日本とベルギーの対比にみる言語から民族への帰属意識と教育
今日は「言語と民族、そして教育」をテーマについて書いていきたいと思います。先月、以下の書籍を読み終えたので、備忘録的にも残しておきたいと思っています。
私は、2008年から2012年までの期間、ベルギーに住んでいました。父親の仕事の関係で中学2年生だった私は、千葉のごく普通の生活から突如初めての海外移住を経験したわけですが、滞在期間には「リーマンショック」や「東日本大震災」など様々なことが起こっていた時期でもあります。
当時の私はそんな大変な状況だったにもかかわらず、全く社会に対しても、経済に対しても、政治に対しても無知・無頓着でしたが、ベルギーでの日々を過ごしていると国内の民族同士のいがみ合いを見ることがありました。
少しベルギーについて補足しておくと、ベルギーは公用語としてフランス語とオランダ語、ドイツ語(少数)が指定されています。それぞれの言語を話す地域が以下のように分かれており、この地域同士が歴史的にも様々な観点から対立してきました。
※これは現在進行形で今も存在しています。
(出典:https://www.obonparis.com/ja/magazine/language-in-belgium より)
私は幼少期からサッカーをしており、ベルギーでも現地クラブに所属していました。(当時ベルギー2部リーグに位置するチームでしたが、現在このチームは経営破綻でなくなっています。)
なぜこの話をしたかというと、私が所属していたチームは主にフランス語を話すチームでした。(ベルギーにおけるフランス語圏を話す人はワロン人と言ったりします。)
毎週のリーグ戦で、他の地域へ遠征に行く機会があったりするのですが、もちろんオランダ語圏(フランデレン地域)のチームとの対戦もありました。
そんな時に民族対立を目の当たりにする瞬間が幾度となく発生します。
「審判の贔屓」、「観戦者同士のいがみ合い」、「試合の荒さ」、などがしばしば発生していました。オランダ語を話す人(フラマン人)がワロン地域に遠征に来ればフランス語を話すよう強要され、反対にフランデレン地域に行くと、フランス語を話しても無視されることなんてことが起こりました。
こんな体験をおぼろげながら今でも覚えており、言語と民族意識というのは密接に関係しているのだなと感じていたので、一度ベルギーという国について歴史を見てみたいと思い本書を手に取りました。
前置きが長くなってしまいましたが、私にとってはとても貴重な一冊となり、いかに日本と対照的な国であるか、一方でベルギーは王国でも知られ、天皇がいる日本とも共通する部分もあります。
今回は、①言語が非常に国の形成において重要な意味をもたらすこと、加えて②昨今の英語教育が日本においても重要視される中で、言語をどのように捉えていくべきなのかを考えていきたいと思います。
言語と民族意識の関係性
まず、言語と民族意識の関係性について考えたいと思います。本著を読んでいると、「言語があるから民族意識が芽生える」という側面もある一方で、民族意識があるから言語をその民族の”シンボル”にしよう、という印象がありました。公用語でそれぞれの言語が正式に認められているのも、民族同士がお互いに譲れないものがあるからです。実際にブリュッセルに行くと、標識も電車の電光掲示板も全て両方の言語(フランス語とオランダ語)で記載されています。
そもそもなぜベルギー国内において民族同士が対立しているかというと、経済的な側面が大きく影響しています。宗教などの影響ももちろんあります。
フランデレン地方(オランダ語圏)は絹織物等の貿易が盛んであることもあり、現代社会においての経済基盤はフランデレン地方にあります。
一方、ワロン地方は鉱石が採取できる地域でもあったので、産業革命直後には非常に経済成長に貢献してきましたが、想像の通り現在では石油に置き換わっているため、現在は経済的には苦しい状況にあります。
つまり構図としては、フランデレン地域の経済がワロンも含めたベルギー全土を支えていると言えます。
また、人口は全体で1149万人という小規模な国ですが、そのうちワロン人が360万人ほど、フラマン人650万人ほどというデータがあります。つまりざっくり分けて、ベルギーの人口の1/3がワロン人、2/3がフラマン人ということになります。ドイツ語を話す人もいますが、ベルギーにおいては極めて少ない割合になります。
近年ではフランデレン地域が経済的にベルギーを支えているため、地域間での不平等さを感じているため(他にも理由は様々ですが)、ここ10~20年は独立に向けた動きが多くみられています。
しかし、人口が少ない小国において分裂は避けたい、また1/3のワロンも割合的には無視できない存在である、というのがベルギーの国としてのスタンスではあり、また首都のブリュッセルではワロン系民族のフランス語を話す人口の方が多い状況もあり、非常に複雑な状況の中で生活しています。
そのため、かなり政治的にも地域的にも揺らいでいる状況が続いています。
これは私も当時よく知りませんでしたが、私自身が滞在していた2008年から2012年までは政権がないまま、それぞれの地域(フランデレン圏、ワロン圏、ドイツ圏)に自治権があり、ある意味個人プレーによって運営がなされていました。
ようやく2012年~2013年にかけてで政権成立に向けて動きがあり、以前よりもお互いが歩み寄る姿勢はあるものの今でも民族への意識は非常に強く残っています。
少し話は脱線しましたが、民族意識と言語の話に戻ると、それぞれのアイデンティティを主張ために"言語"というわかりやすいツールを使って表現するわけです。
サッカーの時に敵地でフランス語が無視されるのも、ホームゲームの地でオランダ語を無視するのも、こういう背景があったのか、と思いました。
民族意識と言語はこうした背景から非常に密接に結びついており、何を支持しているか、自分はどこの民族なのか、というアイデンティティを示す上では言語は非常に重要な役割を担っています。
これは日本人の私にとってはなかなか理解しがたい部分でもあります。
また、本著では日本-ベルギー間の国交についても述べられていますが、そこでは興味深い記述があります。
アルベール一世は、日本の皇太子にむかって、日本の「民族・言語の単一なる六千五百有余万の国民の歴史」に対する敬意を表した。言語問題に苦しんできたベルギーならではの歓迎の言葉である(以上は『日本・ベルギー関係し』による)
[物語 ベルギーの歴史 -ヨーロッパの十字路 - より]
他にも本著の中では、国王のスピーチが両方の言語で話されるようになった、や首相をワロン系統にするとフランデレンから嫌われる、フランデレン系統にするとワロンから嫌われる、といった構図もしばしば登場します、ここに加えて宗教的な側面も加わります。
日本の政治の場合は、民族という軸での強い主張は政治的な論点としてあがることはほとんどないと思いますので、このような状況は多民族国家ならではの事案です。
そして、民族の中心には常に"言語"がある、ということを気づかされます。
日本における英語教育重要視の動き
ここからは少し角度を変えて、昨今の日本における英語教育への取り組みについて考えていきたいと思います。
日本は先にも述べたように単一民族であります。最近では移住する外国人なども増えてきていますが、政治全体を揺るがすほどの民族になっているわけではありません。
そして、日本ではグローバル社会への対応をしようと外国語教育への動きが加速化しているのは事実です。私自身もここ7年ほどは英語教育業界に従事している人間としては、日本においても英語などの外国語を学ぶことへのメリットは様々なことに良い意味で影響を及ぼすと考えています。(今日はここについて詳しく書きません。)
ただし、ベルギーのケースを見ると、やはり私たちにとって母国語が統一されているということは非常に大きいことを認識する必要があると考えました。そして私たちのほとんどが日本語を話すことによって多くの前提条件がクリアされている事実を認識しなければなりません。
また、どれだけ今後の日本国内における英語教育産業が盛り上がったとしても日本語教育が色褪せることはありませんし、よっぽどの人口減少や外的圧力がない限りは、日本語が母語・共通語であり続けるでしょう。
この事実はとても素晴らしいことだなと思いました。アジア諸国をみても英語が共通語として指定されている国があります。それはすなわち一種のアイデンティティクライシスを招く一端なのかもしれません。
これらを認識した上で、外国語を学ぶ必要がある、と本著を読み痛感しました。外国語を学ぶことで世界への窓口が広がる、これは間違いのない事実ですが、同時に日本語で育ってきた私にとっては日本人という民族に対して帰属意識が潜在的に持っているものなのかもしれません。
別のエントリーでも言語が知能を発達させる話も書きましたが、本当に言語というものは人間という動物に与えられた素晴らしいギフトで、だからこそ人間は面白いなと思います。
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