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三千世界への旅 魔術/創造/変革6 ソクラテスの「魔術」


プラトンの対話劇とソクラテス


プラトンが残した会話形式の作品には、ソクラテスが登場するものがいくつもあります。

ソクラテスが本を書かなかったのは、何度読んでも同じことが書いてあるから創造的でないと考えていたからだという話が伝わっていますが、彼にとって生きた言葉とは、文章で固定してしまうと死んでしまうものであり、ライブ的に意見を交わしながら発展させていくことで、初めて生きた考え方ができると考えていたようです。

しかし、作品を書かなかったソクラテスの考えを、あくまでプラトンの解釈を通じてではありますが、後世の私たちが知ることができるのはプラトンのおかげです。

ソクラテスは「哲学の祖」と言われたりしますが、それはただ物事について考えるだけでなく、その考え方が妥当かどうかについて考えることの重要性を初めて主張した人だからです。

ただし、弟子であり友人だったプラトンや、プラトンの弟子のアリストテレスのように何かを研究して本にしたわけではなく、いろんな人たちとああでもないこうでもないと議論を戦わせただけですから、哲学者と呼ぶべきかどうか微妙です。

彼の考え方がうかがい知れるのは、プラトンの座談会形式の本だけですし、後の哲学者には、プラトンが書いたのは会話劇であって、そこに登場するソクラテスは彼が作り出した登場人物にすぎないとか、プラトンとソクラテスでは根本的に考え方が違っているとか言う人もいますから、ソクラテスがどんな考え方をしていたのか、本当のところはわからないわけです。


ソクラテスの弾圧と「魔術」


よく知られているように、ソクラテスはアテネで裁判にかけられ、死刑になっています。その理由は、当時の思想家・知識人であるソフィストたちに議論をふっかけ、論破したため、彼らの恨みを買い、告発されたのだというのが、一般的なイメージです。

僕がずっと不思議に思ってきたのは、ソクラテスは論戦に勝っただけでなぜ死刑になったんだろうということです。

知識人が論破されて彼を恨んだというのはわかる気もしますが、民主主義の元祖である古代国家アテネで、それがどうして罪として認定されたのか、考えてみると不思議です。

また、ソクラテスは哲学の祖ですから理性の人なわけで、魔術がテーマのこのエッセーで取り上げることに違和感を覚える人もいるかもしれません。

しかし、ソクラテスの考え方と、その考え方を弾圧されたことの奥には、それが当時のアテネでは理性や学問と認められず、怪しい魔術と見做されたという事情が隠れているように思われるのです。

僕にとって興味があるのは、呪文を唱えて超常現象を起こす類の魔術ではなく、時代を変えるような新しい考え方が、「魔術」的と意識されたり、固定観念にとらわれた頭の古い勢力に「悪魔の術」と見做されて弾圧されたりするような、そういう革新的で創造的な仕組みの力です。

その意味でソクラテスと彼の弾圧、死には、魔術的なものが関わっていたと僕は思います。


ソクラテスの罪状


プラトンの作品の中で、一番ソクラテス本人の考えに近いことを語っていると思われるのが、死刑を宣告されて彼が行った裁判での弁論を記述したとされる『ソクラテスの弁明』です。

それによると、ソクラテスは公の場で知識人/ソフィストたちに次々と質問を浴びせ、答えられなくなるところまで追い詰め、彼らのもっともらしい説が実は根拠のないものであることを暴露していったようです。

これは『ソクラテスの弁明』には書かれていませんが、このソフィスト吊し上げは、彼に影響された当時の若者たちのあいだに広がり、ソクラテス流の質問でさらに多くのソフィストたちが考えに根拠がないことを暴露されたとのことです。ソクラテスを憎んだソフィストや、情勢不安を快く思わない市民たちが彼を告発し、都市国家アテネは、「異端の神を信じ、若者を堕落させた」という罪で死刑を宣告したとのことです。


デーモン


この「異端の神を信じた」というのはどういうことでしょうか? 

ソクラテスは『弁明』の中で、「汝自身を知れ」という訳のわからないダイモンの声を何度となく聞き、しかたなくそれがどういうことなのか、どうすれば知ることができるのか、ソフィストたちに教えてもらおうとしたのだと言っています。ダイモンとは英語で言うとデーモンでしょうか。

しかし、ソクラテスの時代はキリスト教が生まれる500年くらい前ですから、キリスト教で言う悪魔なのかどうか、定かではありません。

西ヨーロッパでキリスト教の主流になるカトリック教会は、地域住民の多神教時代の信仰を「異端」として告発・弾圧し、古代の多神教の神々・霊を悪魔と見なしていますが、ソクラテスの時代には、まだこうしたローマ・カトリックの一神教的価値観は存在しません。

ソクラテスを裁いた都市国家アテネの人々も、古代多神教の世界に生きる人たちでした。

それでは、ソクラテスが罪に問われた「異端の神」はどんな神だったんでしょうか?

後からの流れを考えると、「汝自身を知れ」というのは、自分がどういう考え方をしているのかを知れということのようです。つまり、ソクラテスが聴いたデーモンの声というのは、近代的な言い方をすればどこかから聞こえてくる声、インスピレーションみたいなものなのかもしれません。


古代ギリシャの宗教世界


古代ギリシャはルネサンスの源流になるほど、古代世界では科学が発展した世界だったわけですから、さぞかし科学的・合理的な考え方をしていたんだろうと考えがちですが、実際には神々が身近に生きていて、信仰と美や真理の追求は不可分の領域でした。

優れた戯曲を生み出したアテネの演劇祭は神々に捧げられるお祭りの一部でしたし、4年に一度開かれる競技の祭典オリンピックもそうです。

人々は日常的に各都市の守護神を祀り、祈るだけでなく、それぞれの目的に合わせて主神ゼウスやその妻ヘラ、太陽神アポロン、酒と芸術の神ディオニュソスなどの神殿をお参りしていました。

後のキリスト教、カトリック教会と同じではないでしょうが、それでも彼らにとって異端の神、悪魔、悪霊を拝んだり、交信したりするのは罪だったようです。つまりソクラテスは魔術を使ったことで罪に問われたと言えるかもしれません。少なくとも罪状のひとつがそれだったのでしょう。


アテネという危険な公的空間


古代ギリシャの先進国アテネは、創造性に溢れる活気に満ちた都市国家でしたが、同時にフランス大革命のパリのように、告発で簡単に人が失脚したり追放されたり死刑になる国でした。

国家の運営者・主権者である市民たちは、自由を謳歌すると同時に、自分の能力や主張を公開し、社会から評価されなければ存在価値が認められないという、ある意味とてもしんどい心理状態にありました。

つまり市民は何か優れた業績を上げることを求められました。しかも、そうした行為は公共の場で認められれば栄誉を得られますが、逆にそれが認められず、非難され、断罪される可能性もあったのです。

市民たちが見られ、評価される公共の場がポリスでした。

アテネのポリスと、こうした緊張感のある状況について、政治哲学者ハンナ・アレントは『人間の条件』でわかりやすく語っています。


僕の中学・高校時代、西洋史の授業では、ポリスを「都市国家」のことであると教えていたような記憶がありますが、アレントによると、ポリスはそういう国家形態のことではなく、市民に共有される公共の空間のことだったようです。

長くなってきたので、続きはまた次回。

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