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第7話 大理石の街

 石造りの街だなんて珍しくもないけれど、大理石の街ともなると気持ちが浮ついちゃうよね。
 大理石っていうと、まずは白亜を思い出すのかな。それとも墨流しをしたみたいな模様の入った、いわゆるマーブルの方が先なのかな。
 私のお気に入りの街はね、薔薇色の大理石だった。
 その街にほど近いところにある石切場で、そういう色の大理石が採れるっていうだけの理由なんだけどね。でも美しかった。あの石で街を造りたい人が、あの場所を選んで定住したんだって聞いたとしても、不思議には思わなかったんじゃないかな。それこそ日本にも輸入されてるような、世界中のちょっとリッチな層が暮らしの中に欲しがる、薔薇色の大理石。
 やっぱりお金になるようなものだし、手当たり次第に使われてるっていうわけじゃなくて、陽を浴びるとつやっと光る優しい薔薇色の大理石が使われているのは、ここぞっていう場所だった。たとえば、街の顔になるような建築物だとか、屋根の高い家々の玄関先だとか、あとは大通りの真ん中に敷いてあるタイルだとか。
 大通りのタイルは、長いこといろんな人の靴に踏まれて磨かれて、雨の日には罠が仕掛けてあるみたいによく滑った。陽射しが乏しいときには紅色が抑えられてみえるのか、まるで白絹の帯を一直線に伸ばしたみたいだった。道はその石の帯に向かって両脇から傾斜していて、真ん中に掘られた溝に雨水が集まるようになってた。そういう排水設備としての役割と、あとは馬車の車輪で道の舗装が擦り減ってしまわないように補強する役割も、あのタイルにはあったみたいだった。
 そんな風に要所で頼られているのが、薔薇色の大理石の格好いいところだった。ここぞっていうところに、大切に、でも贅沢に配置されているのが、素人目にも分かった。都市まるごとのデザインっていうものを分かっているような人なら、なんて表現するんだろう。気の利いた表現はできないけれど、私は効果的に使われてるんだろうなっていう言葉で、街角の大理石を捉まえた。
 薔薇色の大理石が映えるようにだと思うんだけど、家々の壁はだいたい暖色に統一されていた。なかには穏やかなペールブルーだとか、雨樋を這う藤の花の映える涼しいグリーンの家もあることはあったけれど、ほとんどの建物は赤みを含んだ温かいイエローやオレンジのペンキで塗られていて、剥げた漆喰の下から見えている煉瓦は、赤から茶色にかけての色で焼かれていた。
 平野を横切るようにして、西から東へ蛇行して流れる川のS字を取り囲むみたいに城壁があって、塔に登って見おろすとその曲線がエレガントだった。
 朝から昼にかけては、空の薄青色と街の薔薇色のコントラストが爽快だった。夕方には明るいオレンジの斜陽が差して、冷えていく溶鉱炉を覗き込んでいるみたいだった。夜には閉められてしまうから、塔から夜景を楽しむ機会はなかったけれど、きっと闇を金継ぎしたみたいに見えたんじゃないかな。街灯は黄色かった。その輝きを通りに敷かれた大理石の帯が反射するから、光が拡散されて空気まで明るくなるみたいだった。赤い屋根瓦は闇に沈むと真っ暗になるから、きっと塔から眺めるあの街の夜景は、街路が金色の迷路みたいに浮き上がって見えるんだと思う。
 そう、塔があったの。物見の塔。そう珍しくもない、あの辺りの街にはだいたいあるようなやつ。山の上の街ならいざ知らず、平野の街には必要でしょ。どの方角からどれほどの敵がどのくらいの時間で襲来してくるのか、ちゃんと分かってないと備えられないもんね。
 それが今では観光資源なんだから、いい時代だよ。
 私みたいなお上りさんはみんな登りたがるんだけど、これってけっこう新しい発想なんだってさ。だって、物見の塔も鐘楼も、そういうところに登るのって、お役目のある人でしょ。兵士とか修道士とか、見張ったり知らせたりするお役目を引き受けてる人たち。石の階段なんてさ、大変だよ。登って降りたら、膝ががくがくしちゃうもん。こういうのって、自分は登らないで人に登らせるのがステイタスじゃん。見晴らしは素晴らしいけど、そんなのヤンチャな子ども時代に思い出を作っておけば十分で、大人になったらお気に入りの絵描きを登らせて、これぞっていう作品を出してくるまで風景画を描かせたら、お菓子を食べながら居間で自慢の塔を楽しめるし、お客さんにも自慢しやすいでしょ。
 まぁ私は登るんだけどね、身体が動くうちは。風が吹くんだもん。気持ちいいよ。海からも山からも風が吹き抜ける平野に、ひょろっと伸びあがった建造物のてっぺんで、結って置いた髪の毛を解くの。肩くらいまでにしておくといいよ。短いと素っ気ないし、長いと重くて毛先が踊らないから。風に向かってね、ばさっとやるの。
 ぜいぜい息を切らして登り切った塔の上で、髪留めを外して、汗を拭って、肌の上から熱が吹き飛ばされていくのを感じながら、ぐっと近くなった雲を見上げて、だんだん視線を下げていくでしょ。風が強くて涙が滲むから、瞬きをするたびに真っ新になる視界に、まずは緑のパッチワークみたいな穀倉地帯が広がって、そのなかに見つけた川面のきらめきを辿っていくと、赤い屋根を丸く囲った城壁があって、至るところに薔薇色の大理石がちらちら光ってるの。薔薇色の大理石が跳ね返す陽光が揺れて見えるのは、会ったり別れたり行き交ったり、たくさんの人が歩き回っている影がかかるから。風向きによっては、笑い声が足元から立ち上ってくるの。鳥も鳴いてた。遠い木立や畑の緑はいつも風にざわめいてたけど、軽くて柔らかい植物の音までは、さすがに聞こえなかった。聞こえそうではあったんだけど。
 あの街を一度でも歩き回るとね、ほかのどんな場所に居たって、家具屋さんとか、内装屋さんとか、博物館とか、あとは教会なんかでも、幾度となく懐かしい薔薇色に再会できるようになるの。どんな小さな欠片だって、あの薔薇色はそれと分かる。絶対に間違えたりしないよ。あの街を訪れた私たち旅行者にとってはね、世界中に輸出されてる薔薇色の大理石は、どれもあの街が誇らしい顔で送って寄越した、挨拶みたいなものなんだもん。

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