ちひろ

うつ病患者です。 周りの人を大切に、日々大切に生きてます。 私の過去何があったか書くこ…

ちひろ

うつ病患者です。 周りの人を大切に、日々大切に生きてます。 私の過去何があったか書くことにしました。 今辛い人に届くといいなと思います。

最近の記事

人に期待しすぎ

友達に言われて、心に深く刺さっている言葉がある。 「人に期待しすぎ」 友達に自分の話をするとき、相手の反応を気にしてしまう。 反応が薄かったら、つまらなかったかな、、と落ち込んでしまう。 悩みを打ち明けたとき、一言で返されたり軽い感じで返されるとイラッとしてしまう。 体調が悪いとき、心配しない人にもイラッとしてしまう。 全部"人に期待しすぎ"らしい。 たしかにそうかもしれないと思った。 無意識に、勝手に相手に期待して勝手にイラッとしたり落ち込んだりしている。 でも私は期

    • 音楽

      最近、official髭男dismのSubtitleを久しぶりに聴いた。 この曲は、ちょうど死にたくなるぐらいの失恋をしたときに聴いていた曲。 泣いてしまった。 あの時の絶望を思い出して、あの時の自分がかわいそうで。 あの時の気持ちをこんなにはっきり思い出せるなんて、音楽ってすごい!て思ったのと同時に、 まだSubtitleを聴くには時間がいるな、って思った。 #創作大賞2023#エッセイ部門

      • 生きづらさを抱える人へ

        私は自殺未遂をしたことがある。 原因は、失恋。 失恋ごときでって思う人もいると思う。 でも、私にとっては全てだった。 依存していたんだろうなあと今は思う。 そのときは、死ぬことしか考えられず、死ぬことが救いだった。 「百均で紐だけ買ったら全部終わりにできる。」 帰りの電車内でそれだけ考えてた。 頑張れ自分。もうすぐ。もうすぐ死ねるから。 「別れてほしい。ごめん。」 この言葉が頭から離れなかった。 最寄駅に着くと、すぐに百均で紐を買った。 今日の夜ご飯は何も家にないことはわ

        • 転職活動

          それからは毎日転職活動に励んだ。 仕事に行き、帰ってきたらエントリーシート、志望動機を考え、休みの日は面接、、。 タイミングが悪いことに、ADの仕事でとても大変な特番につくことになり、寝ずにエントリーシートを書いたときもありました。 どんどん私の精神はすり減っていき、ギリギリの状態での転職活動だったので、当然受かるはずもなく、面接を受けまくる日々でした。 しんどくてしんどくて、本当はダメだけど、仕事中トイレに行って泣いたり、寝る前に涙が止まらなくなったり、精神が崩壊していまし

        人に期待しすぎ

          仕事

          その頃ADの仕事は、なかなか思い通りにいかず、プロデューサーからは怒られ、ため息をつかれ、必死に頑張る毎日でした。 私の担当番組のプロデューサーは、「ADクラッシャー」と呼ばれている女性の方で、とにかくこの人のもとで働くADは辞めていくと噂の方でした。 一緒に働くうち、私も徐々に精神がやられていき、この人から離れたいという気持ちが強くなっていました。 それを自分の会社の社長に相談したところ、 「甘えるな。頑張りが足りない。」 の一言でした。 そうだよな。頑張らないと。 一生

          AD同士の恋愛

          先輩だけど、歳が4個下のADの男の子がいました。 Macのパソコンなど、編集や機械の操作が得意な彼には仕事を教えてもらうことがよくありました。 そのうち私の方から彼に惹かれていき、でもだいぶ歳上だからと諦めかけていたのですが、彼も同じ気持ちだと知り、ほどなくして付き合うことになりました。 「歳なんて気にしてないから」と言ってくれました。 彼の方が私よりも大人っぽく、私の方が幼いような気がしました。 彼にどこを好きになったのかと聞くと、 「放って置けないからそばにいたいと思

          AD同士の恋愛

          ADの仕事

          面接にも受かり、東京のテレビ制作会社へ就職が決まりました。 家も決まり、引っ越しの準備も順調に進んでいました。 大阪で仲の良い友達みんなにも報告し、突然のことで驚かれましたが、みんな快く送り出してくれました。 ただ、私はめんどくさい性格をしているので、そんなに普通に送り出せるんだと、少し寂しい気持ちになりました。それを友達に話すと、 「○○(私)は人に期待しすぎ」 と言われました。 友達は何気なく言った一言だったと思うのですが、私の中で心に残っている言葉だったので、残してお

          ADの仕事

          2回目転職

          保育園での人間関係で心が疲れてしまった私は、休みもちゃんとあり、定時で帰れるような、自分の時間を確保できるよう、就活をしました。 そして次の転職先は、派遣の事務。 給料はそんなに高くないが、人間関係は良好で、自分の時間もしっかり取れたのでとても良い職場でした。 ただ、働いているうちに、もうすぐで自分も30になるのにいつまでも派遣でいいのか、、という不安が湧いてきました。 そこで、自分の今したいことを考えました。 自分はやっぱり、テレビの業界で働きたい。 やりたい仕事はテレビ

