見出し画像

勉強の時間  自分を知る試み5

集合的に考えるとは?


個人の意識と集合的、類的な人間の意識の乖離は、時間差のある過去だけでなく、現在の話でも生まれます。

たとえば資本主義の発展が格差の拡大や自然環境の破壊、資源の採り尽くしといった弊害をもたらしていて、今そうした問題に対処するにはどうすべきかと考えるようなときです。

思想的な本はそうした問題の状況の分析は得意なのに、実際にどうすべきかの提案となると、小さく弱々しいアイデアしか提示してくれず、もどかしく感じることが多々あります。

ひとつの要因は、本の作者、語り手がひとりの思想家として考え、読み手個々人に語りかけているのに対して、そうした大きな状況を変化させていくのは個々人ではないことです。

本の状況分析は集合的な人類や彼らを支配している仕組みについて、客観的に正確に語ることができるのに対して、じゃあこれを踏まえて人類はどう行動すべきかとなると、それも結局のところ思想家個人が本の読者個々人に語りかけているわけで、集合的な人類の意識に語りかけることで、集合的な意識を変えたり、集合的な行動に向かったりさせようとするわけではありません。

集合的な人間の意識を変えて動かすのは、たとえば政治運動とか宗教とか、集合的な組織による運動だったり、もっと漠然とした世の中の空気の変化みたいなものだったりします。

となると、そこに思想があるとしても、個人が書いた本の思想そのものではなく、集団や組織や社会に共有された別の思想です。

仏教や儒教やキリスト教やマルクス主義が、その始祖の思想を継承しながら、別の思想、ときには真逆の思想になってしまったように、思想は集合的に共有されたとたんに変わってしまいます。


知識の力と限界


すぐれた本が多くの人に読まれて、世論を変える原動力になることもあるじゃないかという意見もあるでしょう。

たしかにそうかもしれません。

しかし、僕が言いたいのは、そうしたすぐれた本にも個人の意識、理性が認識できることと、人間が集合的に認識できることにはある種の乖離があるんじゃないかということです。

たとえばカントが理性について語ったことと、国家や国際機関について語ったことのあいだには、次元の隔たりみたいなものがあるし、ヘーゲルが精神の中で起こる現象について語ったことと、歴史や国家、政治について語ったことのあいだにも同じくそうした次元の違いがあります。

カントが理性について語ったことや、ヘーゲルが精神の中の現象について語ったことは、個人の意識を対象にした単純なモデルです。

国家や国際的なこと、歴史や国家、政治といったことは、人間の集合体やその時間的な変化に関することで、ただ複雑なだけでなく、民族とか国民とか宗教とか社会の階層とか、それぞれ異なる膨大な集合的意識によって成り立っています。

それを科学的に解きほぐすことは可能ですが、解きほぐしながら語っている意識は、民族や国民や宗教や階層を構成する人たちの集合的な意識自体ではなく、それらをまるで物事のように外から見ているだけです。


巨大迷宮化した学問


19世紀以降、複雑化する社会や国家、国際社会といったものが意識されるようになって、社会学が発達したり、未開の民族を研究することで人間の集合的な意識の世界や社会の成り立ちを研究する人類学が生まれたりしました。

人間の精神には近代の科学や哲学でとらえきれない領域、人間自身にも意識されない領域があることがわかってきて、精神分析学のように人間の無意識の領域を研究したり、そこから原始時代以来人間の意識を左右してきた集合的な無意識みたいなものを研究したりする試みも生まれました。

人間が無意識に扱っている複雑な仕組みのひとつに、言語というのがあって、これを研究することで人間の精神構造を解明する試みも生まれました。

しかし、どれだけ人間の精神世界に残っている未開拓の領域を科学的に解明しても、合理的に解明されたことは人間の精神そのものではなく、その図式みたいなものです。

図式の中で一番普遍妥当的なもの、根源的なものは哲学の理論かもしれませんが、哲学の理論がどれも難解なのは、根源的・普遍的であろうとするために、言葉でうまく説明しきれない部分が出てきてしまうからじゃないかという気がします。

