悪い奴は誰だ 6

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 ぎゃあぎゃあ喚きながら崩れ落ちた豪打を見ることなく、森石は持っていた破片を叩きつけるように投げ捨て、ようやく俺を見た。
「帰る」
 よく聞く三文字だったが、その声に疲れが滲んでいた。
「教室に戻るんじゃなくて、帰るの?」
 確認するような俺の問いに、森石はもう一度「帰る」と繰り返す。
 俺を無視して通り過ぎることもできただろうにそうしない理由は、一緒に来て欲しいということだろう。
 これぐらいなら、何を考えているのかわかるんだけどな。
 俺としても今の森石を一人で帰らせるわけには行かないのでちょうど良かった。
 ポケットから取り出したハンカチを赤くなった森石の手に結んでから、その背中を軽く押した。
「教室を出たとこで待ってて。すぐ行くから」
「……わかった」
 長い間をおいて、森石が頷いた。その背を完全に見送ってから、俺は胸元に手を当て、深呼吸する。

 座り込んだ花柴の顔が歪んでいる。まるで幽霊でも見たかのようだ。もっと脅かしてやりたいところだが、俺には先にやることがある。
「大丈夫?」
 首を触りながら死ぬ死ぬと喚いている豪打を見下ろせば、「なに笑ってんだっ! ふざけんじゃねぇぞ!」と喚かれた。
「面白いからだよ」
 森石の捨てた破片は赤で濡れているが、豪打の血はほんの僅かでしかない。
「これぐらいでは死なない」
 森石の発言をなぞるかのように口にして、俺は手を切らないように拾ったガラスの破片を手元で弄ぶ。
 冷静になってきた豪打がようやく森石に切られたのが薄皮一枚程度のものだと気づいた。
 ここで殺されずにすんでよかったと終わる人間は賢い。ただ、豪打は馬鹿だ。拳を床に叩きつけて「今度こそぶっ殺してやる」などと物騒なことを言う。
 こういうことになるから、馬鹿は厄介なのだ。
「今日、どうしてお前に協力したのか教えてやろうか?」
 起き上がった豪打に近づけば、「ああ?」と鼻の奥を膨らませる。その顔を見下ろしながら、俺なりの優しい笑顔を向けた。
「森石を助ける名目で殴りつけてやろうと思ってたんだよ」
「てめぇ」唾が飛ぶほど開いた口に、俺はガラスの破片を突っ込んだ。「あが」
「動くと口か舌が切れるから気をつけなよ? 余計な動きをしたらそのまま喉に突っ込む。わかったら瞬きを一回しろ」
 素早く瞬きが返ってきた。物わかりのいい馬鹿は苦しまずに済むというものだ。
「ごめんな。別にさっきのあれでおしまいにしてもよかったんだけど、うやむやになると気持ち悪いから約束しておこうと思って」
 豪打の呼吸が徐々に短くなっている。酸欠で頭が回らなくなると思考能力が落ちるので、約束事には不向きだ。あくまで約束する側としてであって、させる側であるなら別である。
「これを教訓にして森石で遊ぶのはやめてくれないかな? わかったなら瞬きを一回ね。わからないなら二回で」
 反応は早かった。ここまで物わかりがいいと俺としては退屈である。
 けれどもそんなものだろう。その方が平和だと思うことにして、ゆっくりと差し込んだガラスを抜いてやった。
 口の中が乾燥したのか豪打が咳き込む。その側頭部に手を伸ばして髪を掴み、横の机に叩きつけた。
 衝撃で豪打が白目をむく。意識がないのを確認してから立ち上がった。

「さてと、花柴。どう? 満足した?」
「満足、できるわけないでしょ」手をついたまま、花柴は消えるような声を漏らした。「森石くんが、あそこまでするなんて」
 俺もそれは意外だったが、花柴ほどのショックを受けなかった。
「花柴は、森石が暴力を前にされるがままで、最後には殺されるだけの無力な少年でいて欲しかったの?」
「殺される前に松毬くんが止めるはずです」
 さすがにそうなるもう少し前に止めたいところだ。俺は森石を追い詰めることに楽しみを見出しているわけではない。
 今日の傍観にしたって、近くにいれば助けを求めてくれるかといらない期待をしてしまっただけだ。
「それがお前の書いたシナリオだって言うんなら、ざまあみろだな」
「松毬くんは森石くんにあんなことをさせて平気なんですか?」
 質問というより責めているようだ。俺は答える代わりに笑って見せた。
 持っていた破片を後ろポケットに入れてハンカチを取り出そうとしたが、森石に渡したのを思い出す。仕方ないのでズボンで拭く。制服が黒だと目立たないのがいい。
「そんなことどうでもいいんだよ。遊べなかったのは残念だけど、森石がちゃんと抵抗できるのが知れて、素直に嬉しいよ」
 嬉しいけど、少しだけ寂しいと思うのは勝手な感傷である。
「それを試すために助けなかったんですか?」
 こいつ、俺をよっぽど悪者にしたいらしいな。
 俺は答えずに軽く手を振ってその場を立ち去る。花柴が追ってくる可能性も考えたが、そうはならなかった。

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