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保険業界の実験場、少額短期保険における綺麗事抜きの現在地点

インシュアテックにはIT業界の手法が通じない?

少額短期保険はその名の通り、提供する保障が短期かつ少額で、既存の生命保険会社とは異なる法規制が敷かれており、他業界からの参入が相次いでいる。新しい保険の実験場ともいえる状況で、イノベーションの最前線といえる分野である。

本書の終盤には少額短期保険事業をやっている人たちのインタビューが載っている。中でも複数人が言及していたのは「保険は契約者保護の規制があるため、小規模企業特有の圧倒的スピード感でのトライアンドエラーがしづらい」という点だった。

たしかに、新分野の保険が売りに出されて鳴かず飛ばずだったとしても、発生した保有契約はきちんと管理しなくてはならない。

ざっと思いつくだけでもこれだけある。

・加入前、加入後の商品に対する照会対応
・加入時の事務手続フローの整備
・保険料の入金がされなかった時の督促
・住所変更や解約など、保全処理の受付
・契約の更新時期が近づいた時の意思確認
・支払請求が来たときの査定対応

世界を席巻しているテック系企業は、完璧でない状態でもとにかくリリースし、圧倒的スピードでPDCAサイクルを回して改善を繰り返すことで市場を支配した。

ところが、インシュアテックはテック企業という名前を冠しながらも、この手法を用いることができないのである。新商品の発売前に金融庁の認可を得る必要があり、変更が必要となると再び許可を得る必要がある。金融庁の人たちも暇ではないので、認可が下りるのに相当な時間がかかる。

一般的に、一つ事業を行い、そこで稼いだお金を再投資することで会社は大きくなってゆく。ところが、少額短期保険は稼ぐ収入保険料が少額なため、再投資する金額も必然的に小さくなる。キャッシュフローに余裕が生まれにくい事業構造なのだ。

言い換えるとシステム化に回すお金も少ないということなので、事務負担が重いままだと手作業がどんどん積み上がっていって最終的に身動きがとれなくなる。

最初がこけるとジリ貧になる、一発勝負の世界なのである。

そんな流れの中で求められるのが、ランニングコストをこれまでの常識を覆すレベルで低くする工夫だ。

保険会社のコストの原因は、信頼を前提とした性悪説

こちらの本で詳細に解説されているが、そもそも保険会社は「加入者が信頼できる人間かを見極める」ことと、「自分たち保険会社が信頼できる存在であることをアピールする」ことに多大なコストをかけている。

加入時に被保険者の過去の病歴などを申告させる「告知義務」を課し、違反した場合の「契約解除規定」を定めている。保険金の支払時にも改めて不正を働いていないか査定を行なっている。不正の可能性がある場合には細かな調査も行う。

保険にまつわる裁判事例を見てみると、このような不正請求をめぐるものが多数ある。場合によっては何千万というお金が動くのだから、払われないとなったら揉め事になるのは自然な話だ。苦情に発展するとコールセンターをはじめとして様々なお客さま接点業務に負荷がかかる。

逆に、保険会社は自社の信頼を保つことにも非常に神経を使っている。保険金の不払い問題や、外貨建保険販売時の苦情が起きた後の、コンプライアンス強化ぶりはその表れだ。

このような契約者と保険会社双方の性悪説に基づいた仕組みは、積み上がると凄まじい勢いでコストが増えてゆく。新しい商品が開発されるたびに、「既存商品と類似点があるならば、同じようなコンプラ対策・不正対策を講じなければいけないのでは」という検討事項がどんどん増えるからだ。

保険商品の革命が起きる条件とは

保険商品の革命は主に3つの切り口から始まる。統計の発明、販売ルートの発明、証明方法の発明である。

統計の発明とは、病気や怪我などの発生確率が新しく明らかになったり、「この支払方法でも採算ラインに乗る」と発見されることだ。

販売ルートの発明とは、ネット生保や代理店など、今までリーチできなかった層にアクセスできる販売手法の発見である。

証明方法の発明とは、加入者と保険会社双方の信頼を担保する仕組みについて「同等の機能をもっと安く行う方法がありますよ」と発見することである。

少額短期保険の命運を握るのは、3つ目の証明方法の発明である。

「ゼロトラスト」という概念がここで登場する。ITのセキュリティ分野で出てきた言葉だが、「不正を働いても旨味がない状況を作る」あるいは「構造的に誤魔化しがきかない状況を作る」ことで、「相手が信頼できるか」を吟味するのを不要とする仕組みだ。

少額短期保険の文脈でいうと、信頼を保つための仕組み検討コストを極力なくす効果が期待されている。

具体的には「保障額を小さくすることで不正請求よりも犯罪が発覚するリスクを重く感じさせるようにする」とか、「リアル社会でのコミュニティを保険集団として加入することで、不正を働いた時の社会的制裁を抑止力とする」などだ。

ただし、契約者の広がりを制限することになったり、収入保険料が小さくなるといったデメリットも抱えている。

ジレンマを乗り越えるためには、まだまだ工夫を積み重ねなければならない。イノベーションのための試行錯誤は、まだ始まったばかりだ。

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