          2回目転職

          1回目転職

          元彼と顔を合わせたくなくて、転職を決意。 次に選んだところが保育園の事務でした。 子どもたちはすごいかわいいし、事務の仕事もやりがいがありました。 しかし、事務職員の中で一番歳が若かった私は、事務のおばさま達からいびられるようになりました。 朝礼でのエピソードトークは、私の番の時だけなぜか非難の声がくる、グループラインでは私への嫌味を言われるなど、人間関係に疲れてしまいわずか半年で退職。 我ながらこんなことで、本当に情けないと自分で自分が嫌になりました。

          1回目転職

          大事にしてくれる人を大事にしたい

          初の失恋を経験して、毎日寝ることも食べることもできなくなって、ただ毎晩泣くことしかできなくなった私は、めちゃくちゃ痩せました。 そんな私を見て心配した元彼は、別れた後も優しさなのか何なのかラインしてきました。 「ちゃんと食べや」と家の前に私の好物を置きにきたり、夜家の下に来て私の部屋の電気がついているのを確認しては「ちゃんと寝えや」とラインを送ってきたり。 そんなこともあって忘れられるはずもなく、 「戻ってくる?」と聞いたりしていました。 それに彼は、 「時間かかっても最後

          大事にしてくれる人を大事にしたい

          初めての大失恋

          彼氏と付き合って半年ほど経った頃、4月から新卒の子達が入ってくるということで、その準備を会社で進めていました。 しかし、私は社内恋愛だったこともあり、新卒が入ってくることで自分と彼の関係性がすごく心配になりました。 なぜかというと、新卒は女の子10人が入ってくる予定だと聞いたからです。 10人もいたら絶対タイプの子おるやん、、と不安でしかたなく、新卒なんて入ってこなければと何度も思いました。 そして4月。 新卒10人が入社してきました。 予想していた通り、彼はその日から新

          初めての大失恋

          初めての彼氏

          就職して約5ヶ月が経った頃、会社の4個上の上司と付き合うことになりました。 生まれて初めて彼氏ができました。 ただ、その彼氏は周りから、女関係にだらしないなどあまり評判が良くなく、会社の先輩たちも、口々にやめた方がいいと言っていました。 しかしすでに盲目状態だった私は、周りの意見を聞かず付き合ってしまったのです。 付き合ってからは、楽しく過ごしてはいたものの、彼の束縛が激しく、友達とは疎遠になっていきました。 それでも付き合うのが初めてだった私は、そういうものだと勘違いし

          初めての彼氏

          結局就活

          結局どんな仕事を志したかというと、テレビ局でした。 表に出られないなら、裏でいいからこの業界で働きたいと思いました。 しかし、受けても受けても面接に通らず… 結局私が就職したのは、塾でした。 塾ですが、最初の1年は絶対に営業を行わなければならないとのことでした。しかも訪問営業。 なかなかハードな仕事で、訪問先で怒られることも度々あり、精神的にもキツい仕事でした。 しかし、会社の先輩方、同期が支えとなり、頑張れました。

          結局就活

          将来への決断

          私が入学した学部は、保育士資格が取れる大学の学部でした。 つまり、私の将来の夢は保育士でした。 保育士を目指して勉強を続けていましたが、その頃の私は、自分に満足してなくて、このまま何となく大学生活を過ごして、何となく保育士になって、、そんなありふれた未来でいいのだろうかと漠然と不安に思っていました。 自己肯定感が低く、自分に自信がなかった私は、誰かに認められたいという思いが人一倍強くありました。 普通じゃない人生がいいと思い、保育士資格を取るのをやめ、俳優になりたいと思い

          将来への決断

          高校で一番頑張ったこと

          私が高校で一番頑張ったなと思うことは、2つあります。ピアノも頑張ったけど、もっともっと時間とか体力をかけて頑張ったのが、持久走と受験勉強です。 持久走は高2のとき。 私は中高一貫校に通っていたのですが、この学校では毎年冬の体育で持久走がありました。(多分どの学校でもあるけど) 私は驚くほど運動音痴で、体育では補習になってばかりでした。 (補習とは、決められたタイム内に走り切らなければ、放課後みんなが帰って行く中体操服に着替えて走らないといけない、というものです。これもタイム

          高校で一番頑張ったこと

          兄弟への劣等感

          高校生になっても、私はピアノを続けていたため帰宅部でした。 私の通っているピアノ教室は、年に一度発表会があるのですが、小さい発表会なので母しか呼んでいませんでした。 母は来てくれますが、自分の用事を優先するので、動画をお願いしても私の出番に客席にいなかったり、他の子のピアノを見て「あの子はすごいね」と言います。 姉のチアの大会は張り切って行くのに、弟の野球の試合も、一番下の弟のサッカーも、楽しそうにカメラを構えているのに、私のピアノはそんなにどうでもいいことですか? たし

          兄弟への劣等感