1歳半健診の憂鬱①〜ダメ出しを受けてヨロヨロ歩いた日〜
約2年半前。
わたしは心身ともズタボロになって、ヨロヨロ歩いていた。モノクロの世界で、自分たち親子だけが、置いてけぼりになった気がした。
周りの景色が流れて見えた。
………
「お子さんの成長を一緒に喜び合える機会にしたいと考えております」
明後日は、次男の1歳半健診。このところの禍で少し遅れたが、次男にもその時期がやってきた。
正直、行きたくない。
問診票を書く手が震える。動悸がする。汗が噴き出す。
思い出すだけで、いや、思い出したくなくても、自然に顔がこわばり、頭の芯がジンジンして、動きがストップしてしまう。
………
あれは長男の1歳半健診のこと。
わたしは次男を妊娠していた。次男を妊娠しながら1歳半をすぎた長男の世話をしていた。
イヤイヤ期のはじまりかと思う要求・大号泣の嵐、男の子ならではの力の強さ、落ち着きのなさ。ところ構わず走り回る。すぐ高いところに登る。(そして落ちる。)非常ボタンを勝手に押す。引き出しをあさる。調味料を床にぶちまける。つないだ手を振りほどこうとする。
つわりや腰の重さなどを抱えながら長男を追いかけるのは、結構しんどかった。
そのせいもあり、わたしは長男の1歳半健診について特に調べもせずに、通知された日時に、地域の保健センターに行った。
何より、この文面である。お子さんの成長を一緒に喜び合う、なんて温かいのだろう。
日々、育児疲れで参っていたわたしは、まるで親戚の家に遊びにいくような感覚で、保健センターに行った。
行けば、「大変な中よく来たねえ〜!」と歓迎され、保健師さんとお話すれば、「いい子だね〜」とほめられ(実際にいい子かどうかはともかく)、「じゃあ、がんばってね〜」と微笑みで見送られる、まさに「喜び合う」展開を期待していたのだが。
実際は違っていた。
以下、長男の1歳半健診で起こったことを、わたしの主観で書いていく。
① 受付
受付時間少し前に行ったのだが、すでに33番だった。受付時間よりも30分以上前から並んでいる人がたくさんいたということだな。いきなりやられた感。それで、ガヤガヤしている中、ずいぶん待つことになった。
② テスト
やっと呼ばれて、部屋に入ると、そこは2つの机があり、保健師さんが座っていた。
わたし達は向かいに座る。「こんにちは」。
保健師さんが問診票をチェックする。「意味のある言葉を話しますか?」の問いに、「キラキラ」と書いていた。
「キラキラって何ですか?」
「あの、星のこととか、本当にキラキラしているものとか」
長男は単語より先に歌を覚えた。中でも「キラキラ星」はお気に入りで、♪キーラーキーラーひかるうー♪と歌っている。
これはわたしも不思議なのだが、よく言われるブーブとかマンマなどよりも先に、長男は修飾語を覚えた。「お日さまてんてん」の歌詞から、太陽のことを「てんてん」と言っていたこともあるし、毛布のことは、「ふわふわ」と呼んでいた。
キラキラ、てんてん、ふわふわ。
「…(ふに落ちない感じで)はあ。ママとかパパは言わないですか?」
「はい、言わないです」
微妙な空気が流れた。
「それじゃあ、長男くん、この紙を見てね」
保健師さんは6つの絵が書いてある紙を見せた。
「じゃあ、長男くん、美味しい美味しいジュースは、どーれだ?」
長男、電車を指さす。
「あの…。ジュース、飲んだことないんです。」
「じゃあ、長男くん、犬はどーれだ?」
長男、電車を指さす。
「あの…。犬、わからないかもしれません。」
「じゃあ、何ならわかりますか?」と保健師さん。
「そうですね…。電車とか、車とか、乗り物なら」と答えると、
「じゃあ、長男くん、車は、どーれだ?」
「ブーブは?ブーブ」
長男、やっぱり電車を指さした。
結局、長男は電車が好きなので、電車しか指ささなかった。
保健師さんの顔がみるみるこわばる。わたしから見えないように隠しながら、問診票に何かを一生懸命書いていた。
わたしも何だか不安になってきた。こんなテストをするなんて、知らなかった。
次。
「じゃあ、長男くん、ウデはどこ?指さしてみて」
「足は?」
「耳は?」
全滅。
次。
保健師さんが、「何かを伝えたい時、指さししますか?」と言った。
「うーん、そうですね、何か好きなものを見つけた時ですかね」
「例えば、牛乳飲みたい時に冷蔵庫指さすとか」
長男に冷蔵庫からものを出してそのまま与えたことはほとんどない。常温にしてから飲ませていたので、長男に与えるのはレンジの中からか、お湯を入れてから。
