現在医師であるADHD傾向の人間が普通の人のように振る舞うことを学び実践するためにしてきたこと
僕は20年以上医者を続けていて、今や中年です。
幼少期のことを思い返すと、僕はADHDと軽い自閉傾向ににあった子供だったと思います。ADHDとは注意欠如・多動症の略ですが、小学校時代、僕はクラスに「忘れ物表」があり、忘れ物をするたびに赤いシールを貼っていくシステムがありました。その表に赤いシールが枠からはみ出すほど貼られていたのは僕だけでした。
また、人の話を聞いていることができないんです。どうしても体が動いてしまうのです。拳をぎゅっと握って我慢してずっと聴いている努力をしていましたが、僕はてっきりみんなも同じように努力していると思い込んでいました。幼少期だったので、自分が特別だとは思わず、みんな同じように我慢しているのだから僕も我慢しなきゃと、足をひねったり、爪をぎゅっと握って痛みを与えて、校長先生や先生の話を動かずに聞くことにのみ腐心していたと思います。内容はもちろん入ってきません。何を言っているかも覚えていませんが、その時間はじっとしているための時間だったという認識でした。すごく辛かったです。
その傾向は実は今も治っていません。学会などでじっと聞いているのが辛いんです。今の対処方法としては、興味があることはしっかり聴けるのですが、興味がない話題になるとすぐに寝てしまいます。寝てしまうと動かなくて済むので、ちょっと目が覚めたときに聞いたことをメモして、それを発表後にまるで全てを聴いていたかのように質問する、これは自身がADHDの特性を持っていることを認識した上での対処方法です。
また、自閉傾向については、よくあるかもしれませんが、ひとりでいる時間が好きで、他人の視線が苦手ですし、言葉が出るのは非常に遅かったそうです。亡くなった母親に聞いた話ですが、小学校に上がるまでは言葉が出なかったとのことです。
家庭環境についてですが、昭和の時代ということもあり、そういう家庭が多かったと思いますが、僕の両親は僕の勉強を見てくれませんでした。宿題をしているかどうかもわからないし、気づきもしなかった。塾に行きたいと言ったら、お金を渡すから行っておいでと言われ、塾の宿題の内容や教材がどんなものか全く知らず、自分で全てやる、参考書が欲しければお金をくださいと言って自分で買うという状況でした。進学校に進学しましたが、母が喜んでくれるかと思ったんですが、喜んでくれなくて、勉強への意欲がすっかり落ちてしまい、進学校では成績はかなり下の方でした。
学校では驚いたことに、僕と同じような特性を持っている人が半分以上でした。だから僕の同級生の半分はADHDかアスペルガーか自閉傾向の人間でした。そのため、いじめられることもなく、非常に過ごしやすい学生時代を送りました。
小学生時代、実際に一つの話題に留まることが非常に難しく、自分の頭の中で会話が完結してしまって、勝手に話を終えて違う話を始めることで、友人との会話が成り立たない経験をしました。大人との会話もあまり成り立ちませんでしたが、大人はこちらの言うことをある程度拾ってくれるので、それに助けられました。実際にこの問題が治ったのは医者になってからです。一つのことをじっくりゆっくり話すことができるようになったのは、医者になってからです。これは完全に学習した結果で、普通の人と同じように振る舞うにはどうしたら良いかを社会人になってから学びました。
学生時代は勉強さえできれば、友人との関係が保てれば、楽しくクラブ活動をすればいいと考えていました。社会との関わりはほとんどなく、アルバイトも家庭教師程度だったので、社会との付き合いはほとんどありませんでした。
医者になって困ったのは、外来でお会いする患者さんは当然初対面の相手で、いかに最初の人間関係を築くかが非常に難しかったことです。ではどうしたかというと、完全にルーティン化しました。人が入ってきたらこうしてこうしてこうしようというのをルーチン化することでこなしています。今でもそのままこなしています。例えば、患者さんをお呼びして立ち上がってお出迎えし、お荷物を置いていただいて着席を促し、名前を確認して挨拶をし、こちらも座って診察を開始します。診察中は相手の体に気を使うような言葉をわざと選び、時には親しみを込めて体を触ることもします。体を触ることは非常に大事で、診察ではなくても触るだけで印象が上がり、逆に触らなかったら「あの先生は触ることもしない」と陰口を叩かれます。こういったことを学んで、今は普通の人のように生活しています。
しかしADHDの特性のせいで、プライベートでは非常に苦労しました。今の妻に出会うまでは、プライベートや恋愛関係、友人関係もボロボロで、非常に生きづらい生活をしていました。今は仮面をかぶって一般人らしく生きていますが、実際は違います。ただ、そんな人はたくさんいるので、僕だけが特別というわけではありません。みんな何かの妥協点を見つけて暮らしていると思っています。
プライベートや恋愛でどのように苦労したかは長くなるので、また後日お話しできればと思います。