The story of a band ~#51 永遠の別れ ~
2019年の暮れに今河から仁志に電話があった。仁志は直接会って今河と話したかったので、仕事終わりに今河の自宅に向かった。
相変わらず開けづらい玄関の引き戸を引く。
「今河さん、仁志ですけど~!」
気づいたのか、今河が2階からゆっくり降りてきた。
「ああ、久しぶりだね!2階あがって。」
仁志は、2階の今河のドラム練習部屋に招かれた。
久しぶりに会った今河の表情は明るかった。
しかし、仁志は今河の声がガラガラとしていたので思い切って尋ねてみた。
「今河さん、あの、声がデスボイスみたいですね(笑)。風邪引いてますか?」
「いやあ、よく分からないんだけどね(笑)。」
バンド再開はまだできないが、少しずつ足の調子はよくなっていることを今河は話した。さらに、仁志の近況や最近気になっているバンドの音楽について話した。
くだらない話もし、短い時間だったが、いつものバンド練習中の休憩時間の会話に似ていた。
そして、今河は、またいつかdredkingzでドラムを叩くことを最後に仁志に伝えた。
「じゃ、また。」
「はい。今河さん、体調気をつけてくださいね。」
2020年が開けた。この年、異常なほど雪が少なく、1月にしては豪雪地帯らしからぬ風景であった。
年明けから約2週間後の午前中。仁志は、家族と買い物の最中だった。コートのポケットに入れていた携帯電話が振動している。
(あれ、神崎さんからだ!)
バンドに関する進展があったのかと思い、電話に出た。
「あ、神崎さん、お久しぶりです!(笑)どうしました?」
「あのさ、今河さんなんだけど・・。」
「はい。今河さんがどうしたんですか?」
「・・・亡くなったって。」
「・・・・。ウソですよね?」
「いや、確かな情報らしい。」
「まさか・・・・・。」
「・・・・とにかく、詳しい情報が入ったら、また連絡するよ。」
今河さんと話したのは昨年の12月下旬。あれからまだ1ヶ月も経っていない。
仁志は、しばらくその場から動くことができなかった。
時間の経過と共に、今河に関する詳細が知られるようになった。事件性はない。そして自殺でもない。死因は分からないが、自宅で眠るように亡くなっていたという。
今河の遺体は、一時地元の葬儀屋が預かることになり、そこには、青森からの親類や友人、知人等が駆けつけていた。
誠司と仁志は、眠っている今河を見たくないと思いながらも、その現実をうけとめようとそこに向かった。
玄関の扉を開けると、たくさんの友人がすでにいた。
「おう、まさか逝ってしまうとはな。今河は、こっちにいるよ。」
平静を装ってはいたが、深い悲しみが感じられる。
誠司と仁志は、奥の一部屋に横たわる棺をみかけた。すでに線香の匂いが漂っている。
「どうぞ、こちらです。」
葬儀屋のスタッフに促され、その場所に行くと、棺の中に眠る今河がいた。
「今河さん・・・・。」
安らかなその表情を見ながら、誠司と仁志は両手を合わせた。深い悲しみが襲ってきたが、何故か涙は出なかった。
今河の死は、多くの人に知れ渡った。もちろん、あのECHOESのメンバーにも。
地元新聞もこの訃報を取り上げていた。
19日。神崎からメールが届いた。
「明日13:00から火葬で、1ヶ月後の2月23日に葬儀だそうです。」
そして今河宅に置いてある物の整理などは、20日の火葬後ということも付け加えられた。
20日。火葬の日。東京から相葉夫妻も駆けつけた。明るく振る舞おうとしている二人だったが、すでに目が真っ赤だった。
寺の住職がお経を唱える中、参列者は今河の写真に向かい、手を合わせる。涙をおさえる人も多くいた。
誠司は、涙を流さないようにしていた。
「誠司、何泣いてんだよって今河さんから怒られるだろ。」
長い付き合いからか、誠司は今河の言いそうな言葉を知っていた。
「それでは、お別れです。皆さん、最後の言葉をかけてください。」
火葬するために、今河が眠る棺が運ばれる。皆が駆け寄り、運ばれていく今河に声をかける。
「今河さん!!」
「またね!!」
火葬する入り口が開き、今河の棺が入っていく瞬間。
仁志は、これまでの思い出が一気に蘇り、大きく肩を震わせていた。
「今河さん、、、今まで本当にありがとうございました。」
その後、dredkingzメンバーと有志が今河の自宅に行き、遺品整理を行った。
「私どもは、音楽のことはさっぱり分かりません。でも一緒にバンドを組んでいたのであれば、そこにある物で今後使えそうな物があったらどうぞ持って行って下さい。よろしくお願いします。」
斎場からここへ向かう際、誠司は今河の兄の奥さんからそう伝えられた。
たくさんの音源、ドラム機材、服、書きためたイラスト、写真などすべてを片付けるには時間がかかりそうだったが、なるべく厳選した。
また、いつものバンド練習場所には楽器が据え置かれていたので、今河の使用していたドラムセットはそのままある状態だった。その保管に関しては、葬儀の時に、改めて親族の方に伺ってみることにした。
2月23日。まだ、雪が舞い降り、寒さの厳しい日だった。
今河の葬儀が地元のお寺で行われた。東京から今河に縁のある友人が駆けつけていた。様々な思いがきっと胸の中にあったことだろう。
仁志と誠司は、親族側に座らせてもらった。神崎は仕事の都合でどうしても抜けられず、二人に思いを託した。
ヒンヤリとした空気の中、厳かにお経が読み上げられた。今河の遺影は、まるで前進し続けようと道の先を見つめるような写真だった。
仁志は今河への弔辞を読むことになっていた。揺れるろうそくの火と今河の写真を無表情で見つめていた。
「それでは、弔辞を読まれる方。お願いします。」
弔辞は2名。そのうちの1人が仁志だった。始めの1人が弔辞を読み終えると、仁志の番となった。
仁志は、今河の写真に深々と礼をし、弔辞をゆっくりと読んだ。これまでの出会いから、今河との思い出、そして学び。すべてを網羅するには短すぎると思いながらも、弔辞を読み終えた。
誠司は、その弔辞の内容から、これまでの思い出が思い起こされた。決して泣くまいと思っていたのに、涙は止めどなくあふれ出した。
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