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コミュ障と共感について考える

ビジネスの現場では、雑談や談笑と呼ばれる場面が時折発生する。仕事終わりに偉い人たちと一緒に飲みに行ったり、後輩を連れてご飯を食べに行ったりなどだ。

私は30代に入るまで談笑がかなり苦手で、いわゆるコミュ障と呼ばれる部類だったと思う。飲み会でも黙って酒を注ぎ、場の盛り上げは他の参加者のトークに頼ることが多かった。

しかし、年次が上がってくるとそうも言ってられない。気がついたら飲みの席で私が上位の年長者なんてことも増えてきた。

大抵の飲み会は参加者が3人以上になる訳だが、そうなると参加者全員がある程度理解できる話題が求められる。しかも、短い間隔でオチをつけないと、場がしらけてしまう。

人と違う角度から物事を掘り下げることが好きな私にとって、このような場面は自分のこだわりが完全に裏目になってしまうのだ。

最近そのコミュ障ぶりを少しでもマシにするべく、プライベートで「共感を集めやすそうな話題」を蓄積しようと動き回っている。

共感を集めやすい話題とは、自分の体験したサービスや行ってきた場所の話題に感情を絡めたものだと思っている。(だから外に出ない人間は自然とコミュ障になる)

そのうちの一部を紹介しよう。

千駄ヶ谷グルメ

東京将棋会館がある将棋ファンの聖地である。藤井聡太の活躍により、これまで隠れキリシタンのようにひっそりと生きていた将棋好きたちが、古参ぶって語れるようになった。良い時代になったものだ。

千駄ヶ谷でご飯を食べると、「もしかしたらプロ棋士と偶然に出くわすかもしれない」という淡い期待があり、食べ物以外のワクワク感もついてくる。

東京のグルメは世界的に見てもかなりレベルが高いので、こういった機能面(味の美味しさ)以外の要素がないとわざわざ足を運ぼうとはならない。

プロ棋士にとっては街全体が社員食堂のようなもので、どことなく定食屋を思わせる風情の店が多いように感じた。

なお、勝ち負けが収入に直結する世界なので、対局日には食べ物の味はしないそうだ。サラリーマンがグルメであれこれ言えるのも、毎月一定額の給料が振り込まれるからなんだなとあらためてありがたみを感じた。

ゲームで広がる交友関係

今の10〜30代の人間は生活の中に当たり前のようにゲームがある。私も職場の上司のお子さん(小学生2人)と一緒にオンラインでスプラトゥーンをやったことがある。

LINEの文章で戦況を伝えながら、「ここは俺が囮になる!」なんてやっていた。童心に帰ったようでとても楽しい時間だった。

また、別の日には「ディプロマシー」という外交のボードゲームをやった。プレイヤーが1人1つの国の立場になり、互いの領土を攻め入りながら戦力を増やすことを目指すゲームである。

ゲームバランスが絶妙で、独力で世界を制覇することは不可能な設計となっており、必ずどこかの国と手を組まないといけないようになっている。

休戦協定を結んだり、裏切られたりを繰り返しながら、進行していくのだが、密室での1対1の交渉を持ちかけるのは確かに世界のエリートにとっては最高の教育体験かもしれない。

ただし、最大8カ国まで参加可能なので、それぞれで密室交渉をするには、それなりの部屋数がある場所でないとできない。

内容以外でも富裕層・エリート向けのゲームだなと思った。

ちなみに、私はというと途中までトップに立っていたが、途中から酒が入って判断力が鈍り、最終的には最下位で撃沈。

アルコールの魔力にやられた格好である。

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