暗がりを引き連れて、希望という光の路を築こう
100記事目。
前回のnoteに引き続いて、告白記事になります。
前回のnoteはこちら。
ぼくは元からネガティブな性格。
けど、何故か大学あたりで内側にあったポジティブな性格がうまく出てくるようになって、自分でも気楽に生きていけるようになった。
それでもたまに、気分が落ち込んだり誰かにされたことが気になると、ネガティブな自分が顔を出してくる。
「そろそろどうにかしないと」
そう思いつき、今回の記事で自分の暗い過去を書くことにした。
周りの人や友達、さらには家族にすら話していない話を書いていく。
これまで話していなかったのは、
「話しても仕方ない」
「話しても否定されたりして受け取ってくれないかもしれない」
という思いがあったから。
でも、このnoteという場所なら、書けそうな気がする。
そう思えてきたので、いよいよ書いていくことにする。
ただ、あまり重く受け取ってもあなたが大変だと思うので、
ぼくのことをあまり知らない人は、「こういう生き方をしてたんだ」
ぼくのことを知っている身内の人は、「こういう一面があったんだ」
そう思いながら、読んでくれると幸いです。
そして、この漆黒の過去を振り返ることで未来への希望につばげられたので、それについても書いていく。
普段はあまり言わないようにしてましたが、
「この記事は読んでほしいです。」
いじめ
最初からパンチ強めです。
ぼくは昔から悪い意味で目立っていたそうで、周りから「変な子」認定されていました。そして、性格上の問題で目をつけられやすかったため、小中高のそれぞれで、程度は違えどいじめを受けていました。
・いじめの経歴
小学校の頃は、友達同士の遊びの延長線でターゲットにされ暴力を受けることになったり、ちょい悪のやつらに嫌がらせを受けたりしていた。
時に喧嘩しても、「変な子」認定のおれの肩を持つやつは誰もいなかった。
これを聞いた親が学校に乗り込み抗議をしたが、学校はロクに対応してくれなかった。だから、学校はそういうもんだと思っている。
(乗り込んでくれたのには感謝してるけど、抜歯直後はきつかったな笑)
中学校の頃は、陸上部に入部してすぐに足に炎症を起こしてしまい、ドクターストップがかかった。夏に入る前から冬に入った頃までまともに走ることが出来ず、私生活にも少し影響が出た。しかし、部活は休まず通い続け、部活中には別メニューでストレッチや体幹トレーニングを行い、部活で使う器材の出し入れも行った。自分に出来る最大限を尽くした。
けど、一部には快く思われなかった。特に部活初めの同級生には。
それはそうかもしれない。部活がきつくなる時期に練習を抜けたから。
しかも、足のけがをして包帯やテープを巻いていたわけでもないから、一目見ても分からない。
だからか、嫌がらせを受けるようになった。
トレーニングをしていると「サボりやがって」と言われ、
器材を運んでいると「ちゃんと運べ」と言われるように。
時折、どつかれたこともあった。
次第に、3年生からもそんな目で見られるようになり、復帰した後もその対応は変わらなかった。それを察したぼくは、極力3年生と関わることを避けていた。幸い、1年と2年に理解がある人がいたおかげでそれが叶った。
高校の頃は、私立の自称進学校ということもあり、成績でクラスが分かれていた。入学当初は何とか上のクラスに通ったため、授業のペースも速かった。
1年の頃は少し苦労したが何とか上のクラスに残ることが出来た。
しかし、2年からはそうはいかなかった。
2年からはより出来る人が集まったので、授業のスピードもさらに速くなり、テストの難易度もさらに上がった。しかも、親しかった友達とも別れてしまったので、相談出来る相手がいなかった。
それらの影響と自分の出来なさが相まって、成績はクラスの底辺に。
そのうえ、クラスメイトの何人かが点数を聞きまわったり公開し合っていたこともあり、おれにも矛先が向けられた。
そんな底辺の成績が晒されると、「出来ないやつ」というレッテルが貼られるようになった。
そうすると、クラスの何人かはおれのことを下に見るようになり、嫌なことを押し付けては罵声を浴びせることもあった。
時には友達と過ごしていても、「出来ないやつ」のレッテルでいじられたり、おれ抜きで盛り上がったりしていた。
