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開発現場の不都合な真実

全銀ネット障害とレガシーシステムの弊害

全銀ネット障害では銀行の送金という生活の根幹が揺らぎ、しかも翌日になっても復旧の目処が立たないという異例の事態が起きた。保険会社もそれなりに影響を被っている。

全銀ネットはCOBOLという化石のような言語を使用していることも話題になった。

枯れた技術を支持する人に多い論調は、「長い間障害が起きてないから、安全性が高いんだ」というもの。

この話は正直眉唾だと思っていて、単に「機能制約があるからこの要件は諦めてください」と言って機能を絞り込んでいるだけだと思う。

システム障害というのは人間の想像力の限界を起因に起こる。エンジニアが把握しきれる範囲に機能を絞り込んでいるから障害が起きないだけで、斬新な機能を実装したら古い言語でも普通にトラブルは起きるのだ。

しかし、新しい技術に乗り換えることによるメリットというのは、「メインフレームのバカ高い記憶容量の制約を受けなくなる」とか「スキルアップ意欲が旺盛な若手の関心を惹きつけられる」とか抽象的なものが多い。

メリットが漠然としている状態で何十億もかけて乗り換えることの理由づけは、ロジックの上では極めて困難だ。

コア部分は古いシステムのまま、外部システムと接続することで新技術の恩恵を受ける手はあるが、それでも制約条件はいろんなところに影を落とす。

時間が経てば経つほどその辺の制約条件を知る人が少なくなり、「予算採りが終わっていざ作ってみたら、重大な制約にぶち当たって意図していたものが作れない」が頻発する。

コンサルを導入してもパッとした成果が挙げられずに終わる事例が多いのは、このような組織の恥部を教えない(そもそも組織内の人間も知らない)で提案につなげているからではないか。

なぜ「官公庁の開発案件は避けろ」と言われるのか

この記事では散々な叩かれ方をしている官公庁のシステム開発について。システム開発でしっかりと利益を出しているところは、「長年の取引関係を通じて内部事情や開発への知識を蓄え、高めの値段を提示しても断られない」状況を作っている会社だ。

裏を返すと、競争入札で常にベンダーが入れ替わっている場合、毎回経験値がゼロクリアされた状態でスタートするので、一貫性のあるシステム構築ができないしノウハウの蓄積もされない。

場合によっては要件定義、製造、テスト工程と毎回担当会社が変わる。会社同士のやりとりも禁止なので引き継ぎもできない。別会社の作ったドキュメントのみを手がかりに開発するというのは、システム経験者が聞いたら卒倒するのではないか。

しかも、「官公庁の開発実績を作りたいから」という理由で赤字覚悟の入札額を設定するところもある。相場を無視した価格設定では、安かろう悪かろうなシステムが出来上がって全体の生産性に影響を及ぼす。

私は基本的に市場競争肯定派だが、このような官公庁のシステム開発は価格競争がかえって問題を生み出す典型的な事例だ。

都合の良い管理職像を抱くのはもうやめにしないか

私と同世代の30代のビジネスマンの間では、「管理職は責任は負うが、雑務から解放されて部下よりも早めに帰る」という理想像が未だに根強い。それはルーチンワークを回すだけで実績がついてきた高度成長期時代の話であって、行き着く先は「働かないおじさん」である。

我々ゆとり世代は、働かないおじさんを毛嫌いしつつも、自分は雑務から解放されてサッサと帰る「働かないおじさん予備軍」になりたいという人間が後を絶たない。

そのイメージが強いせいか、残業代が出ずに定額働かせ放題な管理職は「なったら負け」な立場だとして、早々に転職する。(出世してからの方が前職の給料として参照され、良い待遇が引き出しやすい。)

いや、むしろしっかりと働く管理職こそが本来あるべき姿であるという風に相場観を転換すべきではないか。

認知の歪みが発生していると、世間一般の感覚から乖離した動きをしてしまって、結果的に自分を追い詰めることになりかねない。

30代と50代で比較した時に、50代の方が体力はないがスキルが高いので働きが良い、のは知識の積み上げが重要な組織においては健全な在り方だ。

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