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【雑記】市場と芸術と茶飲み友達

先日、20年来の親友と東京都美のハマスホイ展に行った。

https://note.com/e_becky091222/n/n0428689620dd

親友とは2歳の時に知り合って以来の仲だ。
ただ家が近いという理由だけで仲良くなった。
幼稚園は違ったし、中学以降も離れ離れになったし、よく考えればクラスが一緒だったのは小1だけだった。

中高大と音楽一筋で生きた彼女と、中高大と体育会系だった私。
東京の音大に進学した彼女と、関西の総合大学に進学した私。
好きな音楽や舞台の仕事をフリーで掛け持ちして奮闘する彼女と、それなりの安定と夢のいいとこ取りをしようと広告代理店に就職してどっぷりビジネスに染まっていく私。

思い出を分け合った時間は決して長いとはいえず、互いに似ても似つかない人生を歩んできた。それなのになぜか、趣味嗜好や人生観、世の中に対して憂いていることがやたらと似ていて、根っこの部分は同じなんだろな…と感じる。そんな不思議に、ただ家が近かったという物理的距離が齎す奇跡を思い知る。
それとも、本当に神様が私の鏡のような存在を文字通り「はじめてのおともだち」として引き合わせてくれたのだろうか?

「ハマスホイもいいけど、他の人の絵で忘れられないのがある!」と言って同じポストカードを手に取った私たちは、もはやその事実に驚きもしなくなっていた。

観賞後、東京都美を出て、思ったよりも暖かい上野公園を散歩した。
どちらからともなくスタバに入る金をケチって、紙コップ自販機で買った140円のココアと抹茶オレを東京文化会館のロビーのベンチで啜った。

「芸術と市場価値とを繋げたいんだよな」

と、ココアを飲みながら彼女が言った。

それは、私が常日頃から思っていて、いかに難しいか感じていることだった。

「市場と繋ごうとすれば、大衆に迎合した俗っぽい作品になってしまうのが辛い。私も芸術とビジネスが重なり合う場所で仕事をしたいけれど、芸術とビジネスって本質的に相反するし、凄いストレスだよ。一生無理しなきゃいけない。私は文章を書くことで、仕事では守備範囲外になる領域とつながっていようとしているけれど、やっぱり大衆を動かすことに注力する仕事と馴染んでないし無理してると思うよ」
みたいなことを言った気がする。

すると彼女にこう言われた。

「結局さ、どっちに軸足を置くかなんじゃないの? 私は芸術に軸足を置いているから、なるべくもう一方の足で届く範囲を広げたいと思ってる。特にビジネスに足を伸ばしたいなと。アカデミックな音楽界って市場から孤立しすぎてるから」

軸足と聞いて妙にふに落ちた。

芸術界に軸足を置く彼女と、ビジネス界に軸足を置く私。

同じように市場と芸術の交わる場所を求めているのに、私たちのピポットターンはまだまだ小さな円しか描けず、私たちの生業は交わらない。

でもいつか、もっともっと私たちが足を伸ばせる場所が広がった時、同じ根っこを持った鏡同士の私たちの生業が交わって何か面白いことが起きるかもしれない、なんて思ったりした。

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