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大人の僕らが、失いつつあるモノ。

「大人になってから、失いつつあるモノ」

今日は、いつもと文章の構成を変えて、よりコンパクトにお伝えしていきます。
読者のみなさんが、少しでも自分の人生について考えるきっかけになれば幸いです。

■あの頃の、僕ら。

気づいたら、夜中の3時になっていた。

「そろそろ、カラオケ移動して寝るか。」

夜の9時に入った、ファミリーレストラン。横浜西口にある“ガスト”。
合計滞在時間、6時間。

最初の小1時間は、くだらないことを話していただけど、
残りの5時間、僕らの口から出てきた言葉は、

「人生の目的ってさ、、」
「生きることの意味ってさ、、、」

一生、答えの出ないであろう哲学的な問いかけについて、僕らは語りあっていた。

そう、すごく真剣に、そして熱く。

それは、僕が高校生時代の時の話である。

ある時、僕らの合言葉は、

「語るか。」

だった。

誰かの

「語るか。」

の合言葉で、だいだいサイゼリアに行き、店員さんに白い目を向けられながら、
平均時間5時間以上、ひたすらその名の通り“語る”

それは、身近な部活のことだったりしたけれど、
だいたいは、人間関係とか、人生とか、そんなことが多かった。

5時間後、割と充実感を得て、各々が帰路につく。

我ながら、ずいぶんマセた学生である。

でも、ふと思ったのだ。

大人になってから、僕は

「全然、語っていない。」


■大人になって失われつつあるモノ

今でも、14-15年前以上の学生時代の
“語り合い“は、記憶にあるのに、

3年前に会社の同僚や上司と話した内容は、記憶にない。

学生時代の方が、
よっぽど、人生というモノについて考えていたような気がする。

読者の皆さんでも、
最近、人生や生きることについて、話しました。
という人は、きっと多くないだろう。

大人になってから、人生について熱く語るなんて恥ずかしい。

それもそうかもしれないが、
【大人になる=悩みが増える】というのが、主な原因だと思う。

お金、仕事、キャリア、人間関係(上司、部下)、ポジション、結婚、子育て、健康、SNS。

これらの事で悩んだり、考えたりするのは、大人になってから。
“人生”とか、“生き方”とか、壮大なテーマは、脳みその脇の方に追いやられる。

特に、大人になるとやっかいなのが、人をレイヤリング(階層化)するようになることだ。

学生時代の気心知れた仲の良い友達に再会したとしても、
学生時代のようにフラットに相手を見ることは難しい。

相手の年収、キャリア、ポジション、結婚の有無。

が、頭をよぎるからだ。
相手の年収が自分の年収の4倍だった時、
「人生ってさ、、」

なんて、テーマを切り出す勇気を、僕らは持ち合わせてないのだ。
誰か、新しい人に会うにしても一緒。

仕事は?家族は?キャリアは?

こうして大人は、相手をレイヤリングして、自分とのポジションの違いを図りながら、

この人とは付き合っていけそうか。とか、
この人とはどんな話題で話そうか。とか、

考えるようになる。
学生の頃に比べて、ずいぶん煩わしくなったものである。

巷では、
“自分との対話する時間を確保しよう。”
“半年に1回は自分を見つめ直す時間を見つけよう”
“明日、死ぬとしたら、と考えよう”
“スマホから離れよう”

など、忙しい社会生活から一旦離れて、自分時間の確保、自分の人生の振り返りを、オススメする書籍が多い。

でも、

それを、アウトプットしている人は多くない。


■本当に必要なのは、対話(ダイアローグ)

今、僕たち大人に最も必要とされているのは、

対話(ダイアローグ)

では、ないだろうか。

自分の頭の中で考えて、自分の夢や人生のゴールを紙に書きだすのも良い。
ブログにそれを、書きだすのも良い。マジで、大切。

ただ、自分の中のアプトプットや発信だけにとどまらず、対話の中で、醸成していくこと。

つまり、大切なことは、

“人生について語れる友の存在”

であり

“人生について自由に語れる場“

ではないだろうか。

夢を語れるのは、成功者だけ。

そんな風潮や空気感をブチ壊し、

誰だって、人生について語って良いし、語りあうことができる。

そんな、社会になっても良い気がする。


ではでは、本日はここままです。

また、明日のnoteでお逢いしましょう!!


P.S 果たしてnoteはそんな世界になり得るのか、考えている。例えばそいういうテーマでコラボしてみるとか、リレー形式でどんどん輪を広げていくとか。そんな世界になったら、面白そうだ。誰か一緒にやりません??笑

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