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ドイツからの風

年齢や環境の変化とともに買い物カゴが軽くなった気がする。

これは、物を見る目が肥えたのか、もしくはただ自分がケチになっただけなのか、そんな思いが頭の中を泳いでいく。

前々回のエッセイに書いたように、私は20代前半から中盤にかけて自分を着飾ることに必死になっていた。ひと目を気にするあまり、稼いだお金を一瞬で洋服やアクセサリーに変えていたのだ。

それが、いまや買い物カゴには必要最低限なものしかない……。

なぜだろう? 

そんな気持ちの悪い感覚が、小川糸さんの書いた日記エッセイ『こんな夜は』を読んだことをきっかけに、喉のつまりがボンっと音をたててとれた。

ああ! こういうことなんだ!

私は読書によって爽快な気分を得ることが多々があるが、今回はその中でもかなり爽快な部類だった。気持ちがいい。

『こんな夜は』には、小川 糸さんがドイツへ2ヶ月滞在したことが記されている。

私にはドイツはおろか海外に行った経験がない。

だけど、学生時代の友人がハワイとドイツで結婚し暮らしていることもあり、国外の暮らしや生活の情報を仕入れる環境には充分恵まれているのだった。

そんな友人たちの話を、絵空事として聞いていたように思う。

ハワイ…気候が暖かい。日本人多い。ロコモコ。

ドイツ…なんか堅そう。ビール。ウインナー。

なんて薄っぺらな知識だろう。いや、知識にもなっていない巷の情報どまりではないか。

ただ、これには私なりの理由がある。

旅で最も私が欲しているもの。それは、その土地に住む人たちの暮らしに触れるということだ。

露天風呂や豪華な食事はもちろん好きだけど、
記憶に焼きついているのは、どれも人の生活感が感じられることばかりだ。

同じ島国にいて、習慣がこんなに違うものかと知れることが面白かったりする。

だから、喋れそうな雰囲気ならできるだけ現地の人に話しかけることが多い。

ふらっと入ったお店でオススメのメニューを聞いたり、
旅館の仲居さんにその土地ならではの情報を教えてもらったり、
ときには、「なにがきっかけでこのご職業に?」と踏み込んで聞いてしまったりするときもある。

人の思いや考え方に触れたとき、
自分のなかに新しい視野が生まれていく感覚があって好きなのだ。

国外へ出なくとも、国内だけで視野が開花していく。

この収穫の多さに満たされていた。

それがどうだろう。

『こんな夜は』のなかで、ドイツでの小川糸さんの生活を垣間見る度に、
ドイツという国の魅力に引き込まれていく。

正直、ドイツのイメージは、本を読む前と後とではそんなに差はなかった。

硬派という感じ。

ショックを受けたのは、やはり暮らしの面だ。


日本では、土曜と日曜が休日という人が多い。

週末は遠出や遊びといった風に、実にアクティビティな状況になる。

平日は怒涛のように働いて、週末は賑やかな場所へくりだし怒涛のように遊ぶと
いったことも大いにあり得る。

かたや、ドイツでは週末はほとんどの店がシャッターを下ろすというではないか。

それゆえ、街中ひっそりと静まり返っているようだ。

店を営む人も、誰もかれもがお休み。

実に公平な風がドイツには吹いている気がする。

ドイツに住む人にとっては至極当然のことでも、休むことの根本的な考え方が日本に住む私たちとは違うのかも知れないと思った。

働くときは働き、休むときは休む。

この暮らしのサイクルが、心と体にとてもよい作用をしている気がする。

とてもたくましくも感じる。

そういえば、ドイツ在住の友人は数年前、日本で再会したときにこう言っていた。

「日本に帰ってくるとちょっと疲れる」と。

あのときは、この言葉に少なからず寂しさを覚えたのだが、小川 糸さんの本を読んで、なんだかわかる気がした。

そして、最も衝撃を受けたのは物に対する価値観だ。

ドイツから日本(東京)へ帰ってくると、いろんな場所が明るすぎると感じるらしい。

街にはネオンが休みなく点灯しているし、各家庭でも電力が尽きるという概念がないので蛍光灯を煌々と照らし続けている。

ドイツでは、空が晴れている日が少ないらしく、街中が驚くほど薄暗いそうだ。

その為、できることも限られてくる。

必然的に、家のなかで手元のランプを点け読書などを楽しむ人が多いということだった。

だから、太陽が顔をだした日にはカフェのテラスや公園の芝生、家のベランダで
思いっきりカフェタイムを楽しむ。

おひさまのありがたさを体いっぱいに感じながら暮らしているんだと知った。

日本では、便利なもの快適なものは溢れていて、例外なく私自身もずいぶんお世話になっている。

なくなると困るものもたくさんあると思う。

だけど、そこに全身を浸からせてしまっているうちは、本当の豊かさは見えてこない気がしてちょっと怖いのだ。

周囲には、溢れんばかりの物や光が在る。

無い物、手にしていないもの、ひいては自分に足りないものばかりに目がいきが
ちな私にとって、ドイツの人たちの暮らしがとても豊かに感じられてならない。

いや、まてよ。

近頃、買い物カゴが軽くなった気がする。

本当に身体が欲しているもの、心が欲しているものを選び取れている証拠ではないだろうか。

食材にいたっては、昔と比べて購入する数は減っているのに、それと反比例するようにメニューの数は増えている。

これは、ケチなんかとは全く違う。むしろ、充足している状態といっていい。

これから、さらにこの状態を自分に取り込んでいきたいと思っている。

じゃあ、ドイツに行こうか!

うん。この気持ちが変化しなければ、そのうち行くのだろう。

「暮らしを学びに来ました!」と、ドイツにいる友人に言ったら、どんな顔をするだろう。

きっと、あの子は深く理解してくれるだろうと思う。

『旅』と『暮らし』。

この2つは、私にとって今、最も心惹かれる言葉だ。


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