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#13『お留守番サービス』始めました。お金は稼ぐものという発想はこの体験からきていると感じています。(貧困幼少期からNPO代表理事までを100日で振り返る)

母が頑張ってくれているが、さみしい…

カギっ子生活が始まりました。(鍵を首からぶら下げていました)小学校1年生でカギっ子は少なく、周りは学校が終わると学童で過ごし親が迎えにくるのをまっていました。ただ、学童保育にはお金が必要なわけで私は家に帰る事を選ぶしかありませんでした。

家について鍵を開ける。今まではコンコンと叩けば開けてもらえたのに、自分が鍵を開けなければ扉が永遠に開くことはありません。

(さみしーーーーーー・・・・)

部屋に入って少し夕暮れ時の太陽のオレンジ色の明かりが、部屋に差し込んでいる時はいいのですが、寄り道をして帰ったときは真っ暗になっていて、電気をつけるのが怖いのです。

廊下に面した台所は廊下の明かりでほんのり明るいのですが、奥の部屋は暗いのです。真っ暗闇なのです。


そんな日は、家に入らず廊下に座って母を待つこともありました。

『廊下でずっと待っているなんて危ないやんか?家に入っておき』

「だって・・・・怖いねんもん・・・・」

『怖いって何が怖いの?電気つけたらええやろ?外の方が怖いで』

今になってよくよく考えると、ランドセルを背負ったまま廊下でずっと座っている方が怖いのですが、日が沈んだ部屋は物凄く怖かったのです。

(電気をつけたらいいっていうけれど、電気つけるスイッチの場所までが怖いの)

母が仕事をしてからは、毎日仕事から帰ると簡単なご飯を作ってくれて、ご飯を食べ終わったらその足で銭湯へ。帰宅後は疲れているのですぐ眠るの暮らしでした。

留守番への抗議交渉

「お母さん、私もうお留守番するのいやや!!!」鍵の音がすると玄関まで走って帰ってきた母に抱き着く。それでも、邪魔しないでとたしなめられてご飯を食べてあわただしく夜が明けて朝になるのです。

『あんたがいうたんやろ?お金ないのいややって…お母さんがいてもお金なかったら嫌やったんやろ?』

(言った・・・確かにそういった。わかっている。しかし、悲しいのっ)

うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん(泣)

言葉にできないことは泣く事で伝えるが、母からすると疲れて帰ってきているので、子供が鳴いたりすると鬱陶しいのです(笑)

そうすると母が言いました。

『ほんなら、こうしよ!お留守番したらお小遣いあげよ。これやったらどう?』

(なんですって!?)

「えっ?どういうこと?」(ちょっと涙を拭いて歩み寄りを見せる)

現金な子ではあるが、お金が人生において必要なのは6歳から知っていたのです。駄菓子屋さんにいっても、学童に行ってもお金がいるのです。学童でおやつ食べるなら50円というのを言われたときに、ここにはもう来れないということを瞬時に思ったくらいです。

『留守番したらお小遣い100円。そしたら、あんたもおやつ買えたりするやろ?』

脳の中に100円で出来る事が頭の中に浮かびます。

・学童にいきたいときはいける(おやつ代も払える)
・駄菓子屋さんでおやつが買える
・文房具屋さんでカワイイペンが買える

ぽわわわぁーんと脳の中に浮かんで

「・・・うん。それなら・・・頑張れる」

お留守番サービスを始めました(笑)小さな個人事業主です。

そのサービスは簡単で、学校から帰ったら部屋の中で待つことです。母が帰ってきたら100円を貰うのです。100円は大金だったからこそ、頑張れました。

それまでの日々の中で家に西日が差している時間なら部屋に入れる。日が沈むと部屋に入れなくなるから、日が沈む前に家に帰って、暗くなってきたら電気をつけて待つように変化させました。
お陰で私は再放送テレビは沢山見ました。

お金をもらって寂しいということは、権利と義務がバランスしないため、貰っている間は寂しくても我慢をしていました。

権利と義務を学んだ体験はこちら

親戚からは子供にお金を渡すなんてと言われていたようですが、私はお金は振ってくるものではないということを、体験を通じて学べてよかったと思っています。

お小遣いは自分の努力で勝ち得るものだという認識になったことです。

100円を受け取った後に、寂しいといったときもありますが、母も権利と義務をとことん追求させるので、

『せやから、あんたに留守番で100円を渡してるんやろ?』

「わかってるもん・・・」

買い物は6歳からして土曜日・日曜日の昼ご飯も自分で買って食べる暮らしになりました。火は危ないといわれていたので、おにぎりやソバなどでした。

母は私が自分で我慢して得たお金を何に使っても怒りませんでしたので、自分が欲しいものを堂々と買っていました。
ただ、貯蓄という概念を知らなかったので、ある分は使っていました。

お金を稼ぐということで、それ以外にも母にサービスを売っていました。
・肩たたき
・足マッサージ
・腰マッサージ

30分100円などで結構しんどかった思い出がありますが、努力をすればお金は手に入れられると学べたのもこの時です。
ただ、母はいつでも買ってくれるわけじゃなく、需要と供給の関係があり、母の需要がない時は買ってくれません。その場合には『こういうサービスやったら買うわ』という形でうまく誘導してくれていました。

お金がない時は、お金があると幸せになれると思うものですが、実際に得てみると違う事への欠乏感が生まれてきました。

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ささいなことで人生は変わると信じています。それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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