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発達グレー気味な母はなぜ“毒親”だったのか


※こちらの記事は2022年5月8日に投稿した記事を一部修正し、再投稿したものです。(2023年6月8日)

【はじめに】
母は医療機関から正式に発達障害と診断されたわけではありません。あくまで娘である私の感覚として、母は発達障害(ASD)なのではないかと考え話を進めていきますので、その点ご了承いただければ幸いです。


母はある色が好きです。


そして、その色に強いこだわり・・・・があります。


油断していると全身その色の服を着たりするので、

朝起きたときに、おはようもままならずツッコまなければならない日もあります。

しかも、

その色の服を着ている人を街中で見かけると、「私の好きな色の服を着ないで!」と思うらしいのです。(昔はあまり着ている人がいなかったそうです)


私の母は理系で数字やパソコンに強く、エクセルで自作の家計簿を使って家計管理をしたりします。

かと思えば、

会話で自分の喜怒哀楽を表現することや、人に共感することが苦手だったりと、

できることとできないことの差が、かなり激しいです。

また、自分のことをおばさんだと思っていない節があり(それ自体は悪いことではないのですが)

前方に走っている車が低速だったりすると、「ぜったい前の車運転しているの“おばさん”だよ」などと言ってきます。


うちの母親は、よく言えば“若々しい”、悪く言えば“子どもっぽい”ところがあります。

今では、そんな母親を“この人変わってんな”と思う程度になりましたが、

その気持ちに、“愛しさ”や、そこからくる“おもしろさ”や“純粋な興味”が加わったのは、ごく最近のことです。




かつて私の母は、いわゆる“毒親”でした。


そして最近、母が発達グレーなのではと思い始めていろいろと調べるうちに、わかったことがあります。


それは、

発達障害を抱えた母が、私には計り知れないほどの苦悩と孤独を抱えていた

ということです。


そしてそこから、

その苦悩と孤独によってもたらされた過剰適応によるストレスが、母を“毒親”に至らしめていたのではないか

ということが、わかってきました。

※大変長い記事になっていますので、お好きなところからお読みください。

ASDの女性は社会的にあまり“存在”しない


これまで、母に関する記事を書いてきました。


よく福祉の現場などで、“困った人”は“困っている・・・人”だ、と言うことがあります。


これまで母に関する記事を書いていくうちに、この“困った人”だと思っていた母が、

実は“困っている人”だったのだ、ということに気がつきました。

そのきっかけになったのは、こちらの本を読んだことです。


精神科医の方を迎えた第六章で、

女性のASD(自閉スペクトラム症)について、こんな記述がありました。

女性は、もともと男性ほどにデジタル的に生活しているわけではないので、社会的学習の結果として、なんとなく周囲に適応しているように見えている。

池谷裕二、中村うさぎ共著『脳はみんな病んでいる』より引用


女性は男性に比べて、“協調性”や“社交性”などが必要とされる場面が多く、その結果社会的学習を余儀なくされ、表面上はうまく溶け込んでいるように見える。

そしてさらに、ASDの診断基準が男性向けに作られたとされる説もあるようで、

そういった背景から、女性のASDは男性よりも認知される数が少ない、

ということがわかったんです。

これはつまり、当事者のみならず、まわりの人の理解もなかなか進まないという現状があると言えます。


母の過剰適応の“功罪”がもたらしたもの


また、こんな記述もあります。

そういう女性は、とりあえず集団に交じって皆と行動していますが、ご自身では、常に「そこはかとない生きにくさ」を感じている。心底から社会に溶け込んでいるという実感がない。幼少時からの成長の過程で、社会に適応するにあたって、それまでの失敗や衝突や、人々の無理解がトラウマになっていて、「空気が読めない自分」を自覚することで、かえって過剰に「ともかく空気を読まなくては」と無理している。いわゆる過剰適応です。

