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アナと雪の女王の「生まれてはじめて」をイタリア語で読んでみる:Oggi, per la Prima Volta/Frozen: Il Regno di Ghiaccio

 なんとなく英語に親しむように、イタリア語にも気軽に触れていただきたいという願いでぼちぼち翻訳ブログを更新しているうちに、とうとう雪のちらつく季節になってしまいました。そうなると触れておきたいのが、大人気ディズニー映画の『アナと雪の女王』です。すっかり冬の定番になりましたね。一度耳にするとしばらく頭から離れないレリゴーでおなじみの 「レット・イット・ゴー/Let it go」 も好きではあるのですが、個人的に「生まれてはじめて/For The First Time In Forever」が一番好きなので、今回はイタリア語版の「Oggi, per la Prima Volta(オッジ・ペルラプリーマヴォールタ)」をご紹介させて頂こうと思います。

 ちなみに『アナと雪の女王』と邦題のついている『Frozen』ですが、イタリア語版のタイトルは『フローズン:氷の王国/Frozen: Il Regno di Ghiaccio(フローズン:イルレーニョディギアッチョ)』です。
 たしか「ジョジョの奇妙な冒険」にギアッチョっていうキャラクターが登場しましたよね。彼の名前の由来になっている「」という語が、アナ雪のイタリア語版タイトルの最後にある Ghiaccio です。

イタリア語版「生まれてはじめて」
「Oggi, per la Prima Volta」を和訳してみる

La luce che irrompe fin quassù
あんなところまで溢れた光
Credevo che non accadesse più
こんな事もう起きないと思ってた
Non ho mai visto tanti piatti, qua
たくさんのお皿なんて見たことないわ、ここで
Ormai, da tempo immemore
とにかく、覚えてられないくらい前からずっと
Qui non si vede un ospite
ここにお客さんなんてひとりもいなかった
Oggi quel cancello si aprirà
今日、あの門が開くわ

 日本語版は英語版と同じで「窓もドアも開いてる/The window is open, so's that door」から始まるようですが、イタリア語版は照明の話から入ります。使われている irrompere という単語は、洪水があったときの新聞記事に登場すると「(水が)あふれる」という意味になったり、あとは人間が殺到しているときなんかにも使われたりする、ちょっと勢いのあることばです。
 光がどこまで届いているのかを示してい quassù 辞書で引くと「ここの上に」と出るのですが、ちょっと高いところに視線を向けるようなイメージをすればいい副詞です。

 よく使う単語だと、チェックしておきたいのは accadere と cancello でしょうか。動詞の accadere は英語の happen にあたる単語で、できごとを主語に取って「~が起きる」と使います。もうひとつの cancello(カンチェッロ) はふだん使いの名詞で、ここでは「門」と訳しましたが、主に金属でできた格子門のことを指します。イタリアではマンションなどでも、木のドアの前に鉄格子みたいなドアがあることが多くて、民泊などでは「これがマンションの玄関ホールの鍵、これがカンチェッロの鍵、次に家のドアの鍵、最後に部屋の鍵」と4つも5つも束にして鍵を渡されることがあるので、ご利用の際にはどれがどれだか頑張って覚えてください。そういう民泊のオーナーさんは郊外に住んでいることが多いので、分からなくなっても質問するのが難しいことがあります。

Quanta gente incontreremo
どのくらいの人に出会えるんだろう
In quell'enorme viavai
この大きな人ごみの中で
Mi sento emozionata più che mai
こんなに感動したことないわ

 真ん中の行に登場する viavai という単語は男性名詞で「往来」とか「雑踏」という意味なのですが、初級で習う単語に「通り」という意味の via と「行く」という意味の動詞 andare 二人称単数形 vai があるので、ちょっと混乱しちゃいそうですよね。私も歌詞をチェックして一語だと認識するまで、あれれって思ってました。ここは in quello viavai に、名詞 viavai を修飾する形容詞 enorme がつき「巨大な」という意味を添え「あの巨大な雑踏の中で」という表現になっています。

Questa è la vita che volevo
これが私の望んでた人生
Niente mura da guardare
見つめるばかりの壁なんてない
Avrò quello che sognavo
夢に見ていたものを手にするの
Oggi io potrò ballare
今日、私は踊れるはずだわ