終いには、「点数が悪いお前は人格終わってる」なんてことを言われた。
そして、この点数が悪いことが原因で3年に上がる頃にはクラス異動となった。当時の担任は「成績が原因でクラス変わるやつは10年に1度やぞ」と言われ、当時はショックだった。
が、これが幸いなことに移ったクラスはおれの肌に合っていて、比較的過ごしやすかった。そう思えば、「10年に1度の異動」は名誉なことだ。
といっても、嫌がらせがなくなったわけではなく、元のクラスメイトがわざわざ「クラスで成績悪かったら、『Egg(この時は本名)よりも悪いわ~』って時々言ってるわwww」と教えてくれたり、また新たなクラスメイトからもちょっかいがあったり…
ここまでの分が溜まっていたのか、卒業間際に一度だけ破裂した。
教室の大掃除。教室で出たゴミをまとめて、ゴミ捨て場に捨てに行っていた。教室が2階にあったうえに、学校が山の上にあったために傾斜もあったので、捨てに行くのも一苦労だった。
そんな時に、ゴミをまとめて捨てに行こうとすると、ちょっかいをかけてきていたクラスメイトがゴミを追加してきた。それを入れて行こうとすると、また追加しに来た。他にもゴミ袋があるのに、おれにだけ追加してきた。その執拗さには慣れていたのだが、何故かこの日だけはそうはいかなかった。
何度も追加されてようやっと行こうとした時に、そいつの笑い声が聞こえた。その瞬間、おれの中の何かが「プツン」と切れた。
そいつのちょっかいが溜まったのか、これまでの分が溜まったのか分からないけど、次の瞬間には、持っていたゴミ袋を教壇の角に叩きつけていた。
何度も何度も。奇声も発さず、ただただ黙々と歯を食いしばって。
その異様さに気づいた友達がおれを止めてくれて、「落ち着け!」となだめてくれた。同時に、「一旦頭冷やしてこい」と言ってくれた。その友達はゴミの嫌がらせあたりから勘づいていたようで、それらを加味したうえでそう言ってくれた。幸いなことに担任がいなかったので、大きな問題にはならなかった。
一旦外に出てから、クラスがどうなったかは分かっていない。
でも、大半のやつはおれを「頭のおかしいやつ」なんて思ってるかもな。
あと、いじめではないが、バイトでも色々あった。
かつてバイトしていた飲食店で、キッチンを担当していた。
最初は洗い物担当が多かったが、時間が経つとキッチンでの担当も徐々に増えた。そこで、レシピを教えてもらうのだが、一度しか教えてもらえない。「もう1回見たからあとは分かるよな」理論だそうだ。それでうまくいかなかったら、「何で覚えてないねん」と説教される。それで一度怒られると、頭の中がぐちゃっとなってしまって、もうその日はダメになってしまう。
それで、何とか覚えて実践するが、日によって火加減が変わっていたり、
先輩たちが「そっちよりもこのやり方がいい」と横槍を入れるため、
上手くいかない。そんなおれは当然、戦力外扱いでほぼ皿洗いだった。
(おれ自身の覚えの悪さも一因だと理解はしている)
そんな時に何度も先輩たちから「大学行ってるくせに何で覚えられんの?」「社会不適合やな、お前」なんて言葉をかけられた。
それから、バイト先と色々あって辞めることになった。
ここまで自分で書いていても思うが、ずっといじめられてるんよな…
そして、読んでいて気づいた人もいると思うけど、おれってやり返さないんよな。
普通なら嫌がらせに対して怒ったりして喧嘩するのに、おれは全く怒らず一身に受け続けていた。
おそらくやけど、小学校の頃に喧嘩しても誰も味方になってくれなかった経験があったのかもしれない。そうなら、「怒るだけ無駄」と思ったのかもしれない。
しかし、これだけいじめられた経験があったおかげで得たものもあった。
「見極める目」と「作り笑い」だ。
・いじめの経験からのgift
大学は自分でコミュニティ(サークルや学生団体など)を選べる。
だから、そのコミュニティに所属している人間の雰囲気で、自分がいかに安全に過ごせるかを見極めることが出来た。
それを見極めるためにも、新歓にはなるべく足を運ぶようにした。
時には、いわゆる陽キャが集まる団体にも顔を出した。そういう人とは合わないと分かっていたので、なるべく接触しないように振る舞っていた。
なら、なんでわざわざ参加したのか?
