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私の考える少子化対策 - インダストリアにさよならを

私の長い非モテ人生を振り返ると、本当の女性のことがわかっていなかったなぁ…と思う。子供時代を振り返ってみても、兄弟は男だけだったし、男子が女子に混じって遊ぶなんてことも少なかった。昭和の時代は「男は男、女は女」の時代で、男子が女子の中に混じって遊んだりすれば、「女の中に男がひとり~♪ ヒュ~ヒュ~」みたいにからかわれるような時代だった。

そんな時代に育ったせいか、女性に対するイメージも昭和的なものから脱しきれず、長きに渡る非モテ人生を歩んでしまった。そして、そんな自分が持っていた女性観・家庭観は次のようなものだった。

■ 女子は結婚して子供を持ち、暖かい家庭で暮らすのが幸せ
■ 男子はそんな暖かい家庭を守るため、外で戦うのが役割

「外の世界は基本的に厳しい世界だし、そんなところで働いて金を稼ぐなんて、辛く厳しいことだから、そういうのは俺に任せてくれ!」そんな気持ちでいた。女性にとっては、家でのんびり家事や子育てに専念してもらうのが一番幸せなんだろうと思っていた。

昭和男子の理想的な家族のイメージ


ただ、実際に結婚してわかったことは、全ての女性がこれを望んでいる訳ではない…ということだった。安心して家事や子育てに専念できることや、旦那の稼ぎが安定していることばかりが女性の幸せではない…ということだ。そんな単純なことがわかるまでに本当に時間がかかってしまった。

一言に「女子」といっても、本当に人それぞれで、何が幸せなのか?などというのは男が勝手に決めることではない…というのが、非モテおじさんが長年の修行で学んだことだった。

子供や料理なんかが大好きで、本当にそればかりをやりたい子もいれば、家族とかそんなことには興味がなくて、趣味のようなものに没頭したい子もいる。また、社会の中で自分の能力を限界まで追求したい子もいる。本当に人それぞれだということだ。

少子化対策

少子化対策を考えるときに、多くの人が思い浮かべるイメージはこれではないかと思う。「平均出生率が増えました」的なあの図だ。

少子化対策のイメージ


ただ、個人的にはこの図はあまりよくないと思っている。無意識のうちに、「両親と子供二人の家庭が理想である」といった潜在的なバイアスが入り込んでしまっているからだ。しかし、実際の世の女性を見渡してみれば、全ての女性が結婚したいと思っている訳でも、子供を二人持ちたいと思っている訳でもない。だとすると、本当の正解はこれではないか?と思うのだ。

さまざまな家族の形態

何が言いたいのかというと、つまり、男子だって、女子だって、人それぞれなのだから、いわゆる「平均値」を「理想像」みたいに押し付けるのは止めようということだ。

女性にもいろいろなタイプの人がいる。とにかく、子供が大好きで、母性の塊みたいな子もいれば、東京のど真ん中でキャリアを追求したい子もいる訳だから、それをひとつの理想像(平均値)へ近づけようとするのがそもそもが不自然なのだ。子供が大好きならば、子供たくさん産んで育てればよいし、キャリアに興味があればそちらを追求すればよい。好きなことをやればよいのだ。

そして、この図に現れる子供の数は大人の数よりも明らかに多い。つまり、少子化問題は解決なのである。ただ、4(母子家庭)のような場合は、経済的に極めて厳しいことになる。そうしたケースは、やはり「自分でなんとかしなさい」ではなく、これは国家がサポートしてしかるべきケースなのだと思う。

母子家庭の問題

これまでの世の中では「稼ぐのは男の役割であり、女と子供は付属物」な考えが浸透してしまっていた。しかし、それがそもそもおかしかった。「扶養控除」みたいな考え方もそこを基点にした考え方で、根底には「稼ぐのは男の役割で、その人の負担を軽減しましょう」みたいな考え方が入り込んでしまっている。

だた、母子家庭の場合は、その稼ぐ役割も女性が担うことになる。子供が2人も3人もいれば、女性が外で働くだけで満足な収入を得るのはなかなか難しいことも多い。実際、私自身は母子家庭で育っているのだけど、過去を振り返ると、おそらく母の稼ぎだけで家賃や食費をカバーするのはほぼ不可能だったと思う。母は学歴もなかったし、外で働いたこともなかった。母は「そろそろいい年齢だから結婚しなさい」と親に言われて、見合い結婚で結婚してしまったタイプなのだけど、結局はケンカが絶えずに離婚してしまった。

また、父からは養育費が送られるはずだったが、送金はしばしば滞ることもあったし、金額的に養育費だけで生活することは無理だった。喧嘩して別れたのに、喧嘩別れした相手に金だけ送ってくれ…と言っても、感情的になかなか難しいかったのだと思う。それに、父も慣れない一人暮らしで大変だったのだと思う。お酒の好きな人だから、おそらくお酒に逃げてしまい、お金もあまりなかったのではないだろうか。

「子供はお前たちが勝手に作った訳だし、自分たちで面倒を見なさい」と言われても、家族がバラバラになってしまった後で、親がその義務を果たし続けることは難しいこともあるし、そもそも「子供を育てるのは親の義務」と考えるのが正しい考え方なのか個人的には疑問に思っている

子供を育てるのは親の義務か?

