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本能に従う

唐突だが、仮に誰かが自身(あなた)の事柄をSNSなどの公の場でありもしない事実を語られたら、間違いなく誰もが反論するだろう。
その際、その相手が指摘したことを無視し、論点をすり替え違う事柄で攻めることを経験したことはないだろうか?
ボキはある。
この場で詳細を語ると大人気ない行為なので一例として挙げたまでだ。

さて、自身は正気で接しているにも関わらず、相手に正気を失っているなどと言われたら、あなたならどのような形で相手に向き合うのだろうか?

こういった不条理と戦う内容を捉えた映画が邦題「アンストッパブル」である。

因みに原題は「ANGEL OF MINE」
この原題は劇中で明かされるので個人的には原題で紹介した方が良かったと思う。

何故か邦題がデンゼル・ワシントン主演のアクション映画と同じで紛らわしい。
それはさておき、この物語は一見するとノオミ・ラパス演じるリジーが変質者だと烙印を押される。
だが、冒頭から焦りは禁物だ。

で、簡単な概要を説明すると、リジーはかつて幼い娘を病院の火事に見舞われ亡くしている。
ルーク・エヴァンス演じる夫のマイクはリジーの支えとなり、失った娘も大事だが、残された息子のトーマスと共に前へ進もうと促す。
しかしリジーは我が子が本当に失ったとは信じていなかった。
いつしかリジーとマイクの間に刻まれた絆が放たれ、お互いの気持ちが揺れ動き離婚を決意する。

そこでリジーに現実的な課題が訪れる。
経済面と喪失感に追われるリジーにとってトーマスを育てる環境は整っていない。
反対にマイクには整った環境があり、明らかに親権は父親が有利となる。
だがマイクは父親である以前にかつての夫である。
むやみにリジーから最愛なる息子を引き離すつもりなど考えてはいなかった。

マイクなりに考えた末、週交代でトーマスを面倒見ることを含め最低限の補償をリジーに託したつもりだった。

ここで物語は進展する。
息子のトーマスは友人が集うパーティーにリジーと共に出席する。
そこでリジーにとって運命的な出会いに直面する。

リジー曰く、自身にそっくりな我が子が生きていたと…。
これは妄想なのか、現実なのだろうか…
しかしリジーの思惑とは反対に目の前に映る少女はローラと名乗るクレアの娘だった。

リジーが亡くした娘のなはロージーだ。
目の前に映るローラこそまさにロージーであるとリジーは疑わなかった。

ロージーを亡くしてからリジーは周囲から正気をなくしていると指摘される。
それらが原因で精神的な病で入院した過去もある。
退院後は主治医の助言をのもと通院を繰り返し、処方された薬で正気を保つように説得される。
それでもリジーは本能に従った。

「あの子はまちがいなくロージー…」だと。

当初はさりげなくクレアと接するが、次第にリジーはロージーの執着が強くなり行動がエスカレートする。
次第にクレアもリジーの行動に疑問を感じる。

果たして事実、または真相がこの物語から訪れるのだろうか?
またはリジーの妄想に観客共々振り回される結果となるのだのだろうか?

かなり練りに練った脚本に結果的に驚かされること間違いないだろう♪

てな具合の作品ですた☆


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