日本の教育システムは世界で通用するか?
今日は、表題にある通りのテーマで書いていこうと思っています。
昨今では、フィンランド教育、イエナプラン教育、シュタイナー教育など、様々な切り口(オルタナティブな)からの教育が日本でも注目されています。
日本教育のここが悪い、海外の教育のここが良い、など国内では話題に上がってきていますが、果たして日本の教育システムは世界で通用するのでしょうか?
ここで、そもそも世界で通用するシステムである必要性について疑問を抱くかもしれませんが、確かにそもそも世界で通用するというのは何を持って世界で通用するということなのでしょうか。
まずはここからスタートしていきたいと思います。
その後、日本の教育についていくつかの事例を見ながら世界との対比をしていきたいと思います。
世界で通用するとはどういうことか?
皆さんにとって世界で通用すると聞いたときに、何を思い浮かべるでしょうか。
例えば、スポーツなんかでは世界で通用するアスリートを輩出する、というのは最終的にはオリンピックやワールドカップなどの世界大会で表彰台にあがることを指しますよね。
ビジネスの世界では、グローバルな市場で、世界各国の同業界にいる企業と時価総額や売り上げ規模を拡大することを指すと思います。
では、教育界において、世界で通用する教育システムとは何を指すでしょうか。
正解はないと思いますが、先日投稿した、「生きる力」について世界各国が出している指標がそれに値するのではないかと思います。
つまり、これらの生きる力をいかに効果的に育む教育システムかどうか、ということが世界で通用する教育システムだと言えるかもしれません。
上のブログから一つあげるとするならば、以下のようなスキルのことを指します。
日本は世界で通用する教育システムか?
さて、ここからいよいよ本題ですが、日本は世界で通用する教育システムなのでしょうか。
答えは、Yesであり、Noであるということです。またモヤッとした答えを出してくるなと思うかもしれません。
そりゃ、これだけの指標があれば、できているところもあれば、できていないところもあるでしょう、ということです笑
そもそも、教育システムに関していうと、考慮すべき軸は大きく分けると2つあると考えます。
教育インフラの側面
質の側面
教育インフラの側面
まず、1の教育インフラの側面に関しては、以下のブログでも投稿したように日本はやはりインフラ面では少なからず世界トップレベルであるということは事実です。
これまでは、上の図にあるように2019年までは、4.27台に1人程度の教育用PC普及率でした。世界各国に比べて遅れをとっていると叫ばれてきましたが、今回のGIGAスクール構想によって一気にインフラが整いました。
これは、日本という全世界に比べれば経済的に豊かな国だからこそできる力技でもあります。先日のUNESCOのYouth Consultationの会合に参加した時には、東ティモールやインドネシアでは、都市部とそれ以外の地域での"Digital Divide"(デジタル格差)が大きな教育格差を生んでいると問題提起していました。
確かに、日本国内でもインフラが整っているものの、まだまだICTを有効的に活用をスタートできていない部分もあるとはいえ、物理的にできる環境とできない環境とでは大きく理由は異なります。
また、これは一例ですが、私がカンボジアの農村部で英語教育活動をしていたときも、様々な学校へいきましたが、授業が始まらないので理由を聞いてみると、
"教科書がまだ届いていないから"
"先生が出稼ぎに出てしまったから"
といった理由で学習を十分に受けることができない状況を目にしました。
こちらにあるように、日本では、全国津々浦々に教科書供給の仕組みが完全に構築され、それによって転出入の児童生徒がいようが、新学期になろうが、教科書や教材が一人一人の手元に"完全"供給されます。完全ということは100%ということですから、これまでの出版社や教科書供給会社の努力の賜物です。
この事実自体はとてつもないことです。
質の側面
続いて質の側面です。質ということは、すなわち学習成果ということになります。UnicefのLife Skillsであげたような内容を育む体制のことが言えるかもしれません。
教育業界に従事していることがある方であれば一度は目にするスライドだとは思いますが、新しく学習指導要領が改訂され、運用が始まっています。
「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」という3つの軸を網羅的にしっかりと育むような教育体制を目指したカリキュラムになってきています。
まだまだ施行が始まったばかりですので、現場レベルの先生方の意識改革の部分が必要であったり、それに伴うトレーニングが必要であったりしますが、目指すべき方向性は"世界で通用する"教育システムを目指しているというのは理解できるのではないでしょうか。
また、各国の教育水準を測定する学習到達度調査(PISA)では、2018年は上のようになっています。とはいえ、こちらで測れるコンピテンシーはあくまで、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーに留まったものになりますので、全ての"世界で通用する"ためのコンピテンシーを測定できるわけではないということを認識しておかなければなりません。
また、日本はそれぞれ、15位、6位、5位となっていますが、人口の多さでみると、日本は人口規模が多いながらも、高い位にいることは賞賛すべき対象であることに違いがありません。
しかし、他のスキル、例えば、"クリティカルシンキング”や"共感性"、"主体性"といった能力はまた別の軸で評価が必要ですので、それに関しては日本が世界と比べてどの立ち位置にいるのか、は未知数です。
今年にもPISAが実施されますので、どのような結果になるのかが楽しみです。
今、日本教育に必要なもの
色々と数字も見ながら日本教育が世界に比べてどのような状況かを確認してきましたが、PISAでは世界でも上位にランクインしているものの、何か日本には現状の教育に満足していない雰囲気が漂っています。
おそらくそれは、PISAでどれだけ高水準な数値を叩き出しても、「別の部分が不十分そう」であるからという感覚があるからではないでしょうか。
まさに、文科省の上にある「知識・技能」は申し分ないが、「学びに向かう力・人間力」「思考力・判断力・表現力」が足りない感覚がそうさせているのかもしれません。
Unicefのこのレポートがわかりやすかったのですが、PISAでは社会的スキルについても調査を行っており、OECD加盟国38ヵ国中下から2番目という結果になっています。
この調査は、「すぐに友達ができる」と答えた子どもの割合で、30%以上の子どもが、そうは思っていないという結果です。
また、こちらの学校への帰属意識が学力と生活満足度にどう影響しているか、ですが学校への帰属意識が高ければ学力も生活満足度も向上していることがわかっています。ただ一方で、学校への帰属意識が高くても、世界と比べると生活の満足度は低くなっていることは指摘すべきでしょう。
つまり、学校の帰属意識だけでない問題が裏にはあるということです。
これはおそらく家族であったり、地域であったり、日本の社会全体の部分であったりが関係していそうです。
オルタナティブな教育の是非と今後
最近では、海外の教育についても非常に注目されています。
他の教育について注目されているのは、現状の教育のあり方に満足できていないという意思の裏返しであるということです。
では、なぜか。これは何度も出てきていますが、やはりPISAで測ることのできる指標ではない部分が日本は不十分だからでしょう。
しかし、忘れてはならないのは、日本の教育は悪で、海外の教育は善、ということは全くないということです。教育に限らず二項対立で考えるとわかりやすいのですが、それは決して行ってはならないです。
これまであげてきたように、日本の教育の素晴らしい点、誇るべき点を紹介してきました。その点についてを全否定するのは間違っています。
とはいえ、不十分な点については、他の国の良い部分を取り入れていくことが必要であります。全てはバランスが大事であり、ICTを活用すること、それから行政による体制改革によってそのバランスをうまく調和していく必要があります。
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