江戸時代であれば、子供は資産のようなものだった。子供を育てることはある種の投資だった。子供が増えることは、すなわち労働力が増えることに直結していて、一族の繁栄と安定に重要な役割を果たしていた。また、「親の面倒を見るのは子供の義務」であり、子供はある種の将来の保険にもなった。つまり、子供は将来の労働力であり、将来の保障・保険でもあった。

ただ、現代ではそうした前提は崩れている。農家の息子が農家の息子になる必要はないし、武士の息子が武士になる必要もない。農家の息子が武士になってもいいし、武士の息子が農家になってもいい。そんな感じの時代になった。子供は家族という組織の所有物ではなくなった…ということだ。

だとすると、子供は誰のものなのか?おそらく、誰のものでもないだろう。単なる一人の人間でしかないのだ。強いていえば、社会のものなのだと思う。だとすれば、子供は誰が育てるべきなのか?

本来は、社会が育てるべきなのだと思う。それを全て個人や家族に強く委ねてしまうと、何かの拍子に隙間へ落ちてしまう子供ができる。特に、20代くらいまでは、大人と言っても職業的にも経済的にも安定していないこともあり、そうした若者にその責任を完全に委ねてしまうのは無理があることなのではないかと思っている。

子供ためのベーシックインカム

そこで、私が考えているのが「子供のためのベーシックインカム」だ。とは言っても、あまり大きな金額だと国家が破綻してしまうので、例えば一人3万円くらいベーシックインカムを支給して、子供自身の口座に直接振り込むようにすればよいのではないかと思っている。

もちろん、これだけは生活できないかもしれないが、親が多少補助したり、集まって生活すれば、多少の助けになるのではないかと思う。例えば、母親1人、子供4人のようなケースでも 12万円が確保できる。

また、更に言えば、個人的には人間 30歳くらいまでは、まだまだ「子供」の範疇に入れてもいいのではないか?と思っている。

学校を卒業して就職しても、20代くらいではまだまだ「プロ」として完全に技術が確立されていないこともあるし、自分探しの途中ということもある。

また、恋愛して結婚して出産してしまったけど、実は結婚した相手に全く生活能力がなかったとか、男を見る目がなくて変な男をつかんでしまい、結果的に浮気ばかりをされてしまったとか、20代というのはそんなよくわからない「トライ&エラー」の多い時期ではないかと思う。そうした時期に「自分で頑張れ!」ではなく、国家が支援を行う…というのは十分にあり得ることではないかと思うのだ。

こうした支援があれば、パターン4(母子家庭)のようなケースでも、20代の母親の分を含めて、子供手当だけでも月に15万円の収入があり、都心で生活するのは無理でも、地方都市で空き家などをうまく活用したり、両親や祖父母と一緒に暮らすなどとすれば、ある程度生活できるようになるのではないだろうか。

普通の子を増やしても意味はない?

ただ、こんな風に見境なく子供の数だけを増やしてもあまり意味はないのではないか?あるいは、都心とかに住んでいる優秀な親たちの子供をもっと増やした方がいいのではないか?そんな考え方もあるかもしれない。

ただ、個人的には、現在これだけ人工知能が発展しつつある世界で、あと20年後か30年後の世界で最も重要なのは知力なのか?と疑問に思ったりもしている。むしろ、単なる頭の良さみたいなものよりは、良い志とか、行動力とか、そんなものがあった方がよいのではないかと思っている。

つまり、子供たちに知性ばかりを求めるのは、結局は「古い世界の古い価値観に基づいて、子供の良し悪しを決める」ようなことに繋がっていないか?ということだ。

未来少年コナン

「未来少年コナン」というのは、宮崎駿の初期の頃の TVアニメシリーズで、基本的にはコナンという主人公の男の子がラナという女の子を助ける物語なのだが、この物語の中で印象的なのはコナンは単なるアタマの良い子としては描かれておらず、どちらかというと良い志や強い意思、丈夫な体を持った元気な子供として描かれている

