ハネモノ通り3

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「その様子だと相手を憎むことも恨むこともできなかったようですね」
 最初から森石の目的を知っていたかのような言い方だ。
「羽衣おばさんは今回の話をどこまで知ってるの?」
「詳しくは知りません。校内への侵入は禁止だと言われているので、校外での情報からの推測です」
「本当は僕に関する情報を全面禁止にしたかった」
「そうすると万が一がありますからね。代わりに余計な手出しをすると縁を切ると言われてるので、この数ヶ月は大変でした」
 俺は買い出しや岡村が受けた雑務を手伝っていることもあるので、帰るのは森石の方が早い。いつも俺が帰る頃には家にいるので、放課後の校内以外は気にしたことがなかった。

「ただ、私はさておき、トカゲにぐらいは助けを求めるべきだったと思いますよ」
 俺が思っていたことを見抜いたわけではないだろうが、羽衣おばさんはそんな風にいう。
 森石は考えるように俯いて、頬の傷を指でなぞった。
「あの時、今の僕と同じ境遇で彼は助けを求めなかった。逆の立場になった時、僕だけは助けてもらおうなんておこがましい話だ」
 それは森石に傷をつけた相手のことだろうか。だとしたら、俺はそれを間違っているとは思えないし、森石とそいつは別だろうとしか思えない。
「そんなことは関係ありません。単純に貴方が傷つくのをただ見ているのはつらいからですよ。それが貴方の望んだことだとしても完全に割り切ることはできません」
「君もそう思ったのか?」
「私は平気ですよ。本当にどうしようもなくなった時は、貴方が私かお父様を呼ぶことを知っていますので」
 それなら何も問題がないはずだと森石は言いたげだ。
 俺は羽衣おばさんが何を言うのかわかってしまった。
「けれども、トカゲはそれを知りません」
「そう、か」森石が手を組み直す。「そうだな」
 まるで噛みしめるようなつぶやきだ。

「それでも僕はあの場で松毬を頼ることはできなかった」
 断言した森石に羽衣おばさんは、満足そうに笑う。
「その意図もきっとトカゲは知りませんよ」
「そうなのか?」
 問いかけは俺に向けられる。
 羽衣おばさんは答えを知っているのに俺が知らないというのは、どうにも仲間はずれにされた気分だ。
「そうすると俺が豪打にやられそうだと思ったから、とか?」
 やや投げやりな言い方になったが、森石は何度か瞬きをした。
「松毬が豪打に負ける訳がないだろう? 彼は僕を殺そうとするような発言を冗談だといって、何の覚悟も持っていなかった。そんな相手に負けるとは思えない」
 俺自身もそう思っているが、森石に何の迷いもなく言われてしまうとどうにも素直に受け止めづらい。
「それなら、少しぐらい加勢させてくれたってよかったと思うんだけど」
「松毬が求める普通はそれとは違うだろう?」
 当たり前のように言われて俺は呻いた。それでもと正当化する理由をいくつか挙げようとして、振り返った森石の目を見ると何も言えなくなる。
 見透かすようなそれを前にして、言い訳が通用するとは思えない。

「僕は松毬が変わりたいと望んだことも、その理由も知っている。にも関わらず、僕がその手を汚せと言うのはおかしい」
 それなら余計なことをしたなと僅かに後悔した。そこまで考えていたとは思わなかった。
 考えて欲しくはなかった。
 視聴覚室での俺は、見ようによっては豪打の味方だ。それでも責めもしなければ、俺への態度を変えることもない。

 一緒に住み始めた頃、あまりにも森石が自身の危険に対して反応が薄いわりに生死には敏感なので、どこまで平気なのか試そうとした。
 その時に包丁を突きつけたことがあったが、森石は俺を見たままで逃げようとはしなかった。
 それに危機感を覚えて、無防備すぎると言った俺に対して、森石は言ったのだ。
――松毬が僕を殺すとは思えない。
 何の根拠もないくせに断言して、俺はそれを喜ぶべきか怒ればいいのかわからなかった。

「いいではないですか。暴れたいという欲求もまたトカゲの望みですよ」
 黙り込んだ俺に思うところでもあったのか、羽衣おばさんが言う。
「君だって松毬が暴力を振るうのはよしとしないのではないのか?」
「いいえ。私は貴方がその対象になることがあってはならないというだけであって、トカゲのことはどうだっていいのですよ」
 真意を探るように羽衣おばさんを見ていた森石は、諦めたように肩を落とした。
「ただ、今回のことで貴方がトカゲに心を砕く理由はわかりました」
「わかってくれたのなら僕は嬉しい」
「わかったところで、トカゲを好きになることはできませんが」
「それは残念だ」
「私が好きなのは貴方だけですよ」
「特別を主張するために、他の全部を蔑ろにするのはよくない」
「目先の目的ばかりを見て、他を蔑ろにする貴方に言われるのは納得がいきません」
 蔑ろというより、森石には自分自身があまり見えてないのではないかというのが俺の感想だ。
 最悪の事態に対しての防御は考えても、それ以外に関しては些細なことだと思っている。
 考え込む森石をそのままに、車は停車した。

 鯨土パークから少し離れた場所にある二階建てのアパートが俺と森石の住んでいる家だ。新築でもなければ、古すぎるわけでもなかった。部屋の位置は二階の端だ。隣も真下も契約している人間はいるらしいが、俺はどちらの住人の姿も見たことがない。おかけで、騒音と近所トラブルの心配が少ないので助かった。
「到着してしまいましたね」
 名残惜しそうに羽衣おばさんが言うが、森石はシートベルトを外し、ドアを開けた。
「今日は助かった。あまり迷惑はかけないように善処する」
「私は貴方に会う口実ができるなら、多少の迷惑でも歓迎しますよ」
「僕が嫌なだけだ」
 笑いもせずに言って、森石は扉を閉めた。

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