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比較競争と距離をとる考え方

こんにちは、リョータです。

※トプ画は趣味です。

noteを読んでいると
比較競争で悩まれる方が多いと見受けましたので

僕が理想としている
比較競争との距離を取る方法をお伝えしてみようかと思います。


全ての比較競争は数字から始まる


比較競争って一体何モノなのでしょうか。

細かい事かもしれませんが
物事を正確に推し量るには、言葉の意味を明確にしておくことが
重要だと考えています。

比較競争とは、、
数字を基準として、対象を推し量るさまのことです。

今までの比較対象の経験を思い返すと
全てそこには数字が絡んでいることがわかります。

つまり、
正確なものさしの役割として数字が登場し
その数字によって自他を比べることができるようになったと考えられます。

オリンピックがいい例です。
点数や、記録を比べるときに必ず数字が出てきています。

数字によって、いろいろなものを
より正確に比べることが可能になったのだと思います。


インターネットも数字の世界


このSNS時代、、全てのSNSに数字が表示されています。

そうです。
いいねの数、フォローの数、フォロワーの数。。。

数字により、またしても比較が始まることは目に見えています。

数字とは“対象同士を比べるために機能する”、、役割を持っているからです。
そして、数字の正確さという性質が、より比較競争を正当化しています。

数字だけを追うと、必ず比較競争の世界に呑まれるのは
社会に生きている人全員が体験するのではないかと僕は思っています。

そういった身近な教育方針、国の文化、世界の文化が根付いているからです。

大きく括るとそれを「資本主義社会」というのだと思います。

数字の社会です。

ではどうやって、数字の世界からおさらばするのでしょうか?


情報の受け取り方を変える


はじめに言うと、数字からは逃れられません、、。

よく「山奥に行って一人だけで暮らすと、気分良く過ごせるだろう、、」
と聞くことがありますが

あれは、おそらく数字の世界から逃れるために
社会と自分を切り離す行為なのだと思います。

今や社会生活を営む上で、
数字は切っても切り離せないものになっています。

なので、自給自足、山奥一人生活を行わない限り
数字には必ず携わることになります。

ただ、他人との比較競争からは逃れたいものです。

これも、完璧に逃げ切るのはおそらく不可能です。
僕がこれから提案する方法を持ってしても
完璧とはいかないのが事実でしょう。

その上で、提案しますと、、、

独立国家を自分の中に創る


比較競争をしてしまうのはなぜか・・・。

自分と他人を同じ世界のものとしてみているからです。


自分は100という数字を持っていて
ある他人が1500という数字を持っていたとします。

前提として、この二人が生きている世界では
数字が上の方が価値があるとされています。


赤い人がこう考えます。



階層で物事を捉え、

上に1500という数字を置いて
下に100という数字を置きます。

そして、こう言う訳です。
「自分は100しかないじゃないか・・・」

これは自分の頭の中の世界では
黄色い人と、赤い人が同じ地平で生きていて
同じ世界に住んでいる感覚です。

もちろん、実際そうだから、そうなのですが
素直にこの方式で物事を捉えていると
比較競争の強まった今の社会で生きることはとても難しくなりますよね。

だから
こう考えてみるのはどうでしょうか



“ピラミッドの中には自分しかいない”

まるでファラオ王かのように
ピラミッドに赤い人が君臨したわけです。

そうするとこの“100”という数字にも意味が出てきませんか?

なんだか、高級そうな100に見えます。

100という数字も、1500という数字も
実はただの数値でしかありません。

ピラミッドの外側の誰かが1500を持っていようが
自分の100という数字を見つめることができれば
それで満足。

それが独立国家の考え方です。

以前に書いた記事、こちらも関連している記事なので
ぜひ読んでみてください。

いかがでしょうか。

絵にするとかなりわかりやすくなったので
理解してもらえると嬉しいです。

なかなか絵のように見ることができないかと思いますし
かくいう僕もそんなに上手くできねーよ、、って感じです。

広い世界だから、
同じような苦しみを誰かも味わっていると思います。

一人ではないし、まあいっか、、と気楽になるのもいいですね。

数字に重きを置くだけではなく
やってきたことの過程とか、その中での成長を喜べると
とてもいいと思います。


僕自身は数字との穏やかな共存を望んでいます。


リョータ

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