それは、おれにとっての「良いコミュニティ」の定義は、「分け隔てなく人と接する」だったから。どんなキャラにも平等に接する空気がある団体かどうかを見たかった。
結果、その団体は上回生が気に入った新入生は優遇して班の所属を決めるというシステムがあることに気づけた。明らかに、先輩から構われている人と放置されている人に分かれていたことにも気づけた。おれは後者だったので、「こんなクソシステム(おれにとって)はごめんや」ということで入らなかった。
作り笑いのほうは、ある程度のいじりに対してもまともに返せるようになったことだ。
時折、親交を深めようとしているのか、おれのことをいじる人がいる。
おれ自身から明らかに人よりも立場が弱そうな雰囲気が出ているのか、初対面でいじられる時もある。
その中には、おれの心に傷をつけるいじりもある。
それに対して嫌な顔をしたらその場を冷めさせて、自分の立場が危うくなるので、作り笑いでその場を済ますようになった。(なんでいじられる側が気を遣わなあかんねんとは思ってる笑)
そして、その場を切り抜けてからそのいじりをかまして来た人とは二度と心を許さず、なるべく接触しないようにしてきた。
これらのgiftにより、どうにか平然を装うことが出来た。
好きになれない家
前回の記事でも触れた通り、うちの両親は仲が悪い。
まともなコミュニケーションが取れず、普段は筆談やLINEでのやり取りが多い。たまに喋っても、喧嘩腰なことが多い。
そして、時におれ伝いにコミュニケーションを取ることもある。
そうなると、怒りや呆れなどの負の感情をおれ自身が二人分抱えることになる。
両親がこんな関係であれば、当然家の中の空気は悪くなる。
こういう空気に満たされた家にいると、HSPである自分には苦痛でしかなかった。
・顔色をうかがう
加えて、おれ以外の家族はテンションにムラがある。
おれが何もしていなくても、本人たちのコンディションによっては機嫌が悪くなり、その不機嫌をはおれに向ける。
だから、第一声と顔色で機嫌を察し、機嫌が悪い時は話しかけないようにしている。
これを読んでいるあなたなら、「何で不機嫌を自分に向けるんや!」と真っ向から主張するかもしれない。
でも、おれにはそれが出来ない。
出来る人が羨ましい。
・家族内勢力図
家族内(特に両親間)で喧嘩が起きると、当然家庭内で派閥が生まれる。
うちの弟は母親派で、喧嘩が長期化深刻化するにれて父親と話さなくなった。
おれは、どちらの派閥に入るわけにもいかない。
おれには伝言役という仕事がある。
とはいえ、父親派は誰もいないので、必然的に話を聞くことがさらに増えた。
それが母親と弟は気に食わなかったんだろう。
二人が話していて、おれが加わろうとすると、
「あんた、父さんに話すつもりやろ」
とスパイ疑惑をかけられる。
二人からしたら、伝言役でありながら敵側という認識だった。
今はそんな扱いを受けていないが、学校で「出来ないやつ」扱いされていた当時のおれにはキツイ扱いだった。
・親との相性の悪さ
先述のスパイ疑惑や性格の違いもあって、母と接する時は何かと疲れてしまう。
おれとは違い、母は気が強いため、ズバズバ言う。それでメンタルを削られることもある。
さらに、おれの話し方に問題があるのか、話をしてもリアクションが薄い。時折聞いていない時もある。だから、自分のことを話すのを控えるようになり、母と話す前に「話す内容」を選定するようになっていた。
でも、母から話しかけることは多く、母のように聞き流すことは出来ないため、聞くことが多い。
いじめの話では触れていなかったが、おれはいじめられていたことを両親には話していない。
何故なら、自分の話をする前に親の伝言や愚痴が先に来て、あとから自分の話をする気力がなくなっていたからだ。
誰も知らない自殺未遂
リスカだったり薬物摂取ではないので、傷などもなくあまり目立たなかったから知らないですよね。
ぼくは、高校一年の頃。
飛び降りようとしてました。
秋の放課後。外が薄暗くなって、3階の教室から見たらその下は闇が佇んでいた。
そんな闇にふと飛び込みたい衝動に駆られ、窓辺に腰かけた。
このまま上体を傾けたら闇に行ける。
それか逆に上へと飛んでいけるかもしれない。
羽を広げてこの世界から逃げ出せるかもしれない。
学校は地元から離れたので、中学からの友達は0。
高校の友達とも波長が合わない。
家では親の不仲のうえ板挟みされる苦しさ。
救いがなかった。
そんなぼくでも、ここで飛び降りれば、楽になれる。
もしかしたら、誰か悲しんでくれるかもしれない。
もしかしたら、ぼくのことを気遣ってくれるかもしれない。
そう思い、後ろにいたクラスの友達たちの顔を見た。
ーー
ー
ここで少しだけ挟みます。
実は、ここまでは数人に話したことがあります。
その時はこう話しました。
「友達の顔を見た時、その友達が引き留めてくれた。だから、今こうして生きている」
