ハッピーエンドは望まれない2

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 昼休み、岡村が別のクラスに行ってしまったので、花柴を誘うことにした。
 いつもメッセージアプリを開いて、一番やりとりの多い相手に文面を打ち込む。

トカゲ: 暇だったら一緒にご飯でもどうかな?
シキミ: なんですか気持ち悪い
トカゲ: 無理ならいいよ
シキミ: 行きます
トカゲ: それじゃ、教室で

 幼児のヤダヤダ期の対処法として、あえてその嫌だを受け入れると幼児があっさり意見を覆らせるというがある。花柴の反応はそれに似ていた。
 駄目元で誘ったのだが、意外と簡単に承諾されて驚いてしまった。
 チャイムと同時に教室を出て行ったので、誰かに会いに行ったのかもしれないと思っていたのだ。
 弁当箱の準備をしていると、五分も立っていないのに花柴が隣に腰掛けた。

「早かったね」
「トイレに行っていただけですので」
「トイレで弁当を食べるのは衛生的に心配かな」
「森石くんは、一時期そうしてましたね」
 なんだその新情報。あんまり知りたくはなかった。
「理由は教えてくれませんでしたが、個室だと邪魔されないという意味ではいいのかもしれません」
 花柴は手作り弁当の時もあれば、買ってきた弁当の時もある。今日は手作りのようだった。
 豪打とのことがあってか、花柴は随分と大人しくなったものだと思う。あまり俺を煽らなくなったし、朝の挨拶より先に森石のことを聞くのを考えると、何かしら責任を感じているようにも思えた。

「それで、どうして私を誘ってきたんですか」
 警戒よりもどこか怯えが混じる声に、怖いなら無理しなければいいのにと思ってしまった。
 視聴覚室でのこともそうだ。ガラスが割れた時の反応が少しばかり過剰に見えた。隣で森石が殴られる様子を見ていた時、その足が震えていたのを俺は知っている。
 あれは弱者の反応だ。そうであるなら、俺の本性を見破ったのも納得ができる。同類には同類しかわからない感覚があるのだ。
「大丈夫かなと思って」
「そんなことをいう松毬くんの方が、大丈夫ではなさそうに見えますけど?」
「俺が大丈夫なことなんて滅多にないよ」
 箸でつまんだおかずを口に運びながら、唇を歪める。
「俺のことはいいんだよ。花柴がこの二日ぐらい大人しいなって思ったから聞いてみただけ」
 ぴくりと花柴の瞼が反応した。
「これでも反省してるんです」
「なんで?」
 予定通りに行かなかったからだというのはわかっている。それでも俺はあえてそれを言わせようとする。
「私は松毬くんに豪打を叩き潰して欲しかっただけで、森石くんにあんなことさせるつもりはなかったんですよ」
「いずれはそうなるとは思わなかったの?」
 豪打は発言を間違えただけだ。けれども花柴はそれを知らない。俺の言い回しだと、あれだけのことをするほど追い詰めたという風に聞こえるだろう。
「それより先に松毬くんに止めて欲しかったんです」
「俺が止められると思ったの?」
「松毬くんなら簡単ですよ」
「そういう信頼はあまり嬉しくないな」
「今だって、豪打に対して罪悪感はないんじゃないですか?」
「なんで俺が豪打に悪いって思わないといけないの?」
 花柴が肩を揺らして笑った。
「だから、松毬くんに豪打をどうにかして欲しかったんですよ。暴力行為に抵抗も躊躇もない松毬くんがやれば、森石くんもあれ以上は傷つかずにすんだはずです」

 それが身体的な意味であるなら、そうなのだろう。
 ただ、あの場で俺が動いたら、罪悪感を抱くのは森石の方だと思った。
 森石が普通になろうとする俺に協力的であるという話を花柴は知らないからこそ、それを考えることができないのだろう。
 説明するならば、俺がどうしてそんなことをしてるのかをちゃんと伝えなければならない。それは嫌だったので、触れないことにした。

「花柴がそこまで森石のことを気にするのって、同志だからって理由だけ?」
「違いますよ」
 花柴はそう言って、持っていた箸を置いた。
「私が豪打に教えた森石くんの母親の話ですが、彼女がサブマサウルスを育てていたことも、そのサブマサウルスが人を殺せることも本当ですよ」
 計画していたというのは誇張ですが、と付け加えた花柴が語った内容はこうだ。

 現在、サブマサウルスは絶滅危惧種として、生息地である無人島で保護対象になっている。かつては、裏で高額取引されていたこともあり、島に乗り込む密猟者が後を立たなかったそうだ。その問題定義も含めて、森石の母親は何度か講演会を開いていたらしい。
 花柴はその講演会に行ったことがあり、そこでサブマサウルスがいかに危険が少ない生物であるかを聞き、密猟者の問題に対して森石の母親の言葉に感銘を受けたそうだ。
 もし、あの島に住むサブマサウルスが人類を敵だと認識したら、私たちはきっと報復を受けるでしょう。ちなみに、我が動物園のサブマサウルスには危害を加えた人間は食ってもいいと教えているので覚悟しておいてください。
 そんなことをさっきまでサブマサウルスは危険ではないと言っていた人間がするだろうかと思ったが、森石家がどこかずれていることを俺はよく知っているはずだった。

