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確執のある親との別れ 毒親に手紙を書こう(1)

心の中で「ケリをつける」ことは重要ー自分の精神のために

2018年の初旬に私の父は亡くなった。8月に脳梗塞で倒れてから半年間にわたる寝たきり生活を経てのことだ。

父はいわゆる「毒親」だった。伝統的な一部上場企業で、夜間大学出身の父はストレスを募らせ、家族をその吐口にしていた。

「お前らがいなければ俺は...」、「(母に対し)お前がバカだから。お前の家族もどうしようもないな」「誰のおかげで生活できると思ってるのか」「ぶちのめしてやる」そんなことをよく言っていた。頭は悪くないのだが、劣等感が大きく性格が捻れていた。

幼い頃から大人になるまで、父の機嫌のいい顔を見ることは稀だった。その苦虫を潰したような表情を見るのが嫌で、父が会社から帰ってくると姉妹揃って子供部屋に逃げたものだ(これを書いている今でも、心臓がドキドキする)。

そんな父も65歳で会社を引退した後は、(母曰く)「好々爺」となったという。会社勤めのストレスがなくなり、「俺様は偉い」を維持する体力も衰えたからだろう。その頃には姉も私も独立しており、たまに実家で会う父は「挨拶程度の会話をする人」となっていた。

さて、ここからが本題だ。会うのも、顔を思い出すのも嫌な「毒親」がいる人へ:その親が死ぬ前に必ず自分の本心を告げないと後悔します! 話すことさえ嫌でも、心の中をぶちまけた「手紙」を本人に向かって書くべきだ。

これをせずにその親が死んでしまうと、後々自分の心に問題を抱えることにもなりかねない。

私の親友Mがいい例だ。Mの母は女医で、ごく普通の家庭から恵まれた医師家系の夫と結婚した。温和しい夫を支配し、子供達にも高圧的に振る舞う母親をMは嫌悪していた。そのせいもあって、Mは高校時代に米国に留学し親元を離れた。

その後Mの母はガンを発症し、治療も虚しく40代で亡くなった(最後まで「死にたくない!」と叫んでいたそうだ)。

そんなMも大人になってから、精神の不調を覚えるようになった。カウンセリングに通ううちにお母さんとの「終わってない関係」が心の奥底に引っかかっていることに気づいたという。

カウンセラーのススメでMは、亡くなったお母さんへの手紙を書いた。忙しい母にどんなに優しくされたかったか、一緒に話したかったか、愛されたかったか、家族を支配する母が嫌だったか、彼女は思いの丈を全て書き切った。それは彼女にとって忸怩たる思いのあった「毒母」とのクロージング(心の訣別)となった。

うちの姉も「毒父」の存命中に思いを伝えられなかった人だ。小さい時から体が弱く、姉は専制的な父から「どうしようもない奴」と見なされ、無視されてきた姉。激しい気性を内に秘めるタイプの姉は、父の入院中も「大人しいいい子」を演じていた。

父の死に目に立ち会えなかった姉は、霊安室でさめざめと泣いていた。「頑張ったね。もう苦しみは終わり」と、比較的穏やかな気持ちの私と母とは対照的だ。母が「パパが死んでそんなに悲しいの?」ときくと姉は、「そうじゃない、また私だけが除け者にされたから」と涙をこぼした。姉は、父から最後まで無視されたように感じたのだ。

姉は今でも、亡父との関係にケリがついていない。今からでも姉には父への手紙を書いて欲しいと思っている。

(次回は、私が実際に父に送った手紙を記載します)。

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