ここでこう話した人に謝罪をさせて下さい。
ごめんなさい。嘘でした。
本当はこうでした。
ー
ーー
そう思い、後ろにいたクラスの友達たちの顔を見た。
笑っていた。
本気で闇に飛び込もうとしてるぼくを、
飛び込む気のない、冗談だと思い笑っていた。
この瞬間、ぼくの中で何かが変わった。
あぁ…、おれが死んでも誰も悲しまないな…
死んで3日もすれば、おれのことすら忘れるだろうな…
その場では取り繕って笑って返したが、内心は絶望にまみれていた。
おれには、もう死ぬという選択肢すらも奪われた。
どうしたらいいのか分からなくなった。
悩んだ挙句、ついには「受験に失敗したら失踪しよう」と企んでいた。
悩んでいた間も、学校と家でのストレスに苛まれ続けた。
しかし、ここで変化が訪れる。
センターが終わり、第一志望の大学には行けないとはっきり言われた夜。
志望先を考え直すために、塾から帰ることに。
帰り道の電車の中。独りで自分を責めていた。
結局、ダメだった。
自分はやっぱりダメなんだ。
そう責め続けていた時、ふと心が急に浮き上がる感覚がした。
まるで、深い海の底に辿り着いて、そこから海面へと浮上するような。
そんな感覚が広がった。
すると、おれ自身の思考も変わり始めた。
「次はどこの大学に挑戦しようか?」
そんな思考に切り替わっていた。
それから帰ってすぐ両親と話し合い、次の大学を決めて挑んだ。
そして今、その大学に通っている。
この急な浮上感が、大学生活でもプラスに働いてくれた。
これまでのネガティブな一面とは違う、ポジティブな一面が出てくるようになった。
だから、学校では明るく振る舞うことも出来るようになった。
積極的に自分から動くことが出来るようになった。
「何とかなるさ」という思考も身に付いた。
しかし、これは自分の中での変化であって、
誰かから助けてもらったわけではない。
だから、心の中の絶望に蓋をして、気づかないふりを決め込んでいるだけ。自分に麻酔を打ち込んで、痛みをごまかしているだけ。
だから、絶望が溢れると、蓋の隙間から漏れ出てくる。
だから、麻酔が切れると、また痛み出す。
そうなると、時折また闇へと体が誘われる。
闇に落ちぬように、常に気を張らねばならない。
これまでを振り返ってみて
ここまで自分の過去を書いたり話したりしたことはない。テーマからもわかる通り、かなりダークな内容に仕上がった。あまりダークにならないように、話の中に明るい要素も入れていた。
だがもちろん、これらの経験で得たものより弊害となったもののほうが多い。
その一つが、「可哀想な境遇にいた人への共感が減った」ことだ。
過去に辛い経験をした人。
貧困などの苦しい環境から抜け出し、飛躍しようとしている人。
そういう人たちが、その過去の経験を話していているのを見ると、少し冷めた気持ちになる。
「結局この人たちは救われている。人やら運やらが味方したんだろう。」
「こういう人たちは暴露することで、主人公気取りたいんや」
そういう目で見るようになった。
また、その経験を利用して、相手に攻撃的になる人もいる。
かつて所属していたグループの代表がまさにそれだった。
会議の場で自分の過去を打ち明け、同情を買うことで、可哀想な代表アピールをしていた。その効果もあって支持は得られていた。
そして、自分のお気に入りのメンバーだけに積極的にコミュニケーションを取り、他には素っ気ない態度を取っていた。グループの利益になるようなことになると、いきなり首を突っ込んできて、偉そうに指示し始める。
しかも、普段から優しい面を見せていながら、自分よりも下と思った人には容赦なくいびり散らす。
ここでは言葉を選ばずに言うけど、その代表のことは「好色クズ野郎」だと思っている。
だから、自分可哀想アピールをしていたり、過去にいじめられていたと周りに公言しながら他人のことを悪く言ったりしている人を見ると、内心嫌になる。なんなら内心でブチ切れていることもある。
別にいじめられていたからといって、自分がやってもいいという訳ではないのに。その人は何か勘違いをしている。
過去にいじめられた人全員がそうではないので、お願いだからそういう態度はとらないでほしい。特に成人しているなら尚更。
もう一つは、「好意への恐怖」。
これまでひどい言葉やいじりを受けてきたこともあって、感謝や誉め言葉を素直に受け取れない。その言葉の裏を探ってしまう。
「本当はこう思っているけど、あえて隠しているんじゃないか?」
「お世辞で実は悪く思ってるんじゃないか?」
笑顔で返しながら、内心は不安で満たされていく。
だから、先日バイト先からもらったメッセージ色紙を開くのがすごく怖かった。そこに敷き詰められているであろう好意が、たまらなく怖かった。
いつの日か、この弊害を取り払えるようにもがいているが、中々うまく取り払えない。
ここまで読んでくださったあなたに、お願いがあります。
よかったら、ちょっと助けてくれませんか?
