不登校の娘の判断を応援したい。
先日、わたしの中学生の娘は「修学旅行に行かない」という選択をしました。
娘にとっては大したことないと思うだろうけど、「修学旅行」という当たりまえに行って今後も思い出に残るイベントを、娘はキャンセルしたのです。
席はあるものの、もう1年以上自分の教室に行って自分の席に座っていない娘にとって、いまさら修学旅行だけ参加しても周りの目が気になるという気持ちがあることも分かる。なので学校の先生と相談して、行かないという選択をしました。
しかし親子共々、惜しいことをしてしまったなあという気持ちも実はあまりないんですよね。
コロナ禍に入り、学校の修学旅行のスタイルも変わってきています。
当たりまえのようにある修学旅行や社会見学などの集団行動も、感染によるとらえ方は人それぞれなので、行事ごとに参加者を募るかたちをとっているようなのです。
ただ、うちの娘にとっては幸いなことだったかもしれません。
学校に修学旅行に参加しないという連絡をしに行った帰り、わたしはこんなことを考えていました。
わたしの経験したことない世代のもっと前の世代では、家庭のお金の事情や、家の手伝いで修学旅行に行かなかった子どもが学年に数人はいたということ。
たしかわたしの両親から聞いたんだっけ。
事情は違うけれど、学校行事にも個人が選択できることとなったところは、昔の習慣に似てきたのかなぁとぼんやり考えていました。
子供が不登校と他の人に話すと、今でも心配されることが多くあります。
勉強ももちろん着いてこれていないし、実際、中1から学校に行ってないうちの子は英語は全然勉強していないので、日常的に目にする単語くらいしか分からないかもしれない。
最初はわたしも、学校へ行くという常識からとらわれすぎていました。
2年前、毎朝刻々と過ぎていく平日の朝の時間で、動かない娘の部屋の前でイライラしながらずっと待っていたのです。何も出来ずに。
時計は自分の仕事の始業時間の9時、娘の授業時間の2限目3限目が過ぎていきます。
こんなことをずっと続けていくわけにもいかないし、思い切って環境を変えた(同じ学区内だけど引越した)のです。(以前にも不登校のことについて書いたので、こちらもご覧ください。)
2年間学校に行かなくても変わったこと
娘は、今年の4月から3年生になりました。
ずっと家にいますが、娘にとってできたこと、周りの子と違ってできた体験があります。
それは、同じ不登校の子とつながりを持ち、話を聞くことです。
これはわたしが教えたことではなく、わたしが仕事をしている間、いつの間にかSNSを通してたくさんの友達を作っていたんですよね。
部活にももちろん行っていない娘なので、先輩、後輩などの上下関係も経験しないんじゃないか、大人になってから辛くなるんじゃないかと心配していましたが、このつながりの中で、先輩と呼ばれているそうです。
このようにして書くと、わたしの子、親に黙ってコソコソ何かしてるんじゃないか、不良?と思われると思うのですが、結構わたしにも友達のことも話してくれるし、自分が友達に会ってみたい、一緒についてきてほしいということもあるので、悪いことではないと思っています。
今となっては、相手を信じることで心配事はなくなるのではないかと思うのです。
幼児期や小学生のころは、この信頼関係は築きやすかったけれど、中学生に入ると思春期のこともあり、程よい距離感がもとめられるなあと感じています。
自分がまわりと違うと感じたら、そこにいなくてもいい。
娘の不登校の経験から、わたしは、「自分がまわりと違うと感じた時は、無理してまわりを見ることはないと」思うようになりました。
遠くにいても、必ず自分を受け入れてくれる場所が見つかる。そんな場所を見つけるのには、教科書や、学校で学んだ知識が手助けになることもあるけれど、どこからでも学びとることができるんじゃないか。と思います。