書籍紹介_欲望のオブジェ

プロダクトデザインガチ勢向けガチ本~その1「欲望のオブジェ」~

プロダクトデザインやってるのにプロダクトに関して全然話してなかったので、ガチ勢向けのガチ本を紹介してみようと思います


■欲望のオブジェ

(著アドリアン・フォーティ)
(画像はAmazonさんから引用 リンクはAmazonへ飛びます)

僕の最推しガチ系プロダクトデザイン本です。イギリスの産業革命から、この本が出る頃である1980年代まで「デザイン」というものがどのように変遷してきたのかを書いている本です。
現在のデザインという分野が形になるまでにどんな社会運動があって今に至るのかをかなり冷たい目線で描き出しています。


■目を覚ませ!デザイナー!

この本の魅力はなんと言っても作者の徹底的に冷たい観察描写です。
ついついデザインというと、センスのある人のクリエイティブで神秘的な運動だと思いがちです。
しかし、この本では「デザイン」がどれほど資本主義社会の要請を受け、また加担してきたかをガリガリと描いていきます。理想主義で夢見がちな学生の頃の僕は真正面から鈍器で殴られた気分でした。

デザインが商業と密着すると、なにか汚辱にまみれたように受け取られるのが通念である。だが、そんな方向違いの知的衛生志向が何の役に立ったというのか。デザインが資本主義の歴史のある特定の段階で生まれ、産業的な富の創造において一つの重要な役割を果たしてきたという、その事実を見えなくしていただけではないのか。(序文より)

ひぇー!!シビれるぅ!!
この後も延々とデザイナーというお仕事の理想論に隠蔽されてきたものに切り込んで行きます。

例えば「形態は機能に従う」というモダンデザインの教義にもなっている考え方には
「だとするなら、全てのものの形は同じ機能なら同じにならなければならないだろ?んなことねぇじゃん」と言った具合です。

以下に僕がショックを受けた部分を少し抜粋してみます。

デザインは神話を、長もちのする、しっかりした、実体のあるかたちに移しかえる力を秘めているので、それが現実そのものに見えてしまう。現代のオフィス労働が「昔」のそれよりもいっそう親しみやすく、おもしろく、ヴァラエティに富み、そしておおむね改善されてきているという共通の思い込みを例にとってもいい。この神話は、オフィス労働というものは退屈で単調だというたいていのひとびとの経験を、たとえば単調さについては何の隠し立てもしない工場労働などよりステイタスが上だ、と思いたがる彼らの望みと調和させるのに役立つ(P12より抜粋)
デザインはわれわれが現実として受け取っているものを不可避的に偽装したり改変したりする活動だ(P16より抜粋)

彼はデザインという行為は、人々の欲求を叶えるために、時として神話(共通の思い込み)を捏造するものであるということを喝破します。広告屋さんとかが言う、コトづくりなんて言葉は端的な例だと思います。

間違いなくデザインというお仕事にはこのような欺瞞と隠蔽の性質が備わっています。

このほかも本文内で、鋭いことをずっと書いています。全て紹介したいところですが、とても書ききれないので、内容はぜひ皆さん本書をお手に取って確かめてみてください(ファミ通の攻略本みたいだな…)


■より謙虚にあれ

フォーティ先生に言わせれば、僕らデザイナーはそんなにクリエイティブで世の中に優しい聖人でも無いようです。
ともすれば需要という名の欲求に応える形で、競争と淘汰に彩られた資本主義の尖兵として生きながらえてきた種族なのかもしれません。

ちなみに僕は、資本主義に準じることは悪いことだと思っていません。
どちらかと言うと、何か「良いこと」や「かっこいいこと」をしているんだ、もしくは「金儲けこそが本質」というような、偏った盲信を持つべきではないと考えています。

話を戻します。
フォーティ先生はデザイナーの持つ上記のような側面を痛いくらいに突いて来ます。しかし僕は、だからこそデザイナーはより謙虚であるべきという叱咤激励とも取れると思っています。

おそらくデザイナーの最大の敵は「自分が特別なことをしているという傲慢」なのだと気付かされました。

デザイナーの皆さん。謙虚さを大切にしてください。ともすれば僕達の技術は常に人を傷つけたり何かを奪ったりしうるものです。包丁も人刺すために使ったら凶器の理屈です。


よし。最後にいいこと書いてやったぞ。
今日はこんなところで、おやすみなさい。

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