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いいおかあさんになれなかった。

子どもが四人、孫が二人、73歳のおばあさんです。

おばあさんにはなりましたが、いいおかあさんにはなれませんでした。子どもは成人したので、それでよしとしてもいいでしょう。成人するまで、衣食住を確保し、できる限りの必要な医療を受けられるように心を配りました。

やることはやったのですが、子供の側から見たら、どうだったのでしょうか。自信がありません。

我が家の場合、長女が障害者なので、下の三人は、口には出さなくても、苦労をしたと思います。今は、きょうだい児という言葉もありますが、半世紀近くも昔のこと、とにかく、「母親」が何とかしなければいけないというような時代でした。障害のある子が生まれると、父親や親せきは、母親を非難し、責任をすべて押し付けました。

もちろん、夫婦でよく話し合い、病院にもご両親の付き添いで通い、障害のあるお子さんを、あたたかく育てる家庭はあります。私は一人で、下の子を連れて、おむつをもって、長女の通院に行ってましたから、ご両親そろって付き添っている方たちを見ると、うらやましく感じました。

障害のある子が生まれると、その子一人だけを大事に育てるとか、その子の下にはきょうだいは持たないというような家が多いようです。だから、うちのような家はかなり特殊でした。障害のある子がいないとしても、子供が四人もいる家は珍しいでしょう。

そのような特殊な家で、常にがやがやと騒々しく、次々事件がおき、さらには、両親が離婚してしまうなどという環境は、子どもが育つには過酷です。過酷な体験をしながらも、成人したのですから、サバイバーとでもいえるでしょう。とても、すばらしいことです。

子どもたちが小さいころ、私は、あまりのつらさから、鬱病、不安障害、強迫性障害になり、精神科通院とカウンセリングを開始しました。投薬、認知行動療法、EMDR、個人カウンセリングとグループカウンセリング等など、深い暗闇から抜け出すために、ありとあらゆることをしました。おかげで、離婚もでき、自分の意思をはっきり言えるようになり、今の自分があります。

私は写真を撮られることが嫌いで、あまり写真がありませんが、子どもが小さい頃の自分の写真を見ると、無表情の暗い目をした母親が子どもの横に立っているのです。半分死んだような母親に育てられた子どもは、いったいどのような気持ちでいたのだろうか、と考えると、こころが苦しくなり、「ごめんなさい」というしかありません。

ひとり親家庭になりましたが、障害のある子がいる家庭は、離婚家庭がとても多いと気がつきました。父親が出て行ってしまった我が家のように、母親一人で頑張る家のなんと多いことか。

私の場合、解放されたので、本来の自分を取り戻すことができ、死んだ目をした自分ではなくなりました。それは、よかったことです。母親がいきいきするようになったのだから。家の中が明るくなったのです。

ですが、そこに至る経過はまるで地獄絵図でした。子どもたちは、話し合いにならない両親の言い争いを、すべて聞いていたのですから。

一番つらかったのは、両親の前で、子どもが泣き出した時です。でも私は,もう我慢できなかったのです。耐えることに。非難されることに。蔑まれることに。

離婚はとてもエネルギーが必要です。私の人生で、一番いい仕事、それは「離婚したこと」です。とはっきり言えます。

しかし、それと同時に、子どもに対しての後ろめたさを感じるのです。しっかりとした結婚ができなかった。あたたかい家庭で和やかな子育てができなかった。今でも、こころが苦しくなります。

高齢になり、死を意識するようになった今、自分のいたらなさをしみじみ感じ、胸が痛くなります。

ほんとうにごめんなさい。


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