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友人と話したあとに感じる“もやもや”の正体
みなさんは、友だちと話したあとに、もやもやしたことはないでしょうか。
あの人と話したあと、なんか疲れる。
あの人と会ったあと、なんかもやもやが消えない。
すごく楽しかったはずなのに、
今日はありがとう!楽しかった!と帰宅後LINEで送ったのはずなのに、
なんだか疲れる。もやもやする。それが、消えない。
そして会ってから3、4日たつと、そのもやもやがだんだんと大きくなって、
しまいには、“もうその友だちとはしばらく会わなくてもいいかな…”
と思ってしまったりします。
そして次に、その友だちから遊ぼうと誘われてもやんわりと断ってしまい、
「なんで!?」と驚かれてしまいます。そりゃそうですよね。
この自分自身もわかっていない、謎のもやもやの正体を考えてみました。
ズバリその正体は、“友人からの隠れマウンティング”でした。
“話の合う人合わない人”の落とし穴
そもそもの前提として、人には“話の合う人”、“話の合わない人”がいます。
話の合う人とは、共通の趣味があったり、似たような経歴を持っていたり、感性が似ていたりして、
多くを語らなくてもわかり合えるような仲の人です。
“それ、わかる~!”が会話のなかで無限に量産されるような感じ。
ストレスフリー、いや、ストレスがむしろ減っていきます。
話が合わない人というのは、価値観や物の捉え方が違っていて、またそれがお互いに理解したり尊重し合えない人のことです。
あとは、なんとなくフィーリングで、悪い人じゃないんだけど、この人とは合わないな…と思ったりする人です。
いずれにせよ、どちらが悪いというわけでもなく、ただの相性の問題でしかありません。
私の友人は、私にとっては“話の合う人”たちです。
話が合う人じゃないと、友だちにはなれません。
ここが、もやもやを理解するのに障害になってしまいます。
その友人とは、一緒にいて楽しいし、悩みを分かち合えたこともありました。
基本的には、話が合うんです。友だちなんです。
それなのに、もやもやするんです。なんか、会うと疲れるんです。
その正体はいったいなんなんでしょう。
もやもやの正体は巧妙な隠れマウンティングだった
私は以前、ある友人と会った後に、この“もやもや現象”に悩まされました。
その友人とは職場で出会ったのですが、私は先にその職場を退職してしまいました。
それでも連絡をとりつづけていて、ある日久しぶりに会ったときのこと。
その友人の仕事の愚痴は前から何度か聞いていて、もちろん私の新しい職場の愚痴も聞いてもらっていました。
けれど、その日はなんだか違っていたのです。
はじめは楽しかったのですが、会話していくなかで、だんだんと“ん?”と思うことが増えてきました。
それは、その友人が、“すごいね”とか“そんなことないよ”の言われ待ちな話をしてきたということです。
私自身HSP気質なこともあり、その友人の発言を深読みしすぎてしまっていたのかもしれませんが、
やっぱり落ち込んでいる友人には元気になってもらいたいですし、自分なりに励まそうとします。
しかし、いくら言葉を返しても、それがすべてブラックホールに飲み込まれていくような、むなしさを覚えてしまったのです。
あとは、打ち明けられてもこちらが抱えきれないぐらいの重い悩みを言われたり、リアクションに困るような自分語りをされました。
そういう人との会話って、会話なようで会話じゃないんですよね。
純粋な会話のときは、共感したり励ましたりお互いの考えを支持することで、癒されたり元気をもらえたり、ポジティブな気づきをもらえることがあります。
けれど、もやもやしてしまう会話って、別のメッセージが隠されているときが多いんです。
それはズバリ、“私を褒めて”っていう“承認欲求”だったり、“私ってすごいのよ”っていう“誇示”だったり、“あなたはたいしたことない”っていう“牽制”だったりします。
いわゆる、マウンティングってやつですね。
けど、“私のほうがブランドバックたくさん持ってる”とか、“イケメンな彼氏がいる”とか、そういうわかりやすいマウンティングではないのです。
そこに、私が感じたもやもやのつかみどころのなさがあります。
一見、ただの愚痴なのです。日常の悩みなのです。または、ただの報告だったり、時には相手を褒めたりさえします。
だからこちらとしては、一生懸命励ましたり、話を聞いたり、ポジティブな感想を言ったり、相手に対してありがとうと感謝したりします。
けれどそこに、別のメッセージが隠されているのです。
例えば
“私はこんなに頑張ってるのに!私を褒めて!”という意味が込められた“愚痴”だったり、
“私って本当はすごいの!人から尊敬される存在なの!”という意味が込められた“悩み”だったりします。
だから、愚痴や悩みといった相手が困っている状況に対して、純粋な気持ちでなんとかしてあげたいと思っても、
それがすべて、相手の隠れた会話の目的を達成するための手段にされてしまうのです。
それはまるで、素敵な入口に吸い寄せられてふらふら~っと中へ入って行った先が、実はどろどろとした沼地だった。
そこに足をとられてしまって、一生懸命もがいでそこから必死に出ようとした。
そんな感じ。
…結果、そりゃあ疲れます。
入り口は素敵だったのに、入ってみたら違っていた。
自分でも、なぜそんな目にあったのかワケがわからず、“あれはいったい何だったんだろう…”と、もやもやしてしまいます。
それが、私が感じたもやもやの正体でした。
この問題がややこしいのは、話が合う友人だと思っていても、そうやってお互いの生活環境が変わったりすると、
前は気にならなかった相手の隠れマウンティングが気になり、話が合わなくなることもある、ということです。
けれど、隠れマウントしてしまう人って、結局は自分に自信がないんですよね。
自分が自分のことを認められていないから、他人に対しても“私のことを認めて!”となるのです。
何を隠そう、私は学生時代にこの隠れマウンティングの名手(?)だったので、その気持ちはよ~くわかります。
むしろ、この隠れマウンティングをやりすぎて、見事にぼっち大学生を極めていたぐらいです。
けど、お互い30過ぎたらいい加減そういうのからは卒業したいよねってお話です。
マウンティングマウンテンのクライマーになっても、待ち受けているのは“孤独”だけと、モモウメでも言ってましたしね…。
![マウンティングマウンテンの頂点に立った図](https://assets.st-note.com/img/1649659354574-dzyx9jUiWO.jpg)
でも別に、その友人のことが嫌いじゃないんです。
自分もさんざん愚痴を聞いてもらっていたし、しょーもない話に付き合ってもらってきました。
ちょっと疲れちゃったかなー、ちょっと距離置きたいなーくらいで、縁を切りたいわけじゃないんです。
なので、結論としては…
…距離感って、むずかしい。
なんだか終わり方がイマイチですが、もやもやの正体は、なんとなく解明できたのではないでしょうか。
もし、もやもやしていてそれがどうしても気になるのなら、おもいきってその友人とは距離を置いてみてもいいかもしれません。
友達づきあいって、お互いがお互いを尊重する気持ちがないと、なかなか続かないですよね。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました🍀
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