「冷蔵庫は、指さしません」
また微妙な空気が流れた。保健師さんの顔は、笑っていなかった。
わたしも一生懸命作り笑いをしていたけれど、本当は、早くこの部屋から出たかった。
これ以上やっても無駄だと判断されたのか、保健師さんはそのまま話を切り上げた。
「はい、いいですよ。次は身体測定ですからね」
やっと終わった…!いくら問題を出されても答えられない長男と、それを祈るように見守るわたしと、厳しそうな保健師さん。
わたしの気持ちは急激にしぼんでいった。
③身体測定、歯の検診
長男は歯が生えるのが遅かった。1歳半健診の時点で、8本しか生えていない。普通の子は、だいたい12本から16本生えているようだ。
「うん、遅いですね」と言われ、そうですよね、と答える。
「まあ、3歳くらいまでに生えてこればいいので」
歯が生えるのが遅かったせいか、長男は食が細い。
多分、うまくかめなかったんだと思う。
だから、ちょっとスリム体型だし、身長も小さめ。
だけど平均内だし、身長と体重のバランスはいいですよと言ってもらえた。ちょっと救われた。
④歯科衛生士さんの指導
歯医者さんの次は、歯科衛生士さんの指導だった。
いわゆる「きれかわいい」女性だった。
なぜ歯科衛生士さんは綺麗で可愛い人が多いのだろう。
内心ちょっとときめいてしまう。
でも、この歯科衛生士さんも厳しかった。
「歯ブラシは、もうちょっと硬いのを使ってください」
はい。
それから、お茶は何で飲んでいますか?フォローアップミルクを飲んでいるんですか?と聞かれた。
先ほど話した通り、長男は歯が生えるのが遅かった。それで、なかなか食べ物をうまくかめずに、食事も少ししか食べなかった。
飲み込むのも下手で、よくえづいていた。味噌汁の豆腐でさえ、だいぶん大きくなるまでうまく飲み込めず、「ウッ」と吐いてしまうほどだった。
だから、コップで飲み物を飲むことも、なかなか難しかった。
わたしは正直に話した。
栄養不足を補うために、フォローアップミルクを飲んでいるし、コップはオエっとなってしまうので、ストローか、哺乳瓶を使うこともありますと。
すると、歯科衛生士さん、鬼の首でも取ったように興奮し出してしまった。
「哺乳瓶は今すぐやめてください!おっぱいを飲む口になってしまいますよ!」
「今すぐコップで飲ませるようにしてください!」
あの…。オエってなってしまって、上手に飲めないのですが…。
「練習あるのみです!!!!!!!!」
歯科衛生士さんの顔も、笑っていなかった。笑っていないどころか、最後の方は眉毛がちょっとつり上がっていた。
⑤栄養指導
次は、栄養士さんの栄養指導だった。
予め問診票に書かれていたメニューを見ながら話す。
「朝ごはんは、タンパク質を取りたいからパンよりご飯が」
そうか。その日に限ってパンだった。いつもは、お粥にシラスを混ぜたものと、味噌汁と、かぼちゃの煮物を食べたりしているのに。問診票に「前日のメニューを書いてください」とあったから、バカ正直に前日のメニューを書いてしまった。
そうではなくて、いつも食べている平均的なメニューを書くべきだったな。
でも、普通「前日のメニュー」って書いてあったら前日のメニュー書きますよね?
「はい、前日はたまたまパンだったのですが、いつもはシラスご飯が多いです」、と答えたら、ああそれならいい、と言われた。
あとは、
・フォローアップミルクは今すぐ牛乳にすべし
・ご飯はおかゆではなく、普通のご飯にすべし
・人はえづきながら噛むことを覚える
…などを指摘された。
なんだって。いずれも長男の歯がこの時点でも8本しか生えていないから、こうなっているのだが…。
わたしにしてみれば、歯が8本しかはえてない長男が、16本はえている子どもと同じ食にしろと言われているのが信じられなかった。食べられるなら、とっくに食べさせているし、ふつうのご飯にできるなら、その方がわたしだって楽だ。だけど、何回やっても噛みきれなくて口から出してしまう。肉などはもちろん、リンゴのかたまりもダメだった。
食べられてないからこうなっている。
ま、フォローアップミルクは牛乳にしても飲めるだろうけど、栄養面は大丈夫ですかね? と少し食い下がってみた。
すると、栄養士さんも興奮し出してしまった。
「フォローアップミルクは食品です!!仮にお肉を100gまでにしてくださいって言われてるのに、お母さん、200gも300gも食べさせますか?
