目を閉じるからこそ、見えること #読書の秋2021
「普通と言われている状態っていうのがすでにもう足りないっていう価値観が一個あれば、いいんじゃないのかな」
そんな発想からつくられた絵本、『みえるとかみえないとか』を久しぶりに読みました。
数年前、小学校低学年の課題図書にもなってましたね。
4つ目の宇宙人たちが暮らす星では、目が2つしかないわたしたちを「かわいそう」と言って特別扱いしてきます。
「目が2つしかないのに歩けてる!」ってびっくりされたり、「後ろの話はしないであげようね」って謎の気遣いをしてくれたり。
できる人が多数派の世界にいくと、できない人はかわいそうがられる存在になる。これって不思議なことですよね。
逆にもし、今の地球にこの4つ目の宇宙人たちがきたら「怖い」とか「気持ち悪い」とか言われるだろうし。
絵本だからつい笑ってしまうけど、こういうことって日常のなかにたくさん起きているんでしょうね。
思い込みを取り去るのはむずかしいけれど、「いつもとちがう」をしてみるのはよかったです。
この絵本の兄弟のような立ち位置の本・『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の中にある、ソーシャル・ビューというアート鑑賞をしたことがあります。
実際には、視覚障害のある方と一緒に美術館を回って見えている人が、見たものや、見えていないけど感じたものを話して伝える活動なのだそう。
それを、目がみえる2人でオンラインでやってみたの。
方法はかんたん。
まず、お互いが、すきなアートを相手に内緒で用意する。
わたしはスマホで検索して、綺麗だなと思った画像。
お相手は、好きなアーティストのCDジャケットを用意してくれていました。(CDジャケットがアートって発想、この日までのわたしにはなくて始まる前から大発見!)
このアートは相手には内緒にして見せないまま、どんな作品なのかを説明するの。つまり、相手がみえない人の役になって伝えていくということです。
こんな形で、こんな色で。あったかい色が多いよ。形はあれに似ているよ。
そんな風に、一生懸命伝えます。観れば一瞬で理解できるものを、言葉で伝えるって、むずかしい。どのくらい伝えられているのかもよく分からなくて、じりじりしながらお伝えした。
一通り説明が終わったら、今度は役割チェンジ。
今度はわたしが見えない役。
どんな大きさの何を用意してくれたのか。
大きさ、色、筆のタッチ。作者であるアーティストのこと。
伝えようとしてくれているのと同じものを頭に描こうと努める。わたしのなかには、彼女が見ているであろうアートが、彼女の言葉で描かれていく。
説明を受ける側はかんたんだなぁなんて思っていたはずが、言葉で受け取ったアートを組み立てていくのもこんなにも難しいのかって思い知る。
目を封印してみて分かったのは、伝えることも、受け取ることも、すごく大変だ、ということ。
でもそれ以上に、いつもは半分くらいしか使っていなかった器官をフル稼働させる感覚が新鮮だった。そしてそれは、すごくゆたかな時間になった。
見えないからこそ、感じたことを口に出していくしかない。
この感覚って、前に経験したことあるあれと似ていて…なんて、アートとはまったく関係ないのに自分のなかでは繋がっているエピソードが数年ぶりに掘り起こされたりして。あの感覚は、はじめてだった。
絵本のように、自分の普通とはちがう人たちが暮らす星に身を置くことはできないけれど、地球にいながらだって、「いつもと違う」を体験してみることはいくらでもできる。ときどきやると、とってもいいよ。
ヨシタケシンスケさんの絵本はどれも、ワークをしなくてもこんな風に「こんなこともあるかもよ」って新しい角度からの見方をおしえてくれます。本ならひとりでも読めるところが素敵よね。
わたし最近、ものの見方が偏ってるなぁなんて思う方、ぜひ絵本を読んでみてくださいね。心までやわらかくなりますよ。
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