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宇都宮美術館 レポ

先日行ってきた宇都宮美術館のレポです。

1997年、25年前の開館時に開催した第1回全館コレクションを再現した今回の企画展

開館25周年記念 全館コレクション展
「これらの時間についての夢」

25年という歳月を様々な形で捉えて展開していた今回のコレクションは、「時間」がひとつのテーマ。
月や暦、時計やカレンダーにまつわる作品のコーナー
時の流れを意識すると逆に浮き彫りとなる、山や岩などの不変的な自然物が描かれた作品のコーナー
第二次世界大戦中の、日本とドイツの25年間の芸術に焦点を当てたコーナー
そして宇都宮美術館の象徴ともなる作品、ルネマグリットの「大家族」、マルクシャガールの作品コーナーへと続く。

海外の画家の作品もたくさんあるが、日本人画家の作品も多く、特に明治〜昭和初期の画家たちの輝きを直に味わうことができる。
年代的にも、ポスト印象派の影響を強く受けているであろう作品が目立つ。

と、少し脱線して…「印象派」と「ポスト印象派」って全っ然違うんですけど、あらためて違いが何なのか確認しませんか?

印象派…視界に映っている雰囲気(=光)の表現を最も大切にする。写真のように一瞬を切り取って、その「見えている瞬間を最大限表現」することで事象の真実を捉えようとした。
代表的画家はモネ、ルノアール。

ポスト印象派…視界に映っている物そのものではなく、それを見た時に感じた普遍的な印象の表現を最も大切にする。そのため色も形も表現方法は何もかも自由。後のキュービズム(前衛芸術)と呼ばれるものに影響していく。現代アートの夜明け。
代表的画家はゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン。

なーんて、こんな解説はネットにいくらでも出てくるので、敢えて私なりの解釈をここで説明してみます。

例えば目の前にいる猫の絵を描くとする。
猫の毛並み、瞳の輝き、髭一本一本…そこに当たって反射する光のひとつひとつ、それらを忠実に表現しようとする。すると、その絵はあの日あの瞬間の猫の姿を何度も呼び起こしてくれる作品となる。

では逆に、猫の細部や部屋に射し込む光になど目もくれず、ひたすらその猫への愛情を表現しようとする。猫の周り一面に広がる赤と黄色とオレンジが散りばめられた海。(愛情を赤や黄色で表現)そして猫の顔には3種類の表情が描かれている。安心しきって寝ている顔、甘えるように鳴く顔、おもちゃに夢中になってじゃれる顔。
すると、写実的要素はなくとも、その絵は自分が猫に対して抱いていた愛情をずっと呼び起こしてくれる作品となる。

どちらが良いも悪いもない、素晴らしい表現方法だと思うけど、もし私なら普遍的な思想や感情を表現してみたいな、と思った。
もしも、絵が描けたなら…(ここは西田敏行調で歌ってね)

さて、長い脱線はこの辺にして。

これらのコレクションの中で私が印象に残った作品は、

元永定正 61-08
灘波田龍起 我が生の記録
ルネマグリット 大家族
シャガール 青い恋人たち

やっぱり、マグリットとシャガールは良かった。
そして、元永定正は、どうしてもプライマル・スクリームの「スクリーマデリカ」に見えてしまって、まさかあの超有名ジャケットの元ネタなのか…!?とググりまくってしまった。(どうやら違う)
我が生の記録は、壁一面になるほどの大作なのだが、モヤっとした黄金色が全面に広がっているだけで、何も(一見)描かれていない。
だけど不思議なことに、じーっと眺めていると浮かび上がってくるのだ。走馬灯のようなものが。見えているのか?感じているのか?自分の脳が起こしている錯覚なのか?そんな不思議な感覚にとらわれてその場を離れられなくなってしまった。
これこそが「目には見えない、普遍的な真理」が描かれた作品と言えるのではないだろうか…抽象画の持つ限りない可能性を感じた。

そして、25年の軌跡「これまで」に対して未来「これから」を表現すべく3名の招聘アーティストの作品も展示されていた。
これらの作品は撮影許可がおりたので載せています。

大巻伸嗣は、その代表作のひとつ、岩絵具によって花々を描き出す作品『Echoes-Infinity』シリーズの新作を。(大きな吹き抜けの下に広がる花時計のような作品)
力石咲は、毛糸を編む行為によってつなぐというテーマを深化させ、糸をほどく事に意味を持たせる新作を。(たくさんの毛糸たちが解けたり丸まったり、生き物のように生き生きと混在している作品)
髙橋銑は、美術作品の保存と活用のジレンマを鋭く提示し話題となった映像作品《二羽のウサギ》を。(スペインの立体作品を手掛けるアーティスト・フラナガンの「野兎シリーズ」、この作品が展示されている宇都宮美術館と館林美術館の作品の保存状況を比べた作品)

なんと想定外にも、この《二羽のウサギ》という映像作品を観て私は号泣してしまった。
近現代彫刻の保存修復の現場に身を置く作者による、ふたつの作品への思い。
鑑賞者が安易に触れられるような環境に置かれれば、作品は劣化も激しくなり、損傷のリスクも高まる。
しかし、作品が人々に触れられ愛されることで、その作品は人々の心に留まることができる。誰の心にも留まれないアートになってしまえば、それはその作品の望まれた姿ではないのではないか。
「作品が在り続けるためには、物質的な損壊をなるべく遠ざける必要がある、でないと作品がなくなってしまう。」
「作品が在り続けるためには、その作品が経た年月を否定せず、そして人々とともに刻まれた記憶も残しておく必要がある、でないと作品がなくなってしまう。」

相反するふたつの正義。
私の人生のテーマの重なってしまい、条件反射的に涙が止まらなくなってしまった。
そうだ、先に述べた印象派・ポスト印象派についてだってそうだ。
どちらも「物事の真実」を捉えたいという気持ちは同じだ。
この世は全て相反するもので成り立っている。
それらに善とか悪とかのレッテルを貼りたくない。
貼りたくない。

髙橋銑「二羽のウサギ / between two stools」展 は過去に東京でも開かれたらしい。
定期的に開催してくれないかな。何度だって観に行きたいし、あらゆる人に観てほしいと願う、そんな作品だった。

以上、長い長いレポでした。
最後まで読んでくださり、本当にありがとう。

写真はInstagramにもたくさん載せています。
https://www.instagram.com/p/Ck47fRFvJCh/?igshid=YmMyMTA2M2Y=

@e.m.i.l.y.cisum

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