「彼女の育てていたサブマサウルスが、鯨土パークのサブマサウルスなんですよ」
「随分と詳しいね」
「最初に飼育していた園が潰れて、引き取り手が見つからなかったサブマサウルスを買ったのは私の父です」
 鯨土パークの所有者は花柴の父親で、今は経営を別の人間に委託している状態だそうだ。
「松毬くん、私はサブマサウルスをあんな窮屈なところから出してあげたいんですよ。森石くんだって、同じ事を思っているはずなんです。彼からすれば、あのサブマサウルスは忘れ形見のようなものですし」
 森石の父親が親は自分だけだと言った時にも薄々感じていたが、花柴の忘れ形見で確信した。森石の母親は生きてはいない。
 同じ状況になったらと思うとぞっとした。俺は自分の母親がいなくなることなんて考えたくはない。
「あのサブマサウルスは人間と戦うことができる。それなら、あんなところで閉じ込められているより、外に出してあげた方がいいと思いませんか?」
 身体を俺に向けた花柴が身を乗り出してきた。熱を帯びて潤んだ目が、俺を見ている。
「この町の人間は報復を受けるべきなんです。手伝ってくれませんか?」
 まるで熱に浮かされたかのように花柴はうっすらと笑った。
 報復、ね。
 心の中でその単語を反復する。それはつまり、この町の人間はサブマサウルスに報復されるだけの何かをしたということだろうか。
 いや、花柴の発言である。極めて個人的な理由でそう言っている気がした。

「俺が協力すると思う?」
「ええ」
 迷いのない頷きを俺は鼻で笑ってやった。
 そんな風に言われたら反抗したくなるに決まっている。
「悪いけど遠慮しとくよ」
 できるだけ、温和に聞こえるようにいえば、花柴があからさまに顔をしかめた。
「つまらない答えですね」
「俺はこれでもまともな人間なんだよ」
 正確にはそうなれるように行動している途中だけど。
「豪打には協力したくせに」
「脅迫されたんだよ。だから、仕方なく協力したんだ」
「それは他者を納得させるための理由であって、脅迫されたとも仕方なくとも思ってないでしょう?」
「そんなことはないよ。俺は臆病者なんだ」
「臆病者があんなことをするとは思えませんよ」
 それはどのことだろうか。花柴を突き飛ばしたことか、豪打を利用したことか、それとも豪打の口にガラスを突っ込んだことだろうか。

「花柴には冷静に見えたかもしれないけど、あれでも内心はいつ殴られるか怯えてたんだよ」
「松毬くんに怯えるなんて感情があるんですか?」
 あるんだよな、これが。そんな感情なんて消し去りたいのだが、うまくはいかない。
 ただ、怖いもの知らずと思われているのなら、そのままにしておいた方がいいだろう。
「花柴って俺が冷酷非道な悪魔とでも思ってるの?」
「いいえ。無差別に人を叩き潰すことが楽しくて仕方ない化け物だと思ってます」
 それはまた理想的なイメージだ。完全否定できてないところが特にいい。
「花柴はそんな化け物に協力して欲しいと本気で思ってるの?」
「ええ。私だけでは何もできません」
 それはそうだろうなと思う。
 豪打の件にしたって、森石のことを気にしていたわりに、自分から割り込んだのは一度だけだ。それもギリギリの状態だったからである。
 結局のところ、花柴は豪打に立ち向かうことはできない。それは性別的な力の差だけではないように思う。
 自分が怖いと思っている相手を味方につけるというのは、安心感という意味では最良の判断だ。そういう意味で花柴は賢いのだろう。
 全部知った上で花柴の味方になって、その後に裏切ってやりたい。俺のことを化け物だなんだと言いながら、味方になった途端、彼女は安心するのだろう。随分と都合のいい話だ。

「花柴って俺のこと好きなの?」
 咄嗟に答えようとした花柴だったが、言葉を止めた。無言で見つめられたところで、俺は何も思わない。
 聞いた俺がいうのも矛盾しているが、好きだとか愛してるだとかの言葉に意味は無い。わかっていながら、それに縋りたい気分の時があるだけだ。
「好きですよ」
 笑みを消した花柴のつぶやきは、騒がしい教室内とは別世界にいるかのように落ち着いていた。
 彼女にしてはちゃんと考えた上で発言したのはわかっている。それでも全くもって心が動かなかった。
 笑み一つも浮かべられない話だ。相手が真剣だから誠実であろうとしているわけではない。  
 本当の意味で俺のことを必要とする人間は、いつだって俺のことなんて見ていないのだと落胆しただけだ。
「俺は好きじゃない」
 つい、本音が漏れる。だから叩き潰したい。向かい合う他人はすべて敵で、利用して、弄んで、それだけの存在だと思った方が気が楽だ。
「花柴。協力して欲しいなら、それに見合うほど魅力的な話を持ってこないと駄目だよ」
 薄らと口を開けた花柴を見ながら俺はいう。
 視界の端に岡村が教室に戻ってきたのが目に入ったので、さっきまで花柴に絡まれていたかのように眉尻を下げて見せた。

 岡村が俺に気づき、花柴を一瞥した後に早足で俺の前まで移動してきた。食い下がろうとした花柴が何か言う前に、いつもの陽気な笑みをみせる。
「花柴が熱心に口説いてるなんて珍しいな」
「邪魔なので帰ってくれませんか?」
 あからさまな舌打ちの後、花柴が岡村を睨みつける。
「仲間はずれにするなよー。寂しくなるだろ?」
 俺の机に肘をつきながら岡村が唇を尖らせれば、花柴は顔を逸らした。
 これでしばらくは黙っていてくれるはずだ。本当、岡村様様である。

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