悪い奴は誰だ 5
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「なんだ、松毬。花柴まで一緒じゃねぇか」
「一緒だと都合悪かった? それなら追い出すけど?」
「いいんじゃねぇの? いやぁ、松毬がこんなやつだって知れたのも花柴のおかげだしなぁ」
チラリと豪打は花柴に視線を向ける。口元に手を当てていた花柴が強く拳を作った。
「何を考えてるんですか」下から湧き上がるように言った花柴が、殺気だった目で俺を見た。「松毬くんがなんであんなのに協力してるんですか!」
「あんなのだぁ? 先に面白い情報を教えてくれたのは、花柴じゃねぇか」
ほんとにね。
それなりに学習能力はあるらしい花柴は、今にもつかみかかりそうな視線を俺に向けつつも動かなかった。
胸倉を掴んできたら机の押しつけてやろうと思ってたので安心した。一応、森石の前だし、そういうところは見せないようにしたい。
この状況でそれを気にするのもおかしな話か。
「ほら、森石よぉ。お前の味方なんてどこにもいねぇんだよ。可哀想になぁ」
見下ろす豪打を森石はじっと見返している。
相変わらず何を考えているのかは読めない。俺に視線を向けたのが最初の一回だけだったのを思うと、異常な状況であることは理解しているのだろう。
なんていうか、面白くはないな。
何がと言われても説明はできない。森石以外の状況は予想通りだ。なんだったら、花柴がまるで裏切られたような顔をしているのをざまあみろと言いたいぐらいだ。
「豪打さんが話しかけてんだろ? 無視すんじゃねぇよ!」
取り巻きの茶髪が森石の横腹を蹴る。それを合図だったように、交互に一発ずつ蹴りや拳が森石に降り注ぐ。
花柴の舌打ちが聞こえた。
「いいんですか?」
「何が?」
森石を見たままで花柴に返す。
いくら俺の同居人が無表情だとはいえ、痛覚がないわけじゃない。蹴られたら表情は歪むし、咳き込むような人間だ。
俺がいると口数は増える方なのに、今日に限ってはほとんど黙り込んでいるのがどうにも落ち着かない。
「よくも放っておけますね」
「なら、花柴が助けに行けば?」
俺の突き放すような言い方に、花柴が何か言ったようだが聞こえなかった。
反応すると相手を喜ばせるだけだから無反応の方がいいとは言うが、それはそれで相手の行為がエスカレートしていくように思える。
森石は死ななければいいと言ったが、この場合の限界値はどれぐらいの認識なんだろうか。一方的に殴られ続ける経験がある俺としては、まだこれぐらいなら大丈夫だとは思う。
ただ、取り巻き二人はさておき、豪打の攻撃だけは重いのが厄介だ。
豪打は森石がサブマサウルスを使って悪事を企んでいるのだと、俺にした話を繰り返す。素直にそれをやめれば、俺たちもこんなことはしないと思ってもないことを口にした。森石は否定も肯定もしない。かといって、動揺している様子でもない。
正直、話を聞いているのか怪しいところだった。その視線の動きは声を発している相手ではなく、攻撃してくる相手にしか反応しない。見えているはずなのに、避ける様子はなかった。違和感があったのは、避けようとする動きはあるのに途中でやめることだ。狙われた場所が顔か頭の時だけ、腕で庇う。
その光景に今朝の悪夢が頭をちらついて、叫びたい衝動がせり上がってくるのを飲み込んだ。
あー、もう。
こんな状況、岡村なら飛び出しているだろう。俺と森石の関係を考えたら、止めに入るのが普通だ。
それなのに動けなかった。できれば、気づかずにいたかったのだが、森石がそれを一切望んでないのがわかったからだ。俺に対して要求があるなら、森石は俺を見る。そうでなければ、何かを言うはずなのだ。
わざとされるがままになってるのか? その理由は?
見た限り、恐怖で動けないわけではない。怯えも感じない。かといって、諦めているようにも見えない。勝機はなくても抵抗はできるはずなのだ。
肩で息をする森石の反応が鈍り始めてきたのに合わせて、豪打たちにも飽きが見えてきた。
いつもはどのタイミングで終わらせているのだろうかと思う。
豪打が何かの合図のように顎を動かし、取り巻き二人が森石を両脇から持ち上げた。
素振りのようにボクシングの構えで拳を突き出す真似をする豪打に、花柴が短く息を吐く。俺の横を早足で通り過ぎた。
「まだ続ける気ですか!」
森石を庇うように立ちはだかる花柴に、豪打がようやく変化があったとばかりにニヤリと笑った。
「あ? 何わけのわかんねぇこと言ってんだ? まだ何にも解決してねぇし、こちらとら満足はしてねぇんだよ」
手のひらに拳をぶつける豪打に、花柴が一歩後ずさったが、それでも睨みつける目は変わらなかった。
「どこまでやれば満足するんです? 殺す気ですか!?」
「それぐらいした方がいいだろ。どうせ、こいつが死んだところで」
言いかけた豪打の言葉に取り巻きのどちらかが発した叫びが重なる。取り巻き二人が森石から手を離していた。足下を気にしているのを見ると、蹴られたか踏まれたかしたのだろう。
金髪が森石が逃げたことに気づいて慌てて手を伸ばす。それを避けるように森石が屈む。そのまま反対側にいた茶髪の腹部に向かって、足に勢いをつけて身体ごとぶつかる。バランスを崩した茶髪は机に背中をぶつけ、口から濁った音を出した。そのまま床に落ちた森石は一回転して、よろめきながらも立ち上がる。向かう先にあるのは立てかけられた予備のパイプ椅子だ。何をするか金髪が理解する頃には、森石がパイプ椅子を振り下ろしていた。避ける隙などない。金髪が膝から崩れ落ちたのを確認した森石は、身体ごと豪打を向いた。