 ここでぜひチェックしたいのが da guardare です。ほかの記事でも紹介した覚えがあるのですが、便利なものは何度でも布教したいので、なんどでもリピートしますね。
 名詞の後に前置詞 da と不定詞をくっつけると、それで「(動詞)する用の(名詞)」という意味になります。この場合は mura/壁 と guardare/見る を使っているので la mura da guardare/見るための壁 になっています。比喩表現なので分かりにくいですが、もっと実用的なものだと qualcosa/なにかmangiare/食べる を使えば qualcosa da mangiare で「なんか食べるもの」になります。たとえば avere/持っている を動詞に取れば Hai qualcosa da mangiare?/なにか食べるもの持ってない? になり、小腹が空いたときに使えます。

Non posso sopportare l'attesa
待ちきれないな
Penso che forse impazzirò
おかしくなっちゃいそうな気がする
Però stasera, di sicuro
でも今夜、絶対に
Mi divertirò
私は楽しむはずよ

 一行目にある sopportare は英語の support に当たるので、片仮名でサポートとしてしまいたくなりますが、ここでは「耐える」になります。英語のsupport にも「維持する/持続させる」という意味があるようですが、このイメージが近そうですね。アナがなにを持続させていられないのかというと、直接目的語になっている attesa/待つこと です。最近はあまり電車が遅れることもなくなってきたようですが、大規模な遅延が起きたときに、駅の salad'attesa/待合室 で時間を潰したことのある旅行者さんは、まだ多いのではないでしょうか。

Incontrerò tutti, non vedo l'ora
みんなに会うんだわ、待ちきれない
E se incontrassi quello giusto?
それにもし、ふさわしい人に出会ったら?

 上に登場した Non posso sopportare l'attesa よりも、ずっとよく使う便利な「待ちきれない」が non vedo l'ora(ノンヴェードローラ) です。これには待ち焦がれるニュアンスが入っているので、いつまで経っても現れない遅刻者に対して「もう待ってらんない、先に行くから!」と怒るときには使えません。久しぶりに顔を合わせる友だちと「待ちきれないね!」なんて言い合うときに使ってください。
 それから恋話でよく登場する giusto/正しい、ぴったりの という単語も覚えておいた方が楽しそうです。英語の just や right に当たる単語で、正義にかなっているかどうかという意味での正しさや、不公平がないかどうかといった意味での正しさなんかを意味することも多いのですが、もしもパートナーに関する話題で出てきたら、その giusto/a は「ぴったりの」という意味かも知れません。お母さまに「あんたってばいつまでも独り身で……」なんて言われたときには、この表現を使って「ぴったりの人に巡り合えたら、結婚もしてみたいんだけどねぇ」とはぐらかして、散歩にでも行きましょう。

Avrò uno splendido abito
すばらしいドレスを着るのよ
Semplice, ma bellissimo
シンプルで、でも最高にきれいなやつ
Ammireranno tutti quanti me
みんな私に惚れぼれするわ
E poi, d'improvviso, lui è lì
そして、突然、彼はそこにいるの
Nessuno è più bello di così
こんなに格好いい人なんていない
È meglio se mi butto sul buffet
ビュッフェに飛び込んだ方がいいかしら

 一行目に登場する abito は、よく見かける vestito という単語と同じく「」を意味します。英語でいうところの dress ですね。基礎単語として習う abitare/住む一人称単数形(abito)とまったく同じスペルなので、最初は戸惑うかもしれませんが、冠詞が付いているので名詞だなって分かると、辞書を引こうかなって思いつけるはずです。
 最後の行は mi butto sul buffet を「ビュッフェに飛び込んだ方がいいかしら」としましたが、ここで使われている buttarsi という再帰動詞には、動きとして身を投げる意味に加え、なにかに本気になるという意味での「身を投じる」という使い方もあるので、これはどっちもイメージできた方が楽しいかなって思います。

Staremo insieme fino all'alba
私たち夜明けまで一緒に過ごすの
Lui si innamorerà
彼は恋に落ちるはず
Solo che ancora non lo sa
ただし彼はまだその事を知らないの