池谷裕二、中村うさぎ共著『脳はみんな病んでいる』より引用

ASDの女性は、「そこはかとない生きにくさ」を感じ、それまでの失敗や衝突や、人々の無理解がトラウマになっている。


この部分が、私が以前に記事に書いたこととなんとなく重なり合いました。

それが、母がよく言う「意味がわからない」の心理を、以下のように考察した部分です。

・自分の中での困惑
・それによって相手からむけられる怒りや失望
・それらに対するうんざりした気持ち
・そしてわからないことを言われ続けることの疲労感



しかし、単に性格が悪くて意地悪だと思っていた母が、実は“困って”いたのだと気づくまで、かなりの時間がかかりました。

それはなぜかというと、私にとって母は“完璧な人”だったからです。



母は高学歴で運動神経もよく、常識的で家事もそつなくこなします。

理系なため計算が得意で頭の回転も速く、また“しんどい”とか“つらい”とかの愚痴を一切いいません。

それでいて、いつも甲斐甲斐しく家族の世話をします。

そんな“完璧”な母といると、自分が出来の悪いダメな人間にさえ思えてきます。

けれどそれは、これまでの母の人生で蓄積された“過剰適応の賜物”だったのです。



母は結婚当初、料理ができませんでした。片付けも苦手でした。

そんなことが少しも感じられないほど、今は料理や片付けなどの家事を難なくこなします。

じゃがいもを調理するときはきちんと面取りしたり、毎年お正月には必ずお雑煮やおせちを作ってくれます。

また私が子どものころは、ミシンで手提げ袋を縫ってくれたり、お菓子を作ってくれていました。



ふと何気ない会話で、片付けが苦手だったという話になったとき、

「じゃあ、お母さんは片付けが上達したんだね」と、私が言うと、

「上達?どこが?」と、母は驚き戸惑っていました。


母は、褒められることに慣れていません。

また、はたから見たらとても非の打ち所がないほど完璧なのですが、

本人は自分に自信がなく、自己肯定感が恐ろしいほどに低く、自分はまるでダメな人間だと思っているところがあります。

そして、ささいなことですぐパニックになります。

こう!と決めたことに対して、少しでも予想外のことが起こったりうまくいかなかったりすると、

すぐに慌てふためいて、パニックになってしまうのです。

私はこれまで、何度母に

「大丈夫、そんなの大したことじゃない」
「そんなんじゃ死にゃーしない」

と言ってきたか、わかりません。(自分もビビりなのに)

今思えば、すぐパニックになるところや、恐ろしいほどの自己肯定感の低さは、母の過剰適応の功罪の“罪”の部分だった、とわかります。

ただ、そんな“いびつ”なところがあっても、高学歴で家事を完璧にこなす母は、

私にとって“ちょっと変わった人”でしかありませんでした。

そのために、母が発達障害なのではないかと、なかなか気づくことができなかったのです。


母の“無理解”や“無関心”は特性からきていた


私の母は、以下のことが苦手です。

  • 喜怒哀楽を表現すること

  • 相手の喜怒哀楽を受けとめること

  • 相手に興味を持ったり、共感を示すこと

  • 褒めたり肯定的な発言をすること

  • 忖度したり、空気を読むこと

  • 相手が何を望むのか思いをめぐらすこと

  • 人の話をじっくり聞くこと

  • スキンシップによる愛情表現

そしてこれらの特徴は、母固有の性格・・ではなく、発達障害としての特性・・でした。

しかし、人と情緒的なつながりを作る上では、この特性がかなりの致命傷となってしまいます。

そして私は、母はちょっと変わった人としか思っていなかったので、

上記の特性も、生まれつきのものではなく、母の“感情”や“理解不足”からくるものだと思っていました。

それはつまり、母の努力・・次第でどうにでもなることだと思っていたのです。

なので私は、それが叶わないこと、つまり、母が私の話をきちんと聞いてくれなかったり、私を尊重してくれないと、

その苛立ちや悲しみを、母にぶつけていました。

けれど母は母で、パニックになったりヒステリーになりながらも、心の奥底でどうしていいのかわからずにいたのです。


発達障害の母親には子育ては“地獄”だった


ASDの人は基本的には真面目で親切です。ただ、「心の理論」がないので、特に対人関係という面では、その人生はまさに「藪の中」のようなものです。

水島広子著『「毒親」の正体』より引用

母の特性を理解できない人だらけの中で、母の人生はまさしく、「藪の中」を模索してきた状態だったように思います。

そして、ASDの人には、こんな面があります。

とくに、自閉スペクトラム症の特性を持つ人は、律儀で真面目な性格の人が多く、自分を周りに適応させようとするだけでなく、うまく適応できないときには、「自分の力不足」「自分が悪い」と、自らをせめる傾向もみられます。