あっという間だった。森石の動きはスムーズとはいえなかったが、完全に油断しきっていた相手に対しての行動としては充分だ。
俺ですら状況を理解するのに時間がかかった。
森石の呼吸は整っていない。その手はパイプ椅子を握りしめているものの、どこか痛むのか僅かにふらついている。それでも射貫くというより突き刺すような光を帯びた黒い瞳だけは、豪打の姿を確実に捉えていた。それに気圧されたのか、豪打に一瞬だけ怯えが浮かんだが、力の差を思い出したのか大きな声で笑う。
「なんだ、てめぇ。それで俺と張り合うっていうのか? 勝てるわけねぇだろ」
単純に力だけならそうだ。ただ、俺にはどこか自らに言い聞かせているように聞こえてしまった。
花柴が豪打から距離を取る。状況の説明を求めるように俺を見たが、目が合うなりその身体が強ばった。
随分な反応だ。おそらくはこの状況で我慢できずに笑みが浮かんだ俺を見て、嫌悪したのだろう。俺としてはどう思われようと関係がない。この場で意識のある人間は森石を除いてロクな奴らではないから、今の俺を見られても平気かと思い始めていた。
さっきまでの苛立ちが嘘のように気分がよかった。
数分もしない間に圧倒的に強者だった豪打が、それまで最弱だった森石を前にして動揺している。
豪打のいうように真っ向勝負であるなら、森石は勝てないだろう。けれども、単純に力があれば勝てるというわけではない。スポーツをやっている人間ならわかっているはずだ。
森石がパイプ椅子を握り直す。ゆっくりと瞬きをして、大きく息を吐いた。
「僕はこんなところで死ぬわけにはいかない」
そこでようやく、森石の変貌理由がわかった。花柴が殺す気かと問いかけ、そのぐらいした方がいいだろと豪打は答えた。それは殺す意思はあることを示している。いくら森石であれど、殺人予告を前にして大人しくはしていられなかったのだろう。
豪打にそんな度胸があるわけないけどな。
仮にそうだとしても関係ないことだ。森石は言葉通りに殺人予告と受け取った。だから、抵抗したというだけの話だ。
俺はもたれかかっていた机から身体を離す。
「そんなもんで俺が倒せると」
豪打の発言を最後まで聞かずに、森石がパイプ椅子を振った。豪打ではなくカーテンに叩きつける。その向こうのガラスが割れる音は、タイミング良く通過した飛行機の轟音にかき消された。
花柴がそれに驚いて耳を塞いで、その場にうずくまる。怪訝そうな表情の豪打に向かって、森石はもう一度パイプ椅子を振った。今度は豪打に向けてだが、その距離だと届かない。だが、さっきまで強く握っていたパイプ椅子を森石はあっさりと手放した。飛んでくるとは思わなかったのか、豪打が咄嗟に腕で振り払う。
その間にしゃがみこんだ森石が、割れたガラスの破片を手に取った。そのまま地面を蹴って、飛び込むように豪打の前に移動する。その無防備な首元にガラスを押しつけた。
割れた窓から差しこんだ風でカーテンが舞う。
「……は?」
パイプ椅子とカーテンに気を取られていた豪打には、森石が突然現れたように見えたのだろう。
「森石、くん」
一連の流れをまともに見ていなかった花柴がつぶやき、俺は彼女の隣に移動してから森石に対する評価を間違っていたことを恥じた。
ここまで思い切ったことをするとしたらよほどのパニックに陥っていると思っていたが、目の前の同居人はそうは見えない。
何も言わなかったが、豪打を見る目の奥で火花が散っている気がした。握った破片にどれだけの力を込めたのか、手の平を伝って血が滴り落ちる。
「待てよ、おい。なにやってんだ? は? まさか、違うだろ、なぁ」
「黙れ」
たったの三文字で豪打が慌てたように口を閉じ、その顔から汗が噴き出した。
言われた側はそうなるだろうと思うが、俺からすれば興奮するものだ。
その場にピンで固定するかのような視線はそのままに、森石が目を細めた。
「質問がある。正直に答えて欲しい。できるか?」
豪打が頷こうとしたが、そんなことをすれば首元のガラスが擦れるとわかったらしい。かといって、黙れと言われている以上、何かを発したら首を切られかねない。はくはくと口を動かすのを眺めながら、森石が僅かに首を傾けた。
「できないのか?」
「で、できます! なんでも答える! 答えるから」
「うるさい」
理不尽な話ではあるが、森石は豪打を振り回すためにそうしているというより、単に思ったことを口にしているだけのような気がした。
こんなに面白い状況なのに、何かを言えば言うほど森石の不機嫌さが表面化していく。
「僕を殺す気なのか?」
「そんなわけないだろ? クラスメイトを殺すなんてそんなこと思ってるわけねぇって、さっきのはあれだ、ほら、冗談、冗談だって、あるだろ。ほら」
「冗談? 僕を騙したってことか?」
「騙すなんてそんな、お遊びだって。今日のこれもいつものやつもお遊びだって言ってるだろ。遊びだから本気にすんなって」
どうにか笑って誤魔化そうとした豪打だったが、唇がひくついていて気持ち悪さが増しただけだった。
へえ。お遊びね。
確かに俺も遊びでこれぐらいのことをした経験はあるが、森石を相手にそれを突き通そうとしているのを見ると随分と馬鹿にされているようだ。
森石は何も言わずにガラスの破片を持っていた手を引き寄せた。
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