 ロマンチックですごくかわいいですよね。
 恋に関する表現として、ここでは innamorarsi/恋をする、惚れる という再帰動詞が使われています。もしも恋する相手まで述べる必要があるときには、前置詞 di を使って innamorarsi di ... とやることになります。この語は「恋に落ちる」というニュアンスがあるので、もしも継続的に「恋をしている」という状態を示したいなら、シンプルに amare/愛している を使った方がしっくりくるかと思います。
 ここは運命の一夜ですとんと恋愛状態に陥る期待を歌っているパートなので、もちろん innamorarsi がぴったり。いい単語だなぁとニコニコしてしまいます。

Oggi, per la prima volta
今日、初めて
Proprio come per magia
まさに魔法みたいに
Ho la vita che sognavo
夢に見ていた人生を持ってるの
Per una notte, in mano mia
一晩だけ、私の手に

 ここでタイトルにもなっている Oggi, per la prima volta という表現の登場です。女性向けファッション誌の名前でおなじみの oggi(オッジ) は「今日」という意味で、コンマから先の per la prima volta(ペルラプリーマヴォールタ) で「初めて」です。もう少し分解してみると、基礎となっている単語は女性名詞の volta/回 です。この単語を覚えると、回数について、一回なら una volta、二回なら due volte と数えていくことができるようになります。ですが、ここでは primo/最初の という形容詞がついて la prima volta で「初回」となり、さらに前置詞 per がつくと「初めて」になります。

È un'idea del tutto pazzesca
まったくおかしな考えよね
Mi sembra folle, ma
私ってまともじゃない気がする、でも
Credo di avere per davvero
本当に持ってると思うの
Un'opportunità
チャンスを

 三行目に登場する davvero(ダッヴェーロ) は、日常生活でよく使う表現なのでぜひとも覚えておきたいところ。日本人がよく言う「マジで」みたいな感じで、疑問文っぽくお尻を上げて davvero?/マジで~? みたいな使い方もできます。
 アナはお上品なお姫さまなので、ちょっと「マジで」は不適切ですし、辞書にある通りに「本当に」としておきました。

(Elsa)Non dire mai la verità
真実を言ってはいけないわ
Se sei brava, nessuno lo saprà
もしあなたが上手なら、誰も知ることはないの
Celare, domare
隠すこと、抑えること
Perché io so
だって私は知っているもの
che è un segreto e lo proteggerò
それが秘密なんだって、そして私は守るわ

 ここからはエルサの登場です。
 一行目が non+動詞の不定形 というカタチで始まっていますが、これはアナタ(tu)に対する二人称の禁止命令です。日本語にすると不自然なので省きましたが、主語も入れて訳すと「アナタは真実を話してはならない」と、ちょうど鏡のなかの自分に向かって、まるで他者に命令するみたいに話しかけているわけですね。
 続く二行目もやっぱりアナタに話しかけているカタチになっていて、まるで他人に冷たく命令を下しているみたいに、自分自身に命令を下すエルサが痛々しく思われます。
 エルサが自分を「私」と呼ぶのは三行目の io so/私は知っている から。自分の才能は秘密であり、その秘密を守り続けることを未来形で宣言するところからです。

(Elsa)Proprio oggi tuttavia
それでもまさに今日
(Anna)Quest'oggi tuttavia
それでも今日この日
(Elsa)L'attesa è un'agonia
待つのは苦痛だわ
(Anna)L'attesa è un'agonia
待つのって苦しいわ
(Elsa)Ma oramai lo show avrà il via
でももうショーは始まるの
(Anna)Il via
始まりよ

 やっぱりデュエットになると、耳が忙しくなっちゃって聞き取りが難しいですよね。
 アナとエルサが同じフレーズを重ねる L'attesa è un'agonia では、さっきも登場した attesa/待つこと が主語として再登場していますね。待つことがなにかというと、ふたりとも口をそろえて言っているのが agonia です。ちょっと不穏な単語で「死期」だとか「断末魔」だとか、あとは「死ぬような苦痛」を表す単語なのですが、このまったく同じフレーズを口にする姉妹のそれぞれの立場を考えると、たぶんアナは non vedo l'ora と同じニュアンスで「待つのが苦しいわ!」と期待を告白していて、エルサは死刑台に登る時間がくるまでのカウントダウンをしながら「待つのって苦しいわね……」と震えているのでしょう。
 でもまぁエルサも肝の据わった女王の器なので、堂々と自分を偽るショーの開始を il via と告げます。
 イタリアに行く前に絶対に覚えておきたい基礎単語 via/通り があるので、だいぶ混乱しちゃいますよね。よく使う「通り」という意味の via は女性名詞なので、冠詞が付くと la via になります。ですが、ここでは il via となっているので、これは男性名詞。意味は「出発」「スタート」です。そういえば、かけっこのときの「よーいドン」の「ドン」で via! と言っている子を見かけたことがあります。
ちなみに辞書を引くと、ひとつめに女性名詞の via が出てきて、ふたつめに副詞としての via/向こうへ の項目があるのですが、男性名詞の via は後者の項目の最後の方に入っています。