『最新図解 女性の発達障害サポートブック』より引用

ASDの人は、本来すごく真面目なのです。

それに加えて、その特性から生きづらさを抱えても、自分のせいだと思ってしまうのです。

そして、自己肯定感が著しく下がってしまう。


そしてその結果として、それを埋めるかのように、一生懸命“がんばる”のです。

人に嫌われないためにはどうすればいいのか、人に怒られないためにはどうすればいいのか、一生懸命考えるのです。


けれど、この“がんばる”には、偏りがあります。

なぜなら、自分の特性をわかっていないからです。

原因がわからないのです。“わからない”ということも、わからないのです。

なんだか知らないけれど、怒らせようと思ったわけではないのに、人を怒らせてしまう、人から嫌われてしまう。

よくわからないけれど、このままではいけないのだ。


そう思った母が、たどりついたもの。


それは、“完璧さ”を追求することでした。

そしてその完璧さは、

“子どもが安心感を持ったり満たされた気持ちになる”

といったような、本人にとって曖昧でわかりにくいものでなく、

“手づくり”や“栄養バランス”といったような、わかりやすい指標から成り立っていました。


子どもが安心感を持ったり満たされた気持ちになるには、どうすればいいかわからないし、できないのです。

だから、家事を“完璧”にこなそうとするのです。


お弁当も、栄養バランスを考え手づくりにこだわったりと、

既製品や加工品はなるべく買わず、自分でなんでも用意しようとするのです。


それなのに、子どもが好き嫌いをしたり、わがまま(子どもからしたら素直な気持ちなだけ)を言ったりと、その“がんばり”に応えてくれなかったら、どうなるでしょう。

“私は完璧にしているのに、どうして言うことを聞いてくれないの!?わかってくれないの!?”

と、苛立ったりヒステリーになってしまうのです。


けれど、子どもは子どもで、

“一番大事なもの・・・・・をくれないくせに、どうしてこの人はそんなに恩着せがましいことをしてくるんだろう”

と、わけがわからなくなってしまうのです。



“自分の子どもの面倒は、自分で責任を持って見るべきだ。”

“母親なのだから、きちんと子どもを育てなければ。”


