ハネモノ通り2

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 やれやれ。今日の俺は誰かのフォローばかりしている。
「森石、弁当食べる?」
 軽い口調で問えば、頷いた森石が緩慢な動作でリュックを開けた。羽衣おばさんが窓を開ける。
 車内が綺麗だから飲食物は気にするかと思ったが、その辺りは平気らしい。
 腹が減るとネガティブになるっていうからね。
 ましてや、相手は森石なのだ。三食きっちり食べる優良児には、定時の食事が必要だ。 

「トカゲ」何か話題を振る前に羽衣おばさんの方が口を開いた。「彼についてトカゲは知りすぎた」
 普通に話せるじゃねえか。さっきの棒読み設定を貫けよ。
「急に死亡フラグを立てるのはやめて欲しいな」
「死亡フラグではありません。これはルートが確定したということです」
「羽衣おばさん、恋愛ゲームでも嗜んでたの?」
「嗜んでいたゲームはサウンドノベルゲームですが、付き合っていた男どもいわく私と付き合うことはゲームのようなものらしいです」
 わあ。ごめんね、そんな可哀想な人だって知らなかった。
 過去の恋愛絡みに首を突っ込むと殺されそうなので避けることにする。

 サウンドノベルゲームとは、通常のアドベンチャーゲームと違って画面に映し出された文章と他の演出を楽しむものだ。ゲーム性としては途中で出てくる選択肢によってエンディングが分岐する仕組みになっている。
 似たようなシステムのゲームはあるものの、商業でサウンドノベルゲームと名のついたゲームはだいたいがホラーだ。つまり選択肢を間違えると人が死ぬ。
 羽衣おばさん、それを嗜んでたとなるとアラサーだろうな。

「俺は誰とのルートが確定したの?」
「私ですね」
 そこは森石じゃないのか。好感度って意味なら悪くないと思うんだけど。
「エンディングは何種類かな?」
「二種類ですね」
「ハッピーエンドかバッドエンド?」
「バッドエンドが二種類ですね」
「クソゲーかよ」
「周回して初めて新たなルートが開きます」
「残念だけど、現実に二周目は存在しないんだよ?」
「大丈夫です。仏教によれば、二周目は存在するので安心してください」
「二周目で人間になれなかったら終了するね」
「何をいってるんです? トカゲが人間になれるわけないでしょう」
 俺としては人間のつもりだが、花柴には怪物ともいわれたし、進化の道のりは長そうだ。

「羽衣からすれば、人間として生まれることは最初の不幸らしい」
 弁当箱しか見てないわりに、会話はちゃんと聞いていたらしい。俺が黙り込んだのに気づいて、森石が補足する。
「やめてください。それでは私がトカゲを好きみたいではないですか」
「嫌いだったら無駄話すらしないだろう?」
「あまり言いたくはありませんが、この年になると迂闊に年代が逆算できるような話はできなくなってしまうんですよ」
「アラサーって大変だね」
「二十五歳はアラサーに足の指を触れた程度です」
「俺としては年齢なんて書類手続きに必要な記号としか思えないんだけど、女ってなんでそんなこと気にするの?」
「今はそうでしょうが、そのうち、同じ女なら若い方がいいと思いますよ。トカゲのような人間は特に」
 それぞれの年代に良さはあると思うのだが、若い方がいいというのは単純に繁殖としての本能に近いのではないかと思う。

「羽衣、松毬は年上好きだからそれはない」
「もりいしさん?」
 急に断言されて、何も悪いことをしてないのに汗が出てきた。
「違うのか?」
 確認しちゃうの?
「あっ、いや、え、あ」
 脳が言語を拒否しているのがわかる。他の相手ならばどうにも言えたのだが、森石が相手だと隠しているつもりのものを見破られた気がしてならない。
「私の調べた限りでは、付き合う女性の年齢に偏りはなかったように思いますが?」
「付き合う女性は別だ」
 そうだ。ホテルに行く女というのは、最初からそういう対象としか俺は見ていない。
 あれ、俺、そんな話を森石にしたっけか。
「松毬は三十代以上の女性が相手だと、雰囲気が優しくなる。スーパーで子ども連れの女性に会うと、車まで荷物を持っていってくれるぐらいには甘い」
「私からすれば、下心しか見えませんが?」
「羽衣おばさんの言うとおりだよ。人妻ってドキドキするってだけの話であって、甘いわけじゃない」
「お菓子売り場ではしゃいでいる子どもに困り果ててる女性を見ると、子どもに対してイライラするのも下心に関係あるのか?」
 なんでそんな俺のことよく知ってんの?
 そういや森石って買い物中も俺ばっか見てるわ。そりゃわかるわ。

「このままだとトカゲが茹で上がりそうなので、その辺りでやめた方がいいと思います」
「何か問題のある会話だったのか?」
「そうですね。貴方が好奇心に負けてお父様の部屋から拝借したタバコを吸った話とか、人にバラされると困るでしょう?」
「どこでその話を聞いたのかわからないが、羽衣がそれを話してどうする」
 俺ほど露骨な動揺はないが、後ろからだと森石の首が僅かに赤くなっているのが見えた。
 この同居人が好奇心に負けるのは想像できない。そういう時期もあったのだと思うと、引きこもる前の森石がどうだったのか気になるところである。
「ここまでなら誰にでもある話です」
 いつの間にか車は鯨土パークまで来ていた。無駄に広い外周をなぞるように、羽衣おばさんがハンドルを操作する。
「なかなか家に着かないと思ったら、道を間違えたのか?」
 ようやく森石も帰路から外れていることに気づいたらしい。食べ終わった弁当箱を片付けながら問いかける。
「サブマサウルスを見に行くかと思ったのですが、違いましたか?」
「今日はやめておく。肉食動物に会うには傷が深い」
 血の匂いがすると興奮する動物はいるが、サブマサウルスはどうなのだろう。

「失言だった」
 ぽつりと森石がつぶやいて、運転席を見た俺はゆっくりと助手席側に移動した。
 羽衣おばさんが血管が浮き出るほどハンドルを握りながら、漫画に出てくるような魔女を思わせる笑い声をあげる。
「誰です?」
 誰がやったんです? と羽衣おばさんが付け加える。
 その髪がふわりと浮かんだのは、窓から入ってきた風のせいということにしておいた。
「僕だ。誰かにやられたわけじゃない」
「本当ですか?」
「その場で殺傷能力が高く、僕が扱えそうなのはガラスの破片だけだった」
 森石の説明に納得したのか、羽衣おばさんは手の力を抜いた。
「死体はどうしたんです?」
「殺してたら先にお父さんに電話をしている」
「私が死体にしてあげましょうか?」
「僕は刑務所まで面会には行かない。それでもいいなら、好きにすればいい」
 もっと止めるかと思ったが、森石は言葉以上の感情はないように見えた。
 豪打が可哀想だとは思わないが、相手に対する下調べは重要なのだと改めて実感した。本人ではなく、その背後の存在が恐ろしいことはよくあることである。

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