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創造的である人生と「場」としてのnote

#つくるはたのしい これをテーマに一つ文章を書こうというキャンペーンが、せっかくありますから、私の考える「創作活動」と「創造的である人生」について「創作物」を残しておこうと思った次第です。

まずは、私の拙い「創作活動」を振り返りたいと思います。

私は、大学に入学して間もなく、SNSにて読書感想文の発信を開始しました。それも、10冊…20冊…30冊…と重ねるうちにスタイルも質も変わっていき、、やがて、はてなブログにも、(私にしてはよく書けたなぁというくらいの)本格的な書評や映画評等を投稿するようになりました。

そしてつい最近になって、それらを「もっと多くの人に」「もっと楽しく」「もっと自由に」届けれたらなぁと思うようになり、noteでの創作活動を始めました。

今でも、お堅い専門的な書物のレビューははてなブログやTwitter、一般的な書物のレビューや、イラスト、4コマ漫画等はnoteに投稿するなど、それぞれの「場」の特徴や、これまでの運用歴を自分なりに考えた上で創作と「発信」を続けています。「共有」と言っても良いですね。

noteなど、誰もが「使いやすく」「繋がりやすい」しかも「スタイリッシュ」な「場」の登場により、現代人の「創造的に生きる」ことのハードルは一気に下がったのではないでしょうか。

コロナウイルスの感染拡大に伴う、ステイホームというムーブメントも、「狭い物理的世界で、広い精神的世界を」という古くて新しい極めて人間的な欲求、価値観を引き出したのではないでしょうか。

その例に漏れず、時間をもて余した私も創作活動をこれまで以上に楽しんでやっています。これも、活動の「場」があるからこそできることであると考えると、感謝の思いが沸き起こります。

noteさん、ありがとうございます(媚びを売る…いや、本当にありがたいことです。感謝しています)。

私の人生のテーマ(仮)は、「面白い人間になる」というものです。
面白い人間になるには、「世の中を面白く捉える」ことが大切である、いや、もっと言えば不可欠であると思っています。

世の中を面白いと思って生きることこそが、創造的な人生の前提であるということです。
雨風や日差し、人の流れ、一風変わったお店の看板や広告、ショッピングセンターに流れるBGM、草むらバッタ、野良猫など・・・世の中にはあらゆる物事が溢れています。そのひとつひとつを「どう捉えるか」というアンテナこそが、私をcreativeにします。

つまり、その気になれば、目の前にある「世界」のどれもが「作品テーマ」となるわけです。

世界で見たことや感じたことを「形にする」そして、それを発信する。これこそが、現代にも重要な「世界との接点の持ち方」の一つだと思っています。

「私という人間の持つ感性」を堂々と世に放つ営みは、なんとも爽快で可能性を広げます。

思わぬところで「共感」「スキ」「たのしい」「すごい!」が生まれ、運が良ければ自らのもとに見える形でそれらが返ってきます(フィードバックはめちゃくちゃ大切)。

私もnoteに作品を投稿し、色々な人に「作品を生んだよ!」とシェアするのですが、その内の何人かが作品を読んでくれて、またその内の一人や二人が「コメント」をくださることがあります。

最も嬉しかったのが、同級生からの以下のコメントでした。

「高校時代の同級生が書いてるブログ。高校生の時は別のクラスで、全く話したことないんだけど、アウトプットの量も質も凄いし、努力家なので、おこがましいかもだけど応援したい興味が薄かった話題も最後は前のめりになって見ちゃうし、難しい話題も不思議とすらすら読めちゃう。言葉の選び方も独特で個性的で素敵で面白い。」

とくに嬉しい部分は太字にしちゃいました(笑)。
いやー、創造的に生きると、「見える形」でも良いことがありますね。。

前には、私の読書感想文をSNSで見て、本を買ったという方が二人ほどいらっしゃいました。最近も、私が動画配信の中で紹介した本を「読みたいと思った!」とコメントをくださる同級生がいました。

いやー、、創作者冥利に尽きます。。

そして、そのような「見える」良いことだけではなくて、「見えない」けどめちゃくちゃ良いことが、確実に創造的に生きる人間には起こります。

それは、やはり、「森羅万象がみえてくる」という「豊かな感性」の獲得だと思います。

これは、「豊かな人生」を約束するでしょう。

最近では、精神科医樺沢慈苑『インプット大全』、『アウトプット大全』やショールーム代表前田裕二『メモの魔力』などが非常に売れているのですが、

これも現代において、「目の前にある世界から、何を掴めるか、そしてそれを日常=自らの人生に活かせるか」を、バーチャルリアリティが蔓延る現実を前に、私たちが真剣に考えているからなのではないでしょうか。

世界から得た食材を、「私というフライパン」に入れて(インプット:input)して、料理して(クリエイト:create)、その結果をお皿に盛り付けてお客さんに提供する(アウトプット:output)。

この繰り返しで、どんどん楽しく、より良いものが生み出せるようになるのだと思います。

そして、「何かを生んだ自分」は「何かを生む前の自分」とは異なる「新しい自分」なのだと思います。

だからワクワクします。今、えらいカッコつけたこと書いてるなぁ~あちゃー🤦‍♂️なんて思いながらも、この「作品」を後から読み返す時間が楽しみです。もちろん、色々な人から「スキ」や「コメント」が届くといいなぁと思ってます。知らないところでも構わないから「つくり出す楽しみ」を知ってほしいと思って、今夜は、久しぶりに長々と拙文をしたためております(笑)。

誰もが知るアニメ映画の巨匠、宮崎駿氏は

「創造的人生の寿命は10年だ」

というようなことを言ったそうです。(ところで、本日の金曜ロードショーは「借りぐらしのアリエッティ」ですね。楽しみです。)

10年というのは、プロの創造的人生の寿命ですから、ここではそれをそのまま気に留めるのではなく、

「創造的人生」という言葉を大切にしたいと思うわけです。

それと同時に、「創造的に生きるならば、人生は短いんだぞ」ということを宮崎駿氏は、私たちに訴えているのだと思います。

一度きりの人生、「Be creative.」です。

では、ここらへんで目を瞑り、創造的な明日へと備えたいと思います(夜更かししすぎや!現在午前1時55分)。おやすみなさい。

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