多くの人に哲学が理解できないのは勉強が足りないからで、もっと勉強すればわかるようになると言うこともできるでしょう。しかし、生きていくだけで精一杯の一般人が哲学にそんな時間や労力を費やすわけにはいきません。

生活を犠牲にして学者みたいに哲学を勉強したところで、哲学者の世界でしか通じない難解な概念や理論に詳しくなるだけで、それを他の一般人に伝えられるようになるわけでもありません。

一方、国家とか社会とか民族とか経済とか、一般人になんらかの関係がある分野も、それらがどういうふうに生まれて発展してきたか、今どういう状態にあって、これからどうしていくべきかを、納得感のある方法で説明しようとすると、テクノロジーや経済だけでなく、社会学や心理学などいろんな学術分野の成果を盛り込んでいくことになり、ますます複雑で膨大な本が必要になってきています。

こちらも科学的で合理的な記述がこれでもかこれでもかと続くだけで、それぞれは正しくてすぐれていても、それを読む人間は複雑な事実と論理の迷宮に監禁されて、膨大な知識を呑み込まされ、それでも学者たちほど学問に精通することはできず、学者たちの言うことを受け入れるだけになってしまうだけです。

つまり資本主義が複雑で巨大な仕組みによって、合法的に人間を資本の増殖に奉仕する資本の家畜にしてしまうように、学問も複雑で巨大な知識や論理によって一部の人間を学術の家畜にしてしまうということです。


集合的な意識の力学


世の中が大きく変わっていくとき、そこに作用する意識の変化はひとりの思想家や1冊の本によって生まれたり導かれたりするものではないように思えます。

たとえば17世紀から18世紀のヨーロッパで、国王が大きな権力を振るって、戦争で領土を広げたり、運河などのインフラを整備して経済振興に努めたりしていましたが、その頃から政治の中で経済の役割が大きくなっていました。

18世紀末になると経済を発展させるには、王制より商工業者による議会制の方が向いていることが明らかになっていったようです。

そうした流れの中で、1789年のフランス大革命が大きなきっかけになり、フランスの王制が倒れるわけですが、経済の先進国であるイギリスでは、それより前に経済主体の政治体制に移行していて、国王は一応いるけれども、政治的なことは王政時代から行政のプロだった貴族・騎士階級と商人たちの代表が議会で決めるようになっていました。

このあたりのことは、後の時代になってみると当たり前で、自由主義経済、資本主義経済、議会制民主主義といった近現代のシステムに移行したのは必然的な流れだったし、ジョン・ロックとかアダム・スミスとか、いろんな思想家がそういうシステムについて色々本を書いているじゃないかと、後の時代からは言うことができます。

しかし、実際にその時代に生きていた人たち、特に社会の大多数を占める一般人は、必ずしもそう考えていたわけではないし、王侯貴族を崇拝したり、カトリックから英国国教会、各種プロテスタントまで、いろんなキリスト教の熱心な信者だったりしたわけです。

イギリスの場合はフランスより150年以上前から、王党派と清教徒の争いが起きて、たくさんの血が流されました。

いろんな意見は、ただ論文として発表されたり議論されるだけでなく、国の権力を巡って武力闘争で主張され、その時そのときの勝者が権力を握り、反対派を弾圧したり処刑したりしたわけです。

国家や社会の大きな仕組みが変わるときは、たくさんの考え方が出てきて対立しながら、じわじわと変化を進めていくし、その中で革命のように画期的な事件が起きることもあります。

しかし、その革命でさえ、フランスの革命がナポレオンの帝政と破綻、王政復古、共和制の逆襲、共和国大統領ナポレオン3世の帝政、普仏戦争を経て、19世紀後半に近代の共和制として落ち着くまで百年近くかかっていますし、イギリスも清教徒革命から王政復古を経て立憲君主制に落ち着くまで、二転三転しています。

国家とか社会は巨大なお神輿みたいなもので、何百万という人たちが担いでいるので、個人の意志とは関係なく揺れ動きながら進んでいくのだと言えるかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?