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七、運動が苦手な私が、人並みに楽しめる唯一のスポーツとは

 私の恋人は長野に住んでいた。 スキーが上手な人だった。

 今から二十三年前の一九九八年二月、私は恋人が運転する車で、白馬長野有料道路を通っていた。大糸線の信濃大町駅で待ち合わせた二人は、八方尾根スキー場でスキーを楽しんだ。

「帰りは長野駅まで車で送るから、新幹線で帰ったらどう?」

と言われた。その人は大北地域に住んでいたので、私がわざわざ長野まで送ってもらう必要はないと断ると、

「新しい道を走ってみたい。」

と言ったのだ。「新しい道」――それこそ白馬長野有料道路だ。当時は「オリンピック道路」と呼ばれていた。

  運動が苦手で、体育の成績も悪かった。そんな私が、国内有数のスキー場である八方尾根スキー場で滑ることになろうとは、当時を知る人は想像できないだろう。

 スキーを始めたのは、大学一年のとき。岩手県の安比スキー場だった。関東育ちの私は、一面厚い雪に覆われた雪山に只々驚き、強い衝撃を受けた。

 ボーゲンでゆっくり慎重に滑っていると、背後から上級者に悠々と追い越された。彼らが描く緩やかなS字シュプールに、私は心を動かされた。

 いつか私も上手に滑れるようになりたい。私はスキーへ情熱を燃やした。 そこに油を注いだのが、私の横でハンドルを握っていた恋人だった。

 都内の大学に通っていた恋人が社会人生活をスタートさせたのが、長野だった。その一方で、私は港湾の職に就き、その大半を横浜港で過ごした。遠距離恋愛が始まった。

 スキーシーズンになると、私は足繁く長野を訪れた。駅舎を出ると、ロータリーにはステーションワゴンが停まっていて、私のスキー板を軽々と持ち上げ、会話を交えながらスキーキャリアに固定する光景が、今でも思い出される。

 休みの度にスキー場へ通い、上級者コースを難なく滑るまで腕を上げた恋人ではあったが、私といるときは中級コースを一緒に滑ってくれた。私の滑走技術が向上したら、せめてパラレルターンができるようになったら、お互いが今まで以上にスキーを楽しめるようになるだろうし、愛も深まるのではないか。愛が深まれば、遠距離恋愛を乗り切れるのではないかと。

 それからというもの、「パラレルターンを習得したい」――そんな意を一にする友人とゲレンデに通った。スキー教室に参加した。同僚の誘いにも乗った。だが、恋人と一緒に滑るスキーは、やはり格別だった。至福のひと時だった。そんなスキーシーズンを何度か送っているうちに迎えたのが、一九九八年だった。長野オリンピック開催期間中、しかもアルペン競技が行われた直後の八方尾根スキー場に誘われたのだった。

 八方尾根スキー場は上級者に人気があり、そのレベルには程遠い私が楽しめるとは到底思えなかったが、オリンピック独特の熱気と、何より頼れる人がそばにいたことで、忌まわしい思い出が刻まれることはなかった。

 実は、年初にスキー旅行の予約をしていたが、諸般の都合でキャンセルした。教育に金がかかるようになって、スキー場に足が遠のいているが、私が楽しめる唯一のスポーツがスキーであることに変わりない。婚姻をきっかけにスキーから離れた友人も多いが、私は家族でスキーを楽しんできた。家計を圧迫しない限りで楽しめれば幸いだ。

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