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子供のことは子供が決める

子供も生まれて二ヶ月がたち、新生児からだんだんと赤ちゃんらしくなってきました。毎日、3時間おきにミルクをあげつつ、合間におむつを変え、機嫌が悪いと30分とか1時間とかざらに抱っこしていないといけないくらいの状況は、仕事に集中したりモードを切り替えたりするのができず、子育ての大変さを身にしみて実感する毎日です。

そうそう。先日、TBSラジオの「神田松之丞 問わず語りの松之丞」を聞いてたときのことでした。(最近のトピックだと紀州のドンファンとか高崎ザル、ロック座のむっちゃん、カエルポンプの話は最高です)

いつも面白く拝聴してるんですが、9月16日の「命」という回はかなりの衝撃的放送で、30分があっという間、かつ、展開も含めて、松之丞節炸裂の内容でした。おそらく、これまでの「問わず語り」史上でも上位に食い込んでくるんじゃないか?というものなので、ぜひみなさん聞いてみてください。

冒頭は、松之丞さんがグレーなマッサージ屋に行って「エステ猿」さんに間違えられるという枕からスタートするお話。そこから、松之丞さんに最近お子さんが生まれ、出産後の奥さんが肥立ちで倒れ、救急車に搬送されながらでの、人情話とちょっと政治的なトピックにも触れながらも途中で脱線しつつも本題、そしてドキュメンタリー仕立てなオチという秀逸な構成。

話の途中で、とはいえ講談師としていまや飛ぶ鳥を落とす勢いの神田松之丞だから、子供が生まれたことでニュースなどで騒ぎ立てることがあるかもしれない。そんな折に、奥さんが子供のことについて神田松之丞にあることを伝えたそうです。

子供が生まれて少しした頃。奥さんが「子供の性別は子供自身が決めるものだから、男の子とか女の子とかっていうのを人に聞かれた時にいちいち言わないでほしい」と松之丞さんに伝え、松之丞さんは最初は何を言ってるのはよくわからなかったようで、「なぜ?」と聞くと「例えば性同一性障害とか、男の子の体で生まれても、女の子との心があるとかあるから。その子の性別はその子が決めるから、今、男とか女とかそういうのは言わないで」と話したそうです。そこに対して松之丞さんは「お前はジェーン・スーより進んでるな、22世紀の発想だ」とツッコミをいれるという流れ。

この一連のセリフはいろんなところで話題になったようで。Twitterでもかなりこのシーンはコメントが殺到してました。

かくいう自分も、別に神田松之丞さんのセリフに乗っかるわけではないですが、子供の性別のことや、子供のことはあまりネットで出したりしないでおきたいと、前々から思っていました。

先に書いたブログでも愛称は書きましたが本名は伏せ、一応、性別も伏せています。けれども、別に完全に隠したいわけじゃないので、直接お会いした人たちに話すことはありつつも、特段、それを大きな声で言うつもりもありません。(もちろん、子供のことについて一緒に考えたり話題にしたりすることは大歓迎で、子育てのノウハウなり話題はぜひ共有したいです)

子供が生まれたり子育てされたりしている方々は、子供の写真や日々の様子をSNSなどで投稿されているのを私も日々見ますし、もちろん見ていてそのほのぼのとした様子ややりとりを温かく見守っているのですが、私個人としては子供の顔や日々の様子をあまりあげようという気になれないんです。

なぜなら、こちらが見たいと思う思わないにかかわらず、日々の様子が目に入ってしまうことで、子供自身にとっては、自分は会ったことがない人たちが、自分自身のことをつぶさに知っている状態(良い話も悪い話も含めて)にあるわけで、それもなんか変なことで、子ども自身にとっては「なんで自分のことこんなに知ってるんだろう」って思うわけです。(だからといって、SNSで子供のことを上げている方々を批判したいわけではなく、それぞれなりの事情や考えがあって投稿されていることだと思いますので、あくまで私自身の考え方です)

もちろん、折に触れて私も子供のことについて言及することがあるかもしれません。しかしそれは、私自身の思考や行動において登場人物として出てくるわけであり、子供をネタにしたことをしたいわけではない。あくまで、子供を一人の個人として捉え、その中で子供のことが話題になってくる、ということだと私は考えています。

子供にとっても、次第に成長するに従い、いろいろと考えがでてくるはずです。そのときに、また、私としても子供とインターネットとの付き合いも考えていければと思います。

子供のことは子供が決める」——それは、アイデンティティもそうですし、自身のことを表現したり発信したりすることもそうです。あまり、こちらで押し付けるべきではありません。

往々にして、男の子らしい服装や女の子らしい服装、男っぽい道具や女っぽい道具を与えがちですが、親がすべきことは、あくまで機会を提供することにとどまり、そこから、子ども自身がどういうものを見出すか、そのための環境を作る以外にはあまりすべきではないと思います。子供自身が表現について考える様になったときに、そうしたときに子供の表現や発信のことをともに考えていければと思います。

子供の成長や子育てを通じ、自分自身としてのあり方や社会との接し方についても学ぶ日々だと痛感します。


今後の執筆活動や取材、リサーチ活動として使わせていただきます。