ミルクをたくさん飲ませているお母さんがやっているのは、そういうことですよ!!!」
叱られた。
毎日毎日、食の細いイヤイヤ長男のために、あーでもないこーでもないと心を砕き、食事のたびに心が折れて、それでもなんとかつらい体に鞭打ってやっているのに。
栄養士さんも、笑っていなかった。
⑥面談
わたしにとって、それは面談ではなかった。
最初の部屋で質問をした保健師さんに呼ばれて、もう一度、テストをされた。
え、最初の部屋で終わったんじゃないの?
まだやるのか。
これって、わたしにしたら追い討ちでしかない。
長男は、やはり、答えられなかった。
気まずい場面をつくろうため、何か言葉を発しなければと思う。
「あの、こちらが言ってることは理解できるみたいなんですが」
それならと保健師さんは、長男に車のおもちゃを渡した。
「じゃあ、長男くん、これと同じ車を取ってきて」とおもちゃの山を指さす。
長男は、その車を受け取ると、喜んでおもちゃの山に遊びに行き、そのまま帰ってこなかった…。
保健師さんが分かりやすくムッとした。
頬が上気しているように見える。凍ったような沈黙。
「あ、あの、これって今できてないとまずいんでしょうか?」
「そうですね、このぐらいにはできてて欲しいんですけど」ツン。
そうですか…。
「2歳ぐらいにはできてほしいので、そのへんにまた電話します」と言われ、終了した。
保健師さんは、もちろん、笑っていなかった。
悲しかった。すべてを否定された気がした。
わたしは健診前、きっと褒めてもらえるだろうと思っていた。1歳半、手のかかる時期だ。身重の身体でよくやってるよ、大変だね、えらいねって言ってもらえると期待してた。
それに、息子のことも、かわいいかわいいって言ってもらえると思ってた。
保健センターって、どんな子どもも受け入れてヨシヨシしてくれるところなんだと、これまた勝手に期待してた。
だけど、実際そんなことを言ってくれる人は誰もいなくて、テストで答えられない、コップでうまく飲めない、食べ物がうまく噛めないとか……、出来が悪くて、期待に添えないことが重なるたびに、相手がわかりやすくムッとして、笑顔が消えていった。
保健師さんに歯科衛生士さん、栄養士さん。
みんな、笑っていなかった。
わたしが健診で得たのはダメ出しばかりだ。
保健センターは、わたしにとって、期待したような温かい場所ではなかった。
ダメダメダメ。
それは、わたし達親子に向けられたたくさんの✖️バツだった。
重い足取りで、保健センターを出た。
世界が灰色に見える。
自動ドアのところで、同じ健診を受けたと思われる母娘が、わたし達の隣を歩いていた。
「オムツ替えなくていい?」
「うん!」
なんと、もう立派に会話している。それに、オムツを替えるかどうか、娘から母に言えるのか。息子はまだ話せないし、それにオムツだって定期的に替えている。
わたしにはその母娘がキラキラして見えた。
賢そうな娘さんと、活発そうなお母さん。
オシャレなお母さんはツバの広い帽子をかぶり、日焼け対策もバッチリ。
2人は颯爽とママチャリに乗って去って行った。
「ああ、ああいう母娘なら、きっと保健センターの人からニコニコしてもらえて、褒められて、二重丸◉がもらえるんだろうな。
いいなあ…」
心が沼のようにどんよりと濁った。
わたしは、「よだかの星」のよだかになった気分だった。
誰からも拒否されて、お願いが叶えてもらえなかったよだかの気分。
わたしは一生懸命なのに、息子は何にも悪いことしていないのに、ダメ出しばっかりされて。
それじゃあんまり切ないよ。
家に帰ってからも、しばらくはぐじぐじぐじぐじと悩んでいた。だけど、幸いなことに長男の要求はとめどなく、悩みは長くは続かなかった。相変わらず噛むのがヘタクソで、食生活は大きく変えられなかったけど、フォローアップミルクの代わりに飲み始めた牛乳は大好きになった。
心が折れそうだったわたしを支えていたのは。
ほどなく二児の母になろうとするわたしが、こんなことで挫けていてはいけないと、本当に、その意地だけだった。
(後編へ続く)
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