(Anna)Oggi per la prima volta
今日、初めて
(Elsa)Non dire mai la verità
真実を言ってはいけないわ
(Anna)La vita forse cambierà
人生が変わるかも
(Elsa)Se sei brava, nessuno lo saprà
もしあなたが優秀なら、誰も知ることはないわ
(Anna)Finora ero sola ma
今までひとりだったけど
(Elsa)Celare
隠すこと
(Anna)Da oggi chi lo sa?
今日からはどうかしら?
(Elsa)Dovrai soffrire ancora un po'
あなたもう少し苦しまないといけないわね

 アナが歌う Finora ero sola ma, da oggi chi lo sa? は、手帳に書き留めて毎日見直したい前向きフレーズです。この chi lo sa?(キロサ) は「そんなこと誰が知ってるわけ?」くらいのニュアンスのフレーズでして、悪い見通しがあったとしても、寂しい過去があったとしても、そんなことを囁いてくる他者(や、自分のなかに巣食う自分を信じようとしない自分)に「そんなの知ったことじゃないわ」とNOを突き付けているわけです。未来のことは決まってないので、そんなん知らんがなと希望を持ち続けるのに役立つフレーズですね。ぜひ手帳に da oggi chi lo sa? と書き留めておいてください。

(Anna)È un giorno da ricordare
記念すべき日だわ
Sono certa che lo sia
そうだって分かってる
E so che per la prima volta
分かってるの、初めて
Quella vita che sognavo
この夢に見ていた人生が
Oggi sembra mia
今日は私のものみたい

 一行目の un giorno da ricordare は、上記でご紹介した「(動詞)する用の(名詞)」構文ですね。ここでは ricordare/記憶する が使われているので「覚えておく日」という意味になります。
 これは勝手な深読みなのですが、ここだけでも Sono certa che.../私は~について確かだ だとか、So che…/私は~だと知っている だとか、なにかと確信めいた言葉づかいをしてきたアナが、最後の最後には Quella vita che sognavo, oggi sembra mia と、まるで気のせいかも知れないことのように sembrare/~みたいに思われる、~らしい という表現を使うのかと思うと、なんだか少し切なくなっちゃいます。

生まれて初めてイタリアの土を踏んだのは、
真冬のミラノだったなぁ……

 なにごとにも「生まれてはじめて」というものはあるもので、私が初めてイタリアの土を踏んだのは、霧に烟る2月のミラノでした。ルフトハンザで日本を出て、ドイツのフランクフルトでアリタリア航空の軽くて小さい飛行機に乗り換え、マジでイタリア語を話すフライトアテンダントさんにいただいた、ごりごりっと硬くて甘くて美味しいビスコッティを齧りながら、暗い窓に地上の光が流れていく夜間飛行を楽しんだのをよく覚えています。タラップを降りて踏んだリナーテ空港のアスファルトの向こうには、除雪された雪が積んでありました。
 懐かしいことです。あの頃は、まだ現在形も怪しかったのに、いつの間にやら翻訳ブログを持てるほど立派になっちゃって、私ったら。先生、私は楽しくイタリア語を続けてますよ!

 私のブログに遊びに来てくださるような方々は、多かれ少なかれ「イタリアに行きたいなぁ」という気持ちをお持ちのことと思われます。今は難しい状況下ですが、未来のことに関しては chi lo sa? ですし、いつかまた観光旅行ができるようになる日は来るでしょう。いつかくるその日に備えて、希望を失わず、イタリア語に耳を慣らしておきたいところです。
 これからもぼちぼち書いていくつもりですので、気が向いたらまた遊びにいらしてくださいね。

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