そこに、なんの間違いもありません。

けれど、それが発達障害の母親だった場合、

これらの言葉の響きや重みが、かなり違ってくるのです。

他の母親に比べて、かかってくる負荷が何十倍も違ってきてしまうからです。

なぜなら、発達障害の母親は「心の理論」がないから。

共感できないのです。うまく子どもに寄り添えないのです。

子どもとうまく、情緒的なつながりを持つことができないのです。

誤解を恐れずに言うのならば、発達障害の母親は、子育てに向かないのです。

これは、決して“発達障害の人は子どもを持つべきではない”、ということを言っているのではありません。

まわりの適切な理解や支援なしでは、“困っている人”にとっては、

子育ては地獄以外の何物にもならなくなってしまうのです。

それはなによりも、本人にとって“苦行”でしかありません。


“良い母”と“悪い母”に翻弄される子ども


例えるならば、発達障害の母親は

火事なのに、火事が起きていることも、その火元もわからない状態なのです。

けれど、火事なのは「あなた火事ですよ」と言いながら、まゆをひそめたり、鼻をつまんだり、イヤそうな顔をして離れていく人の反応を見ればわかるのです。

けれど、火元がわからないのです。消しようがないのです。

だから、必死に見様見真似でハリボテの消火栓・・・を作るのです。

そして、“立派な消火栓を作ったんだから、これでいいでしょ”、とある種開き直ったような状態になるのです。

それなのに子どもから、

「え、お母さん火事だよ、こっちまで危険だし熱いから、早く消してよ」と言われてしまう。

そうすると、

「私だってがんばって消火栓作ったのに!!!なんてこと言うの!!!」と逆ギレしてしまうのです。


けれど、こんな反応を親からされたら、子どもはどう思うでしょうか。


火事だと言った自分を責めてしまうようになります。

火事だと思ったことさえ、いけないことだと思ってしまいます。


そこで、発達障害の母親と子どもの間ですれ違いが起き、深刻な愛着の問題が発生してしまうのです。


子どもに何かを強いることがその子の心を傷つけるかもしれない、というような発想を持つことができないと言えます。(中略)変化球が来るととっさの自己正当化をしたり子どもを否定したりするなど、攻撃的になる親もいます。

水島広子著『「毒親」の正体』より引用

この自己正当化をしたり子どもを否定する時の心理に

“自分でも親としていっぱいいっぱいなのだ”

“自分でもどうしていいのか分からないのだ”

という、発達障害の母親が持つ苦悩と孤独が隠れている気がします。

けれど子どもからすると、

完璧に家事をこなして家族を支えてくれる“良い母”がいる一方で、

自分を理解せずに否定してくる“悪い母”とのギャップに翻弄され、苦しめられることになるのです。


“毒親を持つ子ども”から卒業するために


大学生の時に書いた日記に、こんな記述がありました。

母の行動は、計画的・意図的であるというよりも、すでに小さい頃からプログラムされたものを、良し悪しを考えずにただ実行していたに過ぎないと考えられる。母の意図した思惑というよりも、単なる母の性質を現したに過ぎないと思う。

2008年の日記より

“小さい頃からプログラムされたものを、良し悪しを考えずにただ実行していたに過ぎない”

”母の意図した思惑というよりも、単なる母の性質を現したに過ぎない”

もうずいぶん前から、母が発達障害の特性らしきものを持っていたことを、私は気づいていました。


子どもは(中略)基本的に親を愛し求めている存在で、「親の言うことを聞いて、愛されたい」という気持ちを持っています。この、力関係の圧倒的な差が、子どもに、「親は絶対的な存在」という刷り込みを与え、不適切な親の言動も、「きっと子どものためを思ってのもの」「子どもだったら受け入れなければならないもの」という感覚をつくり出してしまうのでしょう。

水島広子著『「毒親」の正体』より引用



子どもは親から愛されたいのです。

けれど、そんな親も子どもを愛したいのです。愛がないわけではないのです。

けれど発達障害の親は、“子どもが愛されていると感じる愛し方”では、子どもを愛せないのです。

そうして、お互い愛したい、愛されたいという思いを抱えたまま、すれ違ってしまうのです。



しかし、

そんな関係だった私と母に、変化が訪れました。


それは、姉の子どもたちとの同居によってもたらされました。

孫育てを通じて、母は変わりました。私も、変わりました。

引きこもりから社会復帰して、さまざまな人と出会い、さまざまなことを経験するうちに、

自分の望むような愛し方はしてくれないけれど、母は母なりに私たちのことを愛してくれていたのだということに、気がついたのです。



『「毒親」の正体』では、毒親との関係を改善するために、5つのステップが紹介されています。

ステップ1 「自分は悪くなかった」と認める
ステップ2 「怒り」「混乱」を受け入れる
ステップ3 親にも事情があったと認める
ステップ4 親にできることを整理する
ステップ5 現実的な付き合い方を考える

