見出し画像

巨大絵画を見て

ちらっとぶらっと
画家の遠藤彰子センセの企画展へ
巨大な絵が一杯!っちゅーことで
メススオいただきイッてきた。
絵画のサイズである
500号(2.2×3.3m)以上の作品が
多数展示されていた。
床から天井くらいの作品群に
圧倒される感じである。
撮影OKとのことで撮影もできた。
先生の作品は生のパワーがすごい。
中世の奇才ヒエロニムス・ボスや
だまし絵の奇才エッシャーの雰囲気も
個人的に感じたりした。
先生曰く
500号以上の絵画は
全体を把握することができず
離れると細部を把握することができない。
鑑賞者は前後に移動し
上を見上げ、下を見下げ
自らの身体を使って絵と対話することが
巨大な絵の価値だと言う。
先生のおっしゃる通り
まず存在そのものに圧倒され
その全てを瞬時に認識するのは
不可能であった。
人間の認識とはなんぞや!?
と考えさせられた。
人間の認識には限界がある。
本当にかなり限られている。
一国の大統領であろうが
平凡に日々を過ごす庶民であろうが
認識できる量に関しては
さほど変わらないだろう。
一方で現在超絶トレンドである
人工知能はどうだろうか。
こっちは認識できる量が尋常ではない。
以前紹介したように
絵の融合も瞬時にできる。

巨大な絵の解釈も容易にできるのではないか?
そこである仮説がおいどんの中で生まれた。
人工知能の創造性には
「認識」に頼る限り人間は
勝つことはできないと言う仮説だ。
そもそも勝つ必要もないのではと言う
ギロンは一旦置いておいて
ではどうすればイイのだろうか?
人間が人工知能の創造性を超えるには
「認識そのものを拒絶する」か
「認識そのものをとことん勘違いし続ける」
ことが必要になってくる希ガス。
認識そのものを拒絶することは
ソレつまりダダイズムの極致であり
認識そのものを
とことん勘違いし続けることは
ソレつまり「超現実」である。
もっと簡単に言えば
あえて何も見ないか
とことんボケ続けると言うことだ。
そこに答えがあるかもしれない。
面白くなってまいりましツァッ!
ファンタスティイクッ!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?