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小説:おとうとをさがしに①

 弟が死んだ。死ぬ前日までは普通に暮らしていたらしい。死因はわからない。首を吊ったわけでも手首を切ったわけでもない。そういった外傷は見当たらなかった。遺体を検査しても死に至る原因となった薬物などは検出されなかった。「これが寿命だったのだとしか説明できません」医者は苦い顔をして言った。その途端に母がまた泣き出した。
 病院から実家に戻り、弟の部屋に入った。本棚にはいっぱいの本が並べてある。小説・画集・写真集がコレクションのメインだった。くたびれた文庫本を一冊手に取りペラペラめくると、あちらこちらに弟がメモをしてあった。弟の字は汚い。ほとんどは読み取れなかったし、読めたとしてもなんのことだかわからなかった。 机の引き出しを開けるとノートが三冊入っている。表紙にはそれぞれ「vol.33」、「vol.34」、「vol.35」と書いてある。それ以前のノートを探してみたが見つからない。処分してしまったのかもしれない。「vol.35」を手に取って、書き込みのある最後のページを開いた。なにか遺書らしいものがあるかと期待したが、そこに書かれているのはよくわからない抽象画だった。細長い楕円が交差して十字型を作っている。十字型の右側は大きく膨んでいて、その膨らみのなかに同じような十字型がある。二つの十字型の中央には小さな点が打たれていて、そこから出た線がお互いの点を繋いでいた。僕は一分ほどそれを眺めたが、そこからはなにも読み取れなかった。技術的に拙い絵だと思った。 絵の解釈を諦め、僕はページを時系列とは反対に繰っていった。映画や小説についてのメモや感想、それからさっきと同じような抽象画がでてきた。ページをめくると詩のような文章がでてきたが、抽象画と同じように僕には理解できなかった。 弟の机の引き出しに入っていたガムを取り出し、一瞬躊躇したが結局口に放りこんだ。ガムを嚙みながらベッドに倒れこんだ。
 最後に弟と会話をしたのはいつだったか。たしか大みそかに日帰りで実家に戻った時だ。何を話したかは覚えていない。もっと前のことを振り返っても思い出せない。僕はあいつの何を知っていたんだ?彼が何をしていたのか、何をしてきたのかまったくと言っていいほど知らなかった。 通夜が終わり、僕は弟の遺体に近づいた。弟は無表情に目をつむっていた。いや、無表情ですらない。ただ顔がある、それだけだ。弟の胸を押すと息を吐き出すように空気が漏れた。何度か押すと弟の声が少しだけ聞こえるような気がした。だがもうこれは息ですらないのだ。 僕は自分の車に乗り込み、リュックサックから弟のノートを取り出した。「vol.35」のまだ何も書かれていないページを開いた。 「弟は死んでしまった」 ボールペンでそう書くと、しばらく僕はページの余白を見ていた。なにか返答のようなものが余白に浮かび上がるのを期待したのだ。だが余白は余白のまま、なにも答えなかった。僕は家族のところに戻り、葬儀場に布団を敷いて寝た。
(つづく)


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