水島広子著『「毒親」の正体』より引用


私は、このステップ1からステップ5に至るまで、14年もかかってしまいました。

当時は、まだ発達障害という言葉が世の中にあまり浸透していなかった背景があったり、

母自身が自分を“完璧”で武装・・していて、自分の生きづらさを押し入れの奥に隠しているような状態だったので、

なかなか気がつくのに時間がかかってしまったように思います。


知っておくだけで救われることもある


母は、最近よく笑うようになりました。

私は母のことを完全に受け入れ、理解出来たわけではありませんが、

母は昔に比べてずいぶんと穏やかになり、嬉しそうな表情を見せることが多くなりました。


皮肉なことに、

母に理解してもらいたい!愛してもらいたい!という欲求を手放せば手放すほど、

それと反比例するように、母から理解され、愛されている実感が増したような気がします。


私は、母親の笑顔を見ると、嬉しいようなせつないような気分になります。

それは今まで、無理解からたくさん母に辛辣な言葉を投げつけてしまっていた、という後悔と反省の気持ちがあるからです。


母は母なりに、がんばっていたのだ。

私たちはただ、すれ違っていただけだったのだ。

誰も悪くなかったし、誰のせいでもなかったのだ。



今回、発達障害の母親を“毒親”と表記すること、

そして、その母親と対立する子どもという形で記事を書かなくてはいけなかったことに、

なんともいえない心苦しさを感じていました。


私は発達障害の当事者ではないので、100%寄り添ったことは書けませんし、

アダルトチルドレンとしての“呪い”も、理解し距離を置いて向き合おうとしているので、

その苦しみの渦中にいる人に対しても、完全に寄り添うことはできません。


もし昔の自分に、今回書いた記事を見せたとしても、

“だから何?お母さんが私を愛してくれないことが苦しいの!”

となってしまうでしょう。

その原因を解明してみせたところで、生きづらさがすぐに解消されるわけではないからです。

おぼれているときに欲しいのは、なぜおぼれているかという理由ではなく、おぼれないための“浮き輪”なのです。


ただ、“理解する”のと“知っておく”のとは、別だと思っています。

理解しなくていいのです。受け入れなくていいのです。

“うちの親はヘンだ。そんな親に育てられたけど、私は好きに生きていいし、私は私でいていい・・・・・・・・んだ。”

そんな感覚でいるだけでも、違ってくると思うのです。


そうしていくうちに、いつのまにか、その“うちの親はヘンだ”、が

ステップ3 親にも事情があったと認める

水島広子著『「毒親」の正体』より引用

ことにつながり、

ステップ4 親にできることを整理する
ステップ5 現実的な付き合い方を考える

水島広子著『「毒親」の正体』より引用

へと、続いていくのだと思います。




ムリして親のことを理解しなくていいのです。


もし今、発達障害の親を持ち、苦しんでいる方がいたら、

ぜひ無理に親を理解しようとせずに、自分のどんな感情も存在することを認めてあげて、

ご自身の心を守ることを優先していってもらいたいと思います。


おわりに


今では、「虐待」(abuse)を「助けを求めている」(in need)と言い換える動きがあります。「毒親」になってしまう人は、それだけ助けが必要な人、と言えます。

水島広子著『「毒親」の正体』より引用

『「毒親」の正体』のあとがきにこうありました。


ここまで書いてきて思ったのですが、毒親の生きづらさは、少なからず社会の“無理解”が関係しているのではないでしょうか。

助けが必要な人に、じゅうぶんな助けが届いていないのです。

ましてや、自分には助けが必要だとは思っていない場合、その事態はより深刻で複雑になってしまいます。


どうしても、

障害を持つ人の割合はそうでない人に比べると少ないため、

“特殊な人たち”
“違う世界の人たち”

と思いがちです。

もちろん、自分と違う人や合わない人に対して、

なんでもかんでも“あの人は障害を持っているのでは?”と、とらえるべきではありませんが、

そういった背景を持つ人もいる、という認識があるだけでも、

その後の対応や選択肢などは、違ってくるように思います。

それは、きっと障害を抱える本人のみならず、まわりの人や環境にとっても必ずプラスになるはずです。

そんな自分と違う人に対しても、優しく温かいまなざしを向けられる社会になっていったらいいなと、心から思います。



※今回、多くの個所を引用させてもらいましが、毒親関連の本を読み漁った結果、こちらの本が一番参考になりました。

※また、この記事を書くにあたって、事前につぶやきを投稿しました。それに対してスキをつけていただいた方々に、お礼を申し上げます。ありがとうございました。



奇しくも、今日は“母の日”です。

この記事にたどり着いたあなたやあなたのお母さんの“生きづらさ”が、少しでも解消されますように。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました🍀



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