頑張りと成果はリンクしない
頑張ったから成果が出るとは限らない。
だからといって、手を抜いても成果が絶対に出ないとも限らない。
ここ最近、頭から煙が出そうなくらい目まぐるしい仕事を強いられている。単純にタスクの量も多いのだけど、それぞれの質・重さが今までの比ではないというのが主な原因だ。
このことで問題になるのは、ここで手を抜くことで、チームに損害を与えるのではないかと思ってしまう。チームにダメージを与えることは、リーダーとしては絶対にあってはならないことである。
性格も相まって、与えられたタスクあるいは取り組むべきタスクに関しては全力でやる。成果物として100%とは言わなくても90%くらいの完成度を目指してしまう。もちろんそれではいけないので、未完成でもスピーディに出すこともあるが、ちょっとでも気を抜くと元来の姿に戻って、よりベストを目指してしまう。
でも、そこまでして頑張ったところで果たして効果度としてはどのくらいのものなのか?ということは、おそらく測定したことがない(もちろん定量的に判断できるものではないタスクばかりなので仕方ない側面もあるが)
そもそも「頑張り」と「結果」には絶対的な関係はないということを、もっと認識すべきではないのか?というのが、直近で感じていることのひとつ。頑張りはすぐにプラトーになる。そこからはどれだけ頑張っても微々たる差でしかない。
だったらプラトー近くまではしっかりと取り組み、そこからは他人にタスクを投げてしまったり、自分のために時間やエネルギーを使うべきなのではないか?と思っている。
なんでも批判・非難の対象になる昨今の風潮。だからなのか無意識にそこに合わせてしまっている自分がいるような気がする。そんな評価に意味はないと、頭では、論理的にはわかっているはずなのに。そして、そんなくだらないことをしてくる人間たちのために、こちらの時間・エネルギーを割く必要もないとわかっているのに。
なぜか?やっぱり怖いからなのだと思う。
自分という存在を認めてもらいたい、チームとして結果がでている、もっと見てもらいたいという承認欲求。人間として当たり前の感情だが、それが「より頑張る」という底なし沼に足を突っ込んでいる状態になっているのかもしれない。
これを脱するにはマインドセットを変えるしかない。
「より良く、より少なく」
エッセンシャル思考と呼ばれるものだ。より良くを目指すのは、職業人として当然である。しかし、今まではより「多く」をすることが至上主義だったが、そこを「少なく」するわけだ。
当然怖い。今までにやっていなかったわけだから。しかし、今までやっていなかったからこそ価値があって、可能性があるのではないか?と思える。
今現状、メンタル面はそこまで疲弊していると感じてはいないが、身体が悲鳴を上げている。これは心からのSOSだと感じる。ただちに休息を与えないと、取り返しのつかないことになると。
こんなピンチだからこそ、自分を変えていくチャンス。ここをモノにできると、また一段と成長できるし、人生を変えていけると考えている。
苦しいが、やるしかない。
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