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事実は幽霊の如く

昔から言われていることだが、『芸術家ほどメシが食えない職業はない』
確かにその通りだ。
時代が変わろうと現実を覆すのは到底困難だろう。

一応ボキも芸術家の端くれなので付け加えておくが、そもそもメシの種にしようとなど考えていない。
なぜならば、他人のために作業をしていないからだ。
全ては自身のためである。
特に格好をつけようと決め台詞を用意した訳ではない。
思ったことと感じたことを述べたまでだ。

ただ、これも重要だろう。
生活が豊かになるにつれて資本主義へと誘う。
それは無理もない。
需要と供給があってこそ資本が成り立つのだから。
従って需要に追いつかないメシの種にならないものは不要とみなされる…

わーお!

でも、これは皮肉というべきか、芸術家という家業は作家が亡くなってから開花する場合がある。
何もここで哲学を語ることなど全く考えてはいない。
むしろ本音のみで語りたいと考えている。

で、この内容に相応しいかは別として、邦題「盗まれたカラヴァッジョ」というイタリア映画は実に楽しめ参考となる♪

単純に物語を説明すると、売れっ子脚本家が資本先から新たな作品をせがまれ困り果てている。

で、実はこの脚本家だが、随分前からスランプとなり最近まで資本先を驚かす内容とは無縁の状態であった。
でも、この脚本家を支えているのが闇に隠れゴーストとなり支えている新米脚本家である。
お互い信頼を築き上げてはいるものの、真新しい作品へとは開花しない状態だ。

ある日のこと、新米脚本家の前に見知らぬ老紳士が近付き、「きっと君が気に入る内容を提供できる…」などと声を掛けられる。

なぜ新しい物語を考えているのかを知ったのだろうか…?
最初は半信半疑だった新米脚本家だが、語られた内容が現実味が帯びて吸い込まれる内容に更に驚かされる。

それも無理はない。
老紳士が語った内容は全て事実だったからだ。

さて、その事実とは…
約50年前に行方不明となっているカラヴァッジョが描いた「キリスト降誕」がマフィア絡みで転々としているといったことだった。
面白いことに、かつての事件と仮想で描かれている脚本が同時進行で事件となり繋がると、当時のマフィアや関係者がこぞって真実を闇へと追いやろうとなっきになるのだ。


で、結末はというと…
当然ながらいえないので、続きはレンタル店で借りて鑑賞して欲しい。

久しぶりに頭が冴えるサスペンスであり、ユーモアが含まれた内容にやられる始末。

登場人物の全てが直接事件に関与していなくても、間接的に繋がっている点は本作の脚本が優れている現れだろう。

因みにこの事件は未だに迷宮入りだそうだ。
何だが冒頭で述べたような芸術家がメシの種にならないといった内容と少しだけ繋がるかな…

…さて、どうでしょう by 長嶋茂雄

なんのこっちゃ



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