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私の5年後の理想像-お節介ではないいばしょづくり-

大学4年になり、本格的に将来のことを考えなければいけません。
私は今、その選択肢に困っています。選択肢を自分で作りすぎて、頭を抱えてしまっています。

そもそも、行きたい大学で学びたいことを学べています。しかし、今の環境を選んだ背景には、「結局、何がしたいのかわからないから、地球環境を勉強して、環境問題の糸口を探してみよう」という、未来の自分に託した、というものがあります。

いざ大学に入学すると、コロナ禍。
インドアな私にとってはノーダメージだと思っていましたが、外に出てみないと、何が課題なのかもわからないのです。机上の空論(思い込み)で物事を進めることはいばらの道。

そこで私は、とにかく現場を見てみることにしました。
そこで少しでも興味を抱いたキーワード

地域づくり・障がい者福祉・社会学・心理学・マーケティング・グラフィックレコーディング・居場所つくり・気候変動・リサイクルキャンドル・コミュニティ形成・古民家の利活用・地方移住

…大学入学時には知らなかった言葉も含めて、すごく様々なことに興味を持ちました。
しかし、その数は多すぎて、なにもかも中途半端。興味の海に溺れてしまっています。

そして、改めて気づきます。
「ゴールがないと私のためにならない」

そんな私を心配してくれる人に出会いました。その方は、就職活動のES・卒論の添削、卒業後の進路(就職?大学院?休学?)の相談に乗ってくれました。
「5年後、10年後の自分を想像してみたらいいよ。」


①お節介ではないいばしょづくりがしたい

大学祭で私から声をかけた人がいます。
その方は、不登校の子のいばしょ作りを積極的におこなっている方です。
その方について行くことで、様々な経験をさせていただけました。

私が代表をしていた環境系の団体とのコラボや、それに伴う新聞等の取材への応対、こども食堂の参加、大きな講演会の出席

行動力の化け物と比喩したい方に出会いました。感嘆する次第ですが、怖くて質問できていないことがあります。
「いばしょづくりの本質的な意義とは?」


強がるという行為を取ったこと、ありませんか?
助けを求めたいけれど、自分でなんとかしたい。ここで助けを求めたら、自分が人に迷惑をかけるだけだ。とか。
私は、日々その葛藤をして生きています。弱いところを見せることがめっぽう嫌いです。(結局、自分ではどうにもならなくて相談することも多いです。相談したことを後悔することも多いです。というか後悔しないことの方が少ないです(笑))

私ほどではなくとも、誰もがそのように思う場面があると思います。
その人の前に「あなたにはここ(いばしょ)があるよ」と、その存在を示しても、響くのか?響かないのは私だけなのでしょうか。
その場所に対して信用できないのは私だけ?

だけど、いばしょは必要ですよね。
だから、お節介じゃないいばしょを作りたいです。
何もしなくていいよ、と声をかけるのではなくて、「無理はしなくていいよ、無茶してみてもいいよ」と声をかける、ある意味で冒険的な?
…!冒険遊び場的な!

別に誰のための人でなくてもいい、誰かのために行動したいとあなた自身が思うのならば、誰かのために何かしようとすればいいのです。
そういう風に説得できる人になりたいです。

文章まとまっていませんが、今回は以上です。
読んでいただきありがとうございました。





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