は高峰でこれに対し真っ青になって慄きつつも「忘れません」と返している。夫人はうれしげに、あどけない笑みを浮かべてそのままばったりと伏してしまった。

急展開である。

ちょ、え、ちょっと待って。ちょっと待ってほしい。こんな急展開、動揺するしかないだろう。どういうことなのか。何なんだこの2人は。「あなたは私を知りますまい」とは何だ。ただの医者と患者ではなかったのか。その声、その呼吸、その姿を「忘れません」って何だ。

 そのときの二人が状、あたかも二人の身辺には、天なく、地なく、社会なく、全く人なきがごとくなりし。

「その時の2人の様子は、あたかも2人の周りに、天もなく、地もなく、社会もなく、人すら全くいないようであった。」

* * *

この後、物語は場面転換し、語り手の画家による回想シーンとなる。
9年前、「予」(画家)とまだ医学生であった高峰は連れ立ってツツジの花が咲く小石川の植物園を歩いていた。日傘をさした高貴な婦人たち、その御者たちとすれ違った時、高峰は思わず後ろを見返す。「予」が「見たか」と聞くと、高峰は頷いて肯定した。

高峰は何を見たのだろう。
実はすれ違った婦人の1人がのちの貴船伯爵夫人だった。この時高峰は彼女にまさに一目惚れをしていたのだ。そして彼女の方もまた高峰に気づいており、一目惚れをしていた。2人はお互い誰にも思いを明かさぬまま9年の時を過ごした。時と共に思いが消えることはなく、次に再会したのが高峰の勤める病院だったのだ。

高峰は植物園で傍らの若者たちが婦人たちをああだこうだと評するのを聞いて「ああ、真の美の人を動かすことあのとおりさ、君はお手のものだ、勉強したまえ」と「予」に話している。
真の美! 真の美!! お前は「ベニスに死す」のグスタフか? タージオことビョルン・アンドレセンと出会ってしまったグスタフなのか?

貴船伯爵夫人が麻酔を拒否したのはまさに9年思い続けた高峰のことを朦朧とした意識の中で喋ってしまうのを恐れてのことであった。高峰の方もまさか自分のことを同じだけ思い続けていたと彼女は知らなかったが、高峰の「忘れません」とは外科室での出来事を忘れない、という意味ではない。おそらくは「あなたは、私を知りますまい」に対し「9年前に小石川で出会ったあなたを忘れようがない」ということだ。最後に2人はお互いを知り、そして夫人は微笑みながら死んでいった。
物語は最後、

 青山の墓地と、谷中の墓地と所こそは変わりたれ、同一日に前後して相逝けり。
 語を寄す、天下の宗教家、渠ら二人は罪悪ありて、天に行くことを得ざるべきか。

と締めくくられるので、死因は分からないが(自死だろうか)高峰も同じ日に死んでしまったことが分かる。

本当にこんなことあるだろうか。

私はないと思う。9年も前にたった一目、会話もなくすれ違っただけの2人がお互いを思い続け、再会するやいなやこんな劇的な結末を迎える恋。または愛だろうか。私はこういうものを信じていない。特に憧れもない。
ただの創作上の出来事だ。だけどこれを読んで私はまさに頭を抱えてしまった。陶酔的で、倒錯的ですらある。こんなにもリアリティがないのに、こちらに殴りかからんと詰め寄ってくる中毒的なフィクション。何というものを読んでしまったんだろう。

こういうことがあるから、創作に触れることをやめられないのだ。
泉鏡花、何てことをしてくれるのだ。素麺の麺つゆに1枚1枚浸したのち、36度の炎天下に晒してやりたい。

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