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街風 episode.2 〜たった一つの許せないこと〜

 「いらっしゃいませー。」

 彼女は飛びっきりの笑顔を添えて毎回挨拶をしてくれる。彼女がここで働き始めて数ヶ月が経つ。彼女の名前はマナミさんというそうで、ダイスケさんとも仲良く楽しそうに働いている。2年前の“あの出来事”があった時、ダイスケさんは本当に立ち直れるか心配だったけれど、マナミさんが来てからは徐々に笑顔も増えてきているように見える。

 「今日はどの花がおススメかしら?」

 「こちらはいかがですか?」

私のいつもの問いかけに答えながら彼女はオレンジの小さな花を選んでくれた。

 「たまには明るい色もいいと思います!不謹慎っていう人もいるかもしれないけれど、タエさんのご主人もたまにはこういう明るい花を見たいと思います!」

 彼女はそう言うと私に目一杯の笑顔を見せてくれた。

 「そうね。一輪であればいいと思うわ。」

 「ありがとうございます!」

彼女は私たちが選んだ花を包みながら、話し掛けてくれた。

 「タエさんのご主人は幸せ者ですよね。毎日こうして会いに来てくれる奥さんがいて。」

 「ふふ、ありがとう。」

 「はい、できました!」

 2人で会話を楽しんでいる間に、オレンジの小さな花は丁寧に包まれて出掛ける準備が整っていた。

 「主人もマナミさんのような美人さんが選んだ花を喜んでくれると思うわ。」

 「美人ではないですが、そういってもらえると嬉しいです!」

 「こちらこそ毎日よくしてもらってありがとうね。では、また明日よろしく。」

 「はい!またお待ちしております。いってらっしゃいませ。」

 彼女と別れて私はバス停へ向かった。小高い丘にある主人の墓へ行くまでは緩やかな上り坂で、以前までは散歩がてら歩いて行っていたけれど今はバスで行くことが殆どだ。バス停にやってきたバスに乗って、後方の2人掛けの席の窓際に腰掛けた。この車窓から見る景色は私の人生の一部になっている。今から向かう主人のお墓があるバス停よりもさらに行くと、主人と最後に過ごした病院がある。

 主人に先立たれて10年経つが、未だに1人の寂しさには慣れることができない。子供達もとうの昔に独り立ちをしてしまったので、家に帰ると1人の寂しさが毎回込み上げてくる。

 長女の娘が通っている高校が家の近くにあり、週に2-3回ほど遊びに来てくれるのは本当にありがたい。いつも主人の書斎に並べられている本を読んでから、夕飯を一緒に食べるのがお決まりだ。夕食中は色々な話をしてくれて、最近では彼氏が出来た報告まで娘より先に私にしてくれた。そして、いつも最後には決まって私と主人の話を聞いてくる。

 「おばあちゃんは毎日おじいちゃんのお墓に行っててすごいね。」

 「おじいちゃんが今でも好きだからよ。」

 「どんなところが好きだったの?」

 「全部、ね。」

 「憧れちゃうなあー。ケンカとかしなかったの?」

 「もちろんしたこともあるわ。でもね、翌日にはすぐ仲直りしちゃうの。やっぱりおじいちゃんが好きだから、翌朝に顔を合わせると全てを許しちゃったの。」

 「いいなあー。そういうの憧れるなあ。」

 「大丈夫よ。カオリにも素敵なお相手がいるでしょう。」

 「そうだね。いつもありがとう。」

 「いいえ。今日も気をつけて帰ってね。」

 夕食を食べ終えると、カオリは主人の書斎から本を1冊借りて帰っていった。

 昨日は孫のカオリにあんな事を言ったけれど、私は主人に対して一つだけ許してない事がある。

 目的地に着いてバス停を降りると私は主人の墓のあるお寺へ向かった。今日もこのお寺の看板猫のタマは日向でごろんと寝転がっている。

 「今日も心地良さそうね。」

 そう声を掛けてもタマは気持ち良さそうにうたた寝を続けている。タマのいつも通り変わらないマイペースさに感心して、私は主人のお墓へ歩いて行った。

 主人のお墓に辿りつくと、さっそく墓を掃除してマナミさんに丁寧に包んでもらったオレンジの花を取り出した。

 今から11年前。主人は1人で外出中にいきなり倒れた。たまたま近くを通りがかった通行人の人が救急車を呼んでくれたのが幸いで一命を取り留めた。くも膜下出血とのことだったが、軽症であったために意識を失っただけで済んだそうだ。しかし、念のために検査をしてもらった時、より深刻な病魔が主人を蝕んでいた。すでにステージⅣまで進んでいたガンは主人の残りの人生をあと少しで終えさせようとしていた。入院ベッドの上でも主人はいつもと変わらず私に優しかった。

 「タエさん。僕は貴女とお付き合いを始めた時に、2人で約束をしたことがある。貴女はまだその約束を覚えているかな。」

 「ええ、もちろんよ。”これからはタエさんを1人寂しい思いをさせない。ずっと一緒に君と幸せな毎日を過ごす。”でしょう。」

 「ああ、そうだ。でも、僕は一つ目の約束は果たせないらしい。でも、僕の心はずっとタエさんの傍にいるからどうか許してほしい。」

 「そんな事は今は言わないでください。私は貴方とここまで来ることができて幸せでしたよ。まだまだ幸せにしていただきたいので、早く退院してくださいね。また2人で近所の桜並木を見に行きましょう。」

 しかし、その約束は果たされないまま主人は10年前の2月に先立った。

 「ねえ、あなた。今日のお花はとても綺麗でしょ。このオレンジのお花に負けないくらい可憐な子が選んでくれたのよ。そして、私は今日もあなたを許すことはできそうにないわね。10年経った今でもこうして貴方の目の前にいるのに、貴方のいない寂しさに慣れることなんてできないわ。貴方の心は私の傍にいると信じています。でも、どうかせめて一度だけでも貴方のぬくもりを私は感じたいわ。」

 「”1人寂しい思いをさせない”って約束を破った事を私は今日も許せないわ。だって、貴方の顔を見れば何でも許せちゃうのに、たったそれだけができないんですもの。いつか私に会いに来てください。」

 さあ、またカオリが遊びに来るかもしれないし夕飯の買い物をしてから帰ろう。帰りもタマは日向の場所を変えてゴロゴロと気持ち良さそうに寝ていた。  

 貴方を許すのはもう少し先になりそうです。いつか会いに行く時には、マナミさんに選んでもらった花を持って、目一杯のおめかしをして行くので待っててくださいね。だから、もう約束を破らないように、ずっと私と一緒にいてくださいね。

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