見つけた希望とは
と、ここまで書いておいて、どんな希望を見つけられたのか?
そこにはまだ触れていなかったですね。
むしろ、タイトル詐欺を疑っているかと思います笑
これまでの過去を振り返って、そして前記事にも書いた自分の特性を知ったことで気づいたことを、感情もまじえて並べてみます。
・感覚が敏感
・二つの人格がある
・HSS型HSPである
・家族との関係がいいとはいえない
・いじめを経験した
・かつて死を意識した
・人に偉そうな態度をとりたくない
ということに気づきました。
そして、この記事を書きながらこんな思いが芽生えるようになったんです。
「出来るなら、今苦しんでいる人の一助になりたい」
辛い経験をしていて、未だ救われていないからこそ、こう思えたのかもしれません。
だから、それを実践出来ることをしよう、いやしたい!
そう思うようになりました。
なんと就活が終わってからやりたいことが見えたんです笑
なので、今出来る形でどう実現しようか悩みました。
その中で、あることに気づきました。
それは塾でのバイトで相談に乗っている最中に気づいたのですが、自分には「傷を負っているからこそ、少しでも気持ちに寄り添える」という強みがあることです。
その気づきの結果、今のおれに出来る形は「ブログの開設」ということに至りました!
おれと同じく環境や人間関係で苦しんでいる人に少しでも助けになれるようなコンテンツで発信していく予定です!
ただ、4月から新社会人ということなので、かなりバタバタすると思うので、開設自体は少し先になると思います…。
そして、まだ決まっていないことが多いのですが、少しでも誰かの助けになれるようなコンテンツにしていきますので、出来たら覗きに来て下さいね!
そして、ここでこれからのnoteでの方向性も確定させます。
以前の記事でも触れましたが、この記事で100を迎えるタイミングでようやく、このnoteの軸が見つかりました!
それが、「マイナスな気持ちに寄り添う」ことです。
ぼく自身、マイナスな感情を抱きやすい人なので、世間が言う「ネガティブ思考はよくない」「ネガティブになったっていいことない」に苦しめられてきました。
なので、このnoteではそういうマイナスな感情をあえて発信し、そのうえでポジティブな方向に考えられるようにしようと考えました!
ただ、私自身がHSS型HSPということもあり、かなり多くの分野に興味を抱いています。
思ったことも書きたいですし、小説も書きたいですし、レビューも書きたいですし etc…
ということで、このnoteは「マイナスな気持ちに寄り添う」を軸にしながら、今まで通り色んなことを書いていきます!
ですが、そのままだとかなり記事が探しにくくなるので、ジャンルごとのマガジンを順次作成していきます!
恐らく、あり得ない量のマガジンになると思います笑
なので、ぼくのnoteのHPを「リンク集」か何かとして、マガジンを「各ジャンルのブログページ」と思っていただけると、探しやすくなると思います!
ブログが完成しても、このnoteでの執筆は止める気はないので、引き続き応援していただけると嬉しいです!
かなり長くなりました。
恐らく一記事の文字数としては、過去最高記録を更新しました笑
これからは、社会人となり新生活がスタートしますが、このnoteも同じく新たな気持ちで取り組んでいこうと思います!
ここまで、ぼくの過去を読んでくださりありがとうございました!
ああいう風に書きましたが、親が笑顔で送り出してくれたこともあr、今はまだマシなので今まで通り接してくれると嬉しいです!
それでは、これにて締めさせていだただきます!
改めてありがとうございました!!(9073字)
あなたのサポートがぼくの執筆の力になります!本当にありがとうございます!