そして、私自身の個人的な意見としては、これからの未来に求められる人材は単にアタマの良い子というよりは、コナンのような良い志と強い意思を持った子供たちなのではないかと思っている。こういう子こそが、未来に求められる少年の姿、つまり「未来少年」なのではないか?ということだ。

この辺の考察は、下の記事でも解説しているので読んでほしい。要するに、電卓が発明された後で、ソロバンの得意な子だけを量産しても意味がない…という話なのだが、興味のある方はぜひ。

実際、最近の有名な起業家を見てみると、やはりそうした人たちは大人の言うことをよく聞く「良い子」というよりは、強い意思を持った「変な子」のような気がしていて、これからの日本で求められるのは、まさにこうした「変な子」なのではないかと思っている。

インダストリアにさよならを

インダストリアは「未来少年コナン」の中で登場する都市の名前だ。この都市は高度に工業化された都市で、エネルギーは宇宙空間にある太陽発電装置から転送され、そのエネルギーを元に衣料や食料などを生み出すことができる究極の未来都市のような場所だ。

一方で、この都市には市民に階級制度があり、どれくらい組織に忠実か、あるいは役に立つかという基準で、階級が与えられている。その階級によって与えられる食料も衣服も差が付けられるようになっている。つまり、年収みたいなものだ。そして、この都市のことを考えるとき、これは「東京なのだな…」といつも思う。

だが、外部のエネルギーに頼り切るこの未来都市はある大きな問題を抱えており、とある事件により完全に崩壊してしまう。そして…と話し続けると完全なネタバレになってしまうのでもう止めておくけれども、個人的には東京に何もかも集中させるのはもう止めて、もっと広い日本の中で元気な子供をもっとたくさん産み育てた方がよいのではないか?ということを常々思っている。

そして、この広い日本の中で子供を育てる…ということが、おそらく日本の新しい「成長産業」となり、その中で最も重要な役割を果たすのが「専業オカン」であると信じて疑わない訳だけど、皆さんはどう思われただろうか?

楽園実験・Universe25

「未来少年コナン」みたいな爽やかな話の後で、あれなんだけれども、皆さんは「楽園実験」あるいは「Universe25」と呼ばれるネズミの飼育実験をご存じだろうか?

これはネズミに十分なスペースと食料を与えた状態で、長期間ネズミを育てた実験なのだけれど、この実験が現代の人間社会で起こっているさまざまな現象を現わしているいる実験だとして、最近話題になっている。

既に、幾つもの記事や動画などがあるので、あまり詳しくは説明しないけれども、主観的に要点をまとめるとこんな感じ。

■ ネズミに十分なスペースと食料を与えて飼育した
■ 時間が経つと、ネズミたちは一か所に集中して生活するようになった
■ その一方で、あちこちに空いた巣箱が存在していた
■ 集中して生活するネズミたちは場所や食料を奪い合うようになった
■ そして、勝ち組のネズミたちは見境なくネズミを犯すようになった
■ しかし、そうした雄ネズミたちは雌ネズミを守ろうとしなかった
■ 外界からの攻撃を守ろうとして母ネズミは攻撃的になった
■ 攻撃的になった母ネズミたちは自分の子供たちも攻撃し始めた
■ 巣箱から追い出されたネズミはニート(美しいネズミ)になった
■ ネズミたちが絶滅した

人間社会では、基本的に「雄ネズミが見境なく雌ネズミを犯す」といったことは防がれているけれども、「雄ネズミが必ずしも母ネズミを守りきれている」とは言えないし、「空きスペースはたくさんあるのになぜか多くの個体が一か所に集中してしまう」という現象は実際に起こってしまっている。

おそらく、この楽園実験(Universe25)から導かれる教訓は次のようなものではないかと思っているのだが、皆さんはどう思われただろうか。

■ 子育ては社会の最優先事項である
■ 子育てを行う人は社会が経済的に守護すべきである
■ 社会での不必要な競争を避けるために、都市への一極集中を避けるべき

まとめ - 政策提言

記事も長くなってしまったので、簡単にまとめをしておこうと思う。

■ 女子もさまざま。母親向きの人もいるけど、そうでない人もいる
■ それぞれの人間がなりたいものになった方がいい
■ 「両親+子供二人」を理想像と思うのは止めよう
■ 更に、全ての人をそうした平均値へ近づけようとするのは止めよう
■ キャリアも家庭も…みたいな両立を無理に押し付けるのは止めよう
■ 社会全体でうまく分業することを考えよう
■ 子育てを地方の主要な産業にしよう
■ 子供のためのベーシックインカムを導入しよう

最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました!

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