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気をつけないと、だんだんうざくなる (村上春樹考)

自分の文章すら書いていてこの言い回しはなんかうざいとかいって消しまくっているが、直しても後で読み返すとやっぱりうざっとなること多々あり
なので人のこと言えないといえばそうだが
他人の発言文章もなんかうざいな、とひっかかる
特に初期はうざくないのにある程度地位を得て安心するとうざくなるというパターンが結構多いのか?そもそもうざさを消すのは不可能なのか

村上春樹はある程度読んだ気がするが、どうなるんだろうという展開と、たまに出てくる例えがあーわかるわかるとなって、突き詰めると結構意味不明でもまあそんなこともあるかと大局的に受け止める分には面白く読める。

この前なんやかんやで海辺のカフカを読んでなかったと思い、なんとなく夏休みっぽいイメージを抱いていたので読んでみた
わりと最近、(といってももう5年位経ってるのかもしれない)出してたエッセイ集みたいのにも、学校教育に対する怨み?的なのを書いてた気がするがなんかまあ言ってることはいいことなのかもしれないがなんかうざいな〜と思ったんだけどなんでうざいのかは忘れた
それ同様カフカの1章目あたりもなんかうざいなと思ってしまった。
主人公の独白みたいのも、これ15才の少年じゃなくて30歳の村上春樹じゃん。と思ってしまってあんまり入ってこなかった。特異な世界の話とはいえ、そんな喋り方してそんなトレーニングの手順を逐一脳内で独白する中学生いないだろって思ってしまい
幸いストーリーテリングの腕があるので、2章目から全然時代も場所もガラッと変わり「どうなるんだ」と思わせられて、なんだこの主人公はと思いつつ結局なんとか最後まで読めた。
主人公の違和感よりもっとうざかったのが、上巻の後半の方でフェミニスト協会みたいな人が図書館の男女共同トイレにいちゃもんをつけて、しかもその怒られてる側が元は女子だった男子みたいな場面があるんだが、
そんな小さい私有の施設にわざわざ来ていちゃもんつける奴いるのか?実話だったら申し訳ないが
なんか個人的にフェミニストに恨みでもあんのかな?と思ってしまった
その口論の様子を結構細かく書いてるんだけど、なんか意図的に相手を頭おかしく頭悪く書いて、それをうまく痛いとこを突いて言いくるめさせて、自分の書いた思い通りの世界の中でカタルシスを得てるようなうざさを感じるんだけど気のせいか
どんどんうざくなっていったかというと、1984とかはそういうのはなかった気がするんだが
社会情勢を文に取り込もうという意気込みがうざくさせてしまっただけなんだろうか

なんにしても手放しでハルキストになれないのはこういうところである

あと別にうざくはないけど人生で目にする8割方のいささかは村上春樹から摂取している印象
本当に伊佐坂先生だよね。サザエさんとどっちが先なんだろう。
村上春樹はもしかしたらちょっととか少しっていう単語を使わないのかもしれないとと思ったが、「レタスを少しと、トマトを少し食べた」とかいうようなことはよく言っている印象だしな
なんなんだろうな やっぱりいささか困惑したっいう方がスタイリッシュだからか

あと集合的無意識ってやっぱりあるのかなと思ったね
雷に打たれて生き残った人間のインタビューとか、親を探すとか、ちょっとハリー・ポッター味を感じさせる ハリーも15、6ぐらいで急にうざくなりはじめたよな
それとジブリ
若かりし頃の母(?)と会って、あの世(或いは三途の川)的世界をうろうろした挙げ句、最終的に元のごたごたした世界に戻ると決めるなんて、最新の『君達はどう生きるか』じゃんとか思ったり
書き出しの家出の準備なんかはラピュタの歌詞か?と一瞬思った

なんか全然違う話になっていた
本当はそこはかとないうざさについてくどくど語るつもりだったのに、次に回すか



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