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生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける

高校教師の枝瀬です。
主に、
教育、心理、コミュニケーションや自己啓発、
日々の気づきを発信しています。

先日、本校ダンス部の
ライブパフォーマンスがありました。
印象的だったのは
小さいころからダンスを習っていた男子生徒数名が
女子生徒に交じって
TWICEの『TT』を踊っていたこと。

スカートを履いて
まるで女性のような
振る舞いや表情を
なんの違和感もなく演じるのです。

一昔前なら、
受け狙いのギャグか
あるいは
LGBTQの生徒、
というパターンが大半でした。

でも、先日見たパフォーマンスは
ごく普通に、ナチュラルに
男子が女子を「演じてみた」という感じ。

数学もできるし体育もできるし、
「女性っぽい動きや表情」もできるんだよ、
という振り幅を感じさせるものでした。

「最近の若い子は・・・」という
言葉を使いたくないと日々戒めつつ、
最近、しょっちゅう
「最近の若い子は・・」を繰り返していますが(苦笑)
いい意味で訴えたいのは、

最近の若い子は、
感受性豊かで、表現力が実に長けています。

若い感性に常に触れられる職場は幸せです。

この記事も
読んでくださった方の気づきのタネになり、
感性が若返るきっかけになれたらいいな
と考えています。
どうぞ最後までお付き合いください。


最近、古典の授業で
『万葉集』『古今和歌集』などを扱っているから
余計にそう感じるのかもしれませんが、
noteというプラットフォームは
多くのクリエイターさんの「歌う」場ですよね。

「歌う」の語源は
「訴う(うったう)」という説があるそうです。

自分の心の
やむにやまれぬ思い
誰かに伝えないではいられない叫びを
言葉にして
メロディやリズムにのせて
訴えている。

それが「歌う」ということ。

このnoteは
多くの人の歌が集積されている
一大「歌集」といえますね。

だけど、
歌にはすぐれたものも多くある一方、
正直、雑音にしか聞こえないものもあります。
みんなが聞きたがらない「歌」もある。

「詠み人知らず」でも
歌集に掲載されているなら浮かばれるでしょう。

でも、きっと
歌集に載せてもらいたくとも
載せられなかった無念の人も多かったはず。

多分・・ですけど、
noteに自分の記事を投稿できる方っていうのは
ある一定の水準は満たしていると思うのです。
事実、どの記事も「歌っています」から。

でも、世の中には
noteはおろか
隣の人にすら、
自分の歌を聴かせられないで
寂しい思いをしている人、
もがいている人がたくさんいる。

最近そんなことを思います。

そして
歌いたいのだけど、うまく歌にできない人
にとって

「あなたの歌をちゃんと聴きたいな」
という態度は、

その人にとってどれほど嬉しいことだろう
と思ったりします。

人の「歌にならない叫び」
あるいは
多くの人が「聞きたがらない歌」
を聴くことって
ものすごく大切な仕事なんじゃないか、と。

もちろん、
すべての人の
歌にならない叫びを聴くほどの
大きな器はありませんが、
まずは、
自分の職場や家庭の範疇から
「聴く姿勢」
「聴こうとする態度」を
もう一度見直そうと思います。

より気持ちよく、自分が「歌う」ためにも、
世の中にある、たくさんの人の
多くの歌を「聴く」ことが
スタートです。


最後までお読みいただきありがとうございます。

特に『万葉集』は、
貴族たちだけでない
一般庶民の心の叫びを
よく拾っている歌集だと感じます。

「良い」「悪い」という価値判断を超えて、
みんな「人の心の生み出したもの」でしょ、